助左は織田軍の助けもあり、堺に船を到着させた。小西弥九郎がそれを受け取った。一方、高山右近は信長に投降し、宣教師になりたい旨を申し出るが、拒絶され、高槻城主に戻って、摂津の国を治めるよう命じられる。信長軍の西進は続いた。曲者と言われた宇喜多直家も秀吉の知略で投降、毛利軍との激突も時間の問題と思われた。そんな頃、助左を右近が訪ね、安土に南蛮寺とセミナリオの建設を許され、信長本人から青い瓦の使用を許されたと言う。その代金に500石の船を受け取った助左は、念願の船長になれた喜びにはしゃぎ廻ったが、その側に善住坊や五右衛門がいないことを嘆く。助左は30歳になっていた。
ということで、時間があっという間に経ってます。助左ももう30か〜 ついこないだは24歳とか言ってたのに。呂宋島を離れてから12年も経ってしまったそうです。となると、あの時、彼らは18歳前後だったわけですね。善住坊、それなのに結婚ってはやっ そして、五右衛門との別れ、善住坊の死から、助左はがむしゃらに働いてきたのも時間の早さと無関係ではありますまい。ここにきて、助左は2人がいないことを嘆くのでした。
彦佐でなくて彦助だった。前回、しっかり船に乗ってましたが、ともに助かりましたが、その後の助左の商売には顔を出しておりません。これで出番終わりかな〜 で、助左を「親方」と呼ぶ、2人は、いまだに助左に名前を呼んでもらってないような… キャストでも出てるのかな〜?
小西弥九郎は、宇喜多直家の籠絡に大役を果たし、これをきっかけに士分を得て、秀吉に仕えるようになったそうです。そんな落ちだったのか。
それにしても、もともと秀吉の命令で備前に行った弥九郎が、直家の代理として秀吉のもとに降伏を申し出る使者となった時、どうしてこの2人、やらせを演じる必要があったのかよーわからんかったのですが? 直家がいるならわかるけど、いないし、周りにいるの、秀吉の部下だけだろうし。秀吉が弥九郎の頭の良さを確認したくて、わざと挑発したのか? ちょっとわからんかったです。
いよいよ自分の船を手に入れた助左、しかしまだ、呂宋島は遠い模様。
ところで、いまだに当人「助左」なんですが、ナレーターではずっと助左右衛門なんだけど、いつ改名するんでしょ?
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