長浜で働く助左のもとにお仙が現れた。善住坊が堺に来たので助けてほしいと言う。しかし、2人が堺に戻る間に、徳川の間者が善住坊を捕え、梢を通じて兼久に今井家の家督を奪えとそそのかす。そうと知った美緒は独断で善住坊を助け、助左と再会した。善住坊は加賀の一向宗に頼まれて鉄砲を手に入れに来たのだった。だが、2人が再会を祝う間に宗久が動いた。代官所に信長狙撃犯が善住坊だと密告したために、善住坊は捕えられ、安土に送られてしまう。お仙は善住坊が生きていると聞き、助左ともに安土へ向かい、鋸挽きの刑に処せられた善住坊にとどめを指すのだった。
善住坊、いきなりの登場でいきなりの処刑です。ちょっと端折った感じもしなくもないんですが、わし的には、前回、モニカのネタで延々とやるぐらいなら、もうちょっと善住坊の顔見せしてほしかったんですが、今回はほとんどタイトルどおりの話で、脇にそれることもなく、それだけを追っておりました。
そして、例によって梢に唆された兼久は、善住坊を楯に宗久に家督を譲れと迫るわけなんですが、なんとここで、宗久に善住坊を探せと命じられた美緒が、単独で善住坊を解放、形だけとはいえ、美緒に裏切られたことでショックを受けた(らしい)兼久は、善住坊を匿うお仙の船に現れたものの、「達者でな」とさえ言って別れます。思わぬ展開っす。しかも、とうとう善住坊が代官所に捕らわれたと知った美緒が兼久をなじりますが、彼は本当に善住坊を密告しておらず、宗久だったことが判明するのです。
ここは宗久の非情さを言うべきなのか、ただ、今井家がよければ、たとえ誰であろうと犠牲にしかねない宗久の態度は、あまりに身勝手とも思えるわけでして、なんちゅうか、この人も最初から今井可愛いを行動理念にあれこれ動いているんだろうけど、何かだんだんその利己的なところが嫌になってきたなぁという感じでしょうか。で、そんな親父に反発する兼久に「非情になれ」と言う宗久なんですが、その親父の非情さこそが、実はこの息子は嫌いであり、いまだに商売の1つも覚えずに遊び歩いているのではないか、といきなり好き嫌いが逆転しちゃうっていうか。宗久はついに兼久に家督を譲る気はないと言い出しますが、今回の事件で美緒の反発も招いたはずです。そして、桔梗はといえば、一向宗の中で育てられております(育てていたのは誰あろう善住坊です)。となると、宗久がそこまで犠牲を払い、払わせ、守ろうとしている今井家というのは、これからどうなるのかと思うと、実に先行きが不安だったりします。ざまあみろっていうか、自業自得っていうか。そんなことして大金残しても、墓には持っていけないんですよ。宗久があと何年生きるつもりか知りませんが、今井が残ればあとはどうでもいいのかって態度はすでにどうかって気もするんだけど…
まぁ、タイトルの「黄金の日日」というのは、助左のことではなく、堺自身のことであるので、黄金の日日をむさぼり食う宗久、というのはタイトルマッチしたキャラなのかもしれませんが。
さて、せっかく美緒に助けられ、
できるだけ早く堺を離れなさいと言われたにも拘わらず、呑気にお仙の船で酒盛りしてる助左と善住坊。あああ〜 それじゃ駄目だ〜 とっとと逃げろ〜!と思うのですが、どうやら、助左は事実を知らされるまで、宗久に善住坊を助ける気なんてさらさらないって思ってなかったようです。ちゅうかさ、前にしまと桔梗を連れてこいって言われた時に、五右衛門に今伊勢に行くのは地獄を見るようなものだって言われたのをきれいに忘れてるようです。正直ゆって、助左のお人好しぶりがこの先、心配になります。
しかし、善住坊が捕らわれる時にさんざん抵抗した助左が代官所から放されたところに美緒が現れ、宗久の裏切りを告げたので、さすがの助左も今後、宗久を無闇に信じることはなくなるだろうな〜と思うのですが、これでまだ宗久を信じていたら、そんな奴隷根性はぷんすかものです。
そして、美緒から善住坊が処刑されたと聞いた助左はお仙の船に戻ります。ここでお仙が恐るべき噂を聞き入れていました。善住坊は鋸挽きの刑に処せられ、まだ生きているのだと。この瞬間、助左とお仙の立場が逆転しまして、主導権はお仙に移ります。短い時間ですが、彼女のこういう覚悟を決めたところっちゅうのは魅力的なキャラだと思います。
鋸挽きの刑にあい、死に損なっている善住坊に「楽におなり」と一撃で殺すお仙。これ、立場が逆だったら、助左、できんと思う。悪いけど、助左にはそういう度胸はないと思う。
ところで、このシーン、善住坊を見張る2人の男がいるんですけど、このえへらえへら笑いながら「鋸を挽け、できなかったら、おまえらも同罪だ」と言うシーンって何かすごく意図的な気がするんだけど、気のせいだよな、1978年だし… こいつらの態度って、なんていいますか、どういう人物を想定してるんだか知らないんだけど、「自分は絶対に死刑になんかあわない」と意味もなく確信して、人の罪には平気で死刑とか重罪とかを叫ぶ、今時の死刑賛成論者のように見えたんですよ。たぶん考えすぎだと思うんですが。
善住坊のしたことは、確かに時の権力者(と言っても、まだまだ有力な大名というだけで、天下取りはしてないわけですが)、信長を狙撃した実行犯という重罪なわけでありましょうが、さて、そういうことはなかなか誰でもできることではないし、みんながみんなそんなチャンスに恵まれるわけでもないと思うんだけど、じゃあ、そういう重罪を犯さなければ死刑になることなんかないかというと、現代ならともかく、戦国の時代なんてもっと簡単に死刑になって、死刑になんかならなくたってもっと簡単に死にそうな気がする。
でも、この2人のど阿呆は、自分がそうなるかもって想像力も、そこで鋸を挽かれて殺されてゆく善住坊の心中も、赤の他人なのに鋸を挽かされる人びとの気持ちも、もちろんお仙や助左の気持ちもまったく考えてもおらず、想像力を働かせることもなく、単にそういう権力を与えられたから居丈高に命令してっていう態度で、すごくむかついたんです。まぁ、わしの考えすぎだと思うんだけど。どういう意図をもって、こういうキャラにしたのかって、ちょっと気になったもんで。単に機械的に処理するだけのような奴でもいいと思うんだけど。
そして、出血と痛みのために意識がもうろうとしているらしい善住坊は、呂宋の言葉で「いらっしゃいませ」と繰り返していた。せつない。悲しい。なぜ善住坊なんだろう? なんで善住坊がここで殺されなければならなかったんだろう? 悔しい。
しかし、今だったら、このシーンって、きっと放送禁止だな。川谷拓三さんの演技が鬼気迫るものがあるもんな。きっとお子さまなんかトラウマになったり…したのかな? ともかく、PTA辺りから抗議の電話とか来そうですな。
助左は、善住坊の代わりに、加賀へ鉄砲と硝石を届けにいくことにした。それが信長に反する行動だって自覚があるとは思えんが、1人ぼっちになっちゃったんだなぁ、助左。
ばっかやろ〜!!!
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