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徐京植著。高文研刊。

著者の評論集です。サブタイトルは「ことばの檻」からとなってますが、パート2のタイトルでもあり、パート1が本タイトルと同じ「植民地主義の暴力」、パート3が「記憶の闘い」です。

例によってタイトルだけメモしておいたんですけど、目から鱗はぼろぼろ落ちるわ、かつて読んだ「罪と死と愛と」や、最近読んだり見たりした尹東柱(ユン=ドンジュ)さんの詩とか映画とか、映画見ただけの「遥かなる帰郷」(プリーモ=レーヴィ原作)と来て、最後はわしが尊敬するホーおじさん(ベトナム独立の父ホー・チ・ミン)まで話題にのぼるに至っては著者への親近感というも失礼(後述)なので興味が勝手に湧いてきまくったので、この方の著書を読破しようと思いました。あと、1回やってやめたんですけど、派生して言及あるいは引用された本を芋づる式に読むというのもまたやってみようと思いましたが、そういや青空文庫に魯迅って入っていたっけ… 途切れ途切れに読んでる「大菩薩峠」がまだ終わらんのじゃが…
と思ってぐぐってみたら、魯迅、けっこう入ってますね。今度、ダウンロードしとこう。

おかげでこの前の本から始めた、後で読み返したいところにとりあえず付箋を貼るという行為が20枚くらいになりまして、久しぶりに良い本に巡り会えたなぁと思います。前の本が悪かったわけでは全然ないのですが。

ところで、わしが上で「著者への親近感というのも失礼」と言うのは、著者が在日朝鮮人の方であるからにほかなりません。わしは少なくとも3世代前(ひいじいちゃん)まで遡ったところ、日本人であることがはっきりしており、母国に住み、母語=国語のマジョリティであるので、在日朝鮮人の方々が味わわされている苦労や、「自分は何者か」という問いとはまったく無縁だからです。そんなわしに親近感なんて覚えられても、と思うだろうと思うのです。
なんてことを書くと、そこまでマイノリティに遠慮することはないだろうという声が聞こえそうですが、逆だと思うんですよ。日本というマイノリティに厳しすぎる社会ではマイノリティにいくら気を遣っても遣いすぎることはないように思います。国から社会から、人としての当然の権利さえ踏みにじられている人たちにマジョリティであるわしができるという以前のことなんじゃないかなぁと思います。

で本の内容に戻りますが、初っぱなの小松川事件への著者の思いから、もうマジョリティたるわしの感想とはかけ離れておりまして、何というか、わしが日本が引き起こした大戦とそれに付属する数々の事件とか朝鮮半島や台湾の植民地化とかそういったことへ真っ先に感じる申し訳なさが立ちました。

続いて先ほど、自サイトにも追加しときましたが魯迅の言葉から、著者の関心は「和解という名の暴力」へ移っていきます。
まず日本だけでなく、いわゆる先進諸国と呼ばれる主に欧米諸国で共有される「国民主義』への解説が入りまして、わしなんぞは「良心的な日本人」の多くがこれだよと思ってすとんと腑に落ちました。
これは「旧植民地の宗主国のマジョリティが無自覚のうちに持つ「自国民中心主義」」を指し、英語では国家主義と同じくナショナリズムですが、一般的なナショナリズムが排他的なのに対し、当事者は自分自身をナショナリストとは考えておらず、むしろナショナリズムに反対する普遍主義者であると主張することが多いと。その一方で自分たちが享受している諸権利が、本来なら万人に保証される基本権であるにもかかわらず、国民であることを条件に保証される特権となっていることをなかなか認めようとしないと。
そう考えるとフランスの黄色いベスト運動なんかもこれに類するんでしょうね。あれ、移民や難民の人たちの参加って聞いてないし、あくまでもフランス人の労働者の話ですもんね。
さらに著者が言うには国民主義者は自らの特権には無自覚であり、その特権の歴史的由来には目をふさごうとする傾向を持つ。したがって国民主義者は非国民の無権利状態や自国による植民地支配の歴史的責任という問題については鈍感であるか、意図的に冷淡であると。

しかも日本の場合、第二次世界大戦における敗北は圧倒的な物量を誇るアメリカへの敗北だと考え、中国や朝鮮といった侵略された諸民族に対する敗北という意識はほとんどありません。なので自国が行った戦争が不当かつ違法な侵略戦争であったという認識と反省を深めるできないというのは見事な洞察と言うほかはありますまい。
そう考えると先日読んだ「法廷で裁かれる日本の戦争責任」において日本の戦争責任の被害者の方々が敗北した理由もわかろうというものです。そのメカニズムを理解はしませんが。単に日本が上から下まで戦争責任をできるだけ矮小化しようとしているくそったれな国だという認識は動きませんし。

あと、よく聞く「先の世代が犯した罪の責任を後の世代である自分たちに問われることへの反発」は一般的な日本人がよく持っている戦争責任感じゃないかと思うんですけど、それも欧米諸国にも共通するもんだそうです。主に植民地についてですが。
そういう視点に立ってみると、先日見た「ヒューマン・フロー/大地漂流」が受ける理由もわかるんです。まぁ、わしも突っ込んだけど。つまり、あの映画ではそもそも難民を作り出すことになった国家への欧米諸国の援助を描かないし、追求もしてない。ああ、そりゃ受けるわねと。しかも中国人で、現政権に批判的と言ったら、いかにも欧米人が好みそうなタイプじゃないですか。でも、今思い出したんですが、中国って、歴史的に植民地持ってなかったよなぁと。まぁ、植民地自体が近代の産物なのでその時代を経なかった中国には持ちようがなかったのかもしれませんが、中国は領土は拡大して、過去にベトナムぐらいまで版図を広げたこともあったけど、わしが知ってる限りではわりと外国人だろうと中国に忠誠を誓う限り、扱いは平等だったように記憶してます。まぁ、中国の歴代王朝がしたような方法を現在の中華人民共和国が採用する保証はありませんが、それは帝国主義的な植民地とは正反対の仕打ちだったんじゃないかなぁと思いました。

そういや4月に上野千鶴子が東大の入学式で行った演説が良かったの何のとTLに流れてきてましたけど、朴裕河擁護したような奴の話、いまさら評価に値するものとも思えませんけどネ。

20年くらい前に「遥かなる帰郷」を見て以来、すっかり忘却の彼方に吹っ飛ばしていたプリーモ=レーヴィへの興味を再燃させてくれたことには著者にお礼を言いたいと思います。例によってホロコーストものということで映画を見に行った(確かBox東中野)んですが、主役の俳優さんの虚空を見つめているような表情は覚えていても(パンフまで買ったから)、それ以上、プリーモ=レーヴィへの興味は湧かずに切れてしまったのは、図書館で本を読むという習慣が身についておらず、自分で本を買うには他のこと(たぶんゲームと同人誌)に金をつぎ込んでいたので確か1冊くらいは読んだと思うんですけど、それきり忘れました。最近はエリ=ヴィーゼルの著作を読んで、そろそろホロコーストものは追いかけるのをやめようかと思ってたくらいだったのですが、それはプリーモ=レーヴィも批判していた、かつてユダヤ人にナチスが行ったことを今のイスラエルがパレスチナの人びとに行っているのではないかという理由もありますし、日本の戦争責任とか、その他もろもろを追いかけ始めたのでホロコーストまで手が廻らなくなったというのもあります。確かに日本で手に入るホロコースト関連の資料は破格に多いんですけど、わしとして決してナチス・ドイツが行った酷い戦争犯罪という対岸の火事として見てたつもりはないです。特に最近は。こういうレビューも書きましたし、ナチス・ドイツの同盟国であった日本が行った戦争犯罪というベクトルで見るようにはしてるつもりですが、まぁ、本はともかく、映画はそろそろいいかなぁというのが本音です。
ただ、ホロコーストといったら、「夜と霧」のヴィクトル=フランクル先生が言った「最もよき人びとは帰っては来なかった」のは常に頭にありますので、プリーモ=レーヴィが純然たるホロコーストの被害者でありながら、自己の加害者の部分に目を向けるという論考は肯けるところがありますし、著者がそこから導き出した「そのシステムを作り上げ、運用した加害当事者(プリーモ=レーヴィの場合はナチス・ドイツ)を赦すためではない」という結論もまた、そこまで進まなければいけないんだと思わせられました。

どの評論を読んでも著者の意識は最後には巡り巡って在日朝鮮人である自分に返っていきます。それは、わしが何を見ても日本という国に結びつけるのと似てるような気もしますし、根本的にまったく違うようにも思えます。
ただ、一人のみならぬ大勢の人びとの一生をこのように歪めてしまった国家の一員として、わしはやっぱり日本という国の犯した過ちをまだまだ追求しなければならないように思えるのです。

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西崎雅夫・イム=スウン・斎藤真理子・原島康晴編。現代書館刊。

サブタイトルは「東京地区別1100の証言」とあり、そのとおり、有名無名の市民たちの朝鮮人や中国人、誤って朝鮮や中国の人たちと間違えられた日本人たちの虐殺を目撃した記録です。1つ1つの証言は多くても数ページ、だいたいが1段以内(本文は3段組)に収まるので、わりとすらすら読めますが、内容はなにしろ朝鮮の人たちを殺させた流言飛語やデマについてなので、読んでいて大変気分が悪かったです。しかも東京ではこのような記録が集められましたが、犠牲者の数でいったら神奈川の方が多く、その記録もないというのですから、まぁ、暗澹たる気持ちになります。と言いつつ、昼飯を食いながら読んでいたわけですが。もぐもぐ…

まず全般について言えば、さも朝鮮や中国の人たちを保護したように振る舞ってる警察(各区・地区の最後に警察の記録が掲載されている)ですが、そもそも「不逞鮮人」のデマを飛ばしたのは警視庁であり、官庁なので、大変厚かましい話ですネ。だいたい「不逞鮮人」のビラを貼るのだって警察の指示だっていうんですから、自分でデマ飛ばしておいて、さも保護者面して被害者を守るとか、くそったれとしか思いませんでした。だから警察は信用がならんと言うのじゃ。

あと、テレビのない時代ですし、ラジオは記録が残ってないので新聞になりますけど、まぁ、どいつもこいつもデマのオンパレードで、この後、大本営発表を垂れ流すんですから、日本のメディアというのは勉強も反省もしないので、ますます信用がなりません。玉石混淆なネットのがまだましだっていう。特に地方新聞が酷く、ちゃんと取材してないで伝言だけだろおらなデマを垂れ流しまくってます。また中央紙でいったら国民新聞というのが名前からして酷いんですけど、中身も最悪で、これはもしや産経新聞の前身ではあるまいなと思ってググったら東京新聞でした。おーい… しょせんメディアはメディア。

そして、デマこそ振りまいてませんが、重装備をしているという点においては自警団よりもっと始末の悪い軍隊が組織的に朝鮮の人たちをぶっ殺しているのを見ると、同じような事態になったら自衛隊もするよねと確信しました。
あと「隠された爪跡/払い下げられた朝鮮人」で習志野の捕虜収容所に集められた朝鮮の人たちが地元の自警団に文字どおり「払い下げられ」て虐殺されたのを見ていると、朝鮮の人たちが「習志野に送られた」と読むと、大丈夫かよと心配になったのですが、たいがいは「生きて帰ってきた」という証言ばかりだったので、殺された人たちが余計に気の毒でした。「払い下げられ」たのはどういう基準だったのか…

で、思いましたけど、「未曾有の震災にかこつけて、普段、何かと差別をされている朝鮮人(文中ではほぼ「鮮人」という差別語)たちが報復に立ち上がる」というデマを大方の日本人があっさり信じた理由というのはよほど普段から後ろめたいことを朝鮮の人たちにやっていて、それで自分たちが大変だっていうんで差別意識が引っ繰り返って被害者面してんだろうなぁと。
むしろ、震災のどさくさに紛れて放火だの強姦だのやってたのは日本人の方で、後に書きますけど、ほとほと日本人の程度の低さが嫌になります。もう、ほんとに。
というか、わしも差別することがないとは言いませんけど、「○○人だから」という差別というのが生まれてこの方理解できないもんですから(うちの両親が幸いにしてそういうことを広言する人物ではなかったためと思われます。ただし、たまに言うことはある)、自分たちの日頃の行いを反省する前に報復されることを恐れるとか、どんだけ自己中なんだよ!とさんざん突っ込みが炸裂してました。
あと、朝鮮の労働者たちが日本人の半分の賃金で雇われて貧乏しているのに、日本人労働者が逆に「あいつらに仕事盗られた」と逆恨みしているのは、相変わらず、この国は分断が姑息だなと思いました。騙される日本人の馬鹿さ加減もいい加減に嫌になりますが。

また、この後で個別の突っ込みというかメモでも書きますけど、いわゆる作家とか記者という肩書きがついている連中は知識人だとわしは認識していたんですけど、その認識は間違いだったと考えを改めます。むしろ記者なんか率先してデマをまき散らす人間だと認定します。まぁ、新聞がそういうものですから、それを書いてる連中がまともなわけねぇだ。

いくつか印象に深い(良くも悪くも)証言があったので適当にメモ。付箋はこういう時に使うのだな…

田山花袋というわしでも知ってる(著作は未読)著名な作家から、聞いたこともないような無名の作家まで、震災にかこつけて暴力を振るうことを痛快に思う人間が大勢いることを唾棄します ( ゚д゚)、

逆に材木商の宇佐美政衛というおっさん(たぶん)が「日本人は考えが単調ですぐに動揺する。実に心持ちの小さな人種だと思った」とか「些細な事にすぐ騒ぎ立て、逆上する日本人の狼狽ぶりが見え苦々しく思った」と書いているのを読んだ時にはそのとおり!!!と膝を叩きたい気持ちでした。
おっちゃん、100年近く経っても日本人は全然進歩しとらんのやで… むしろ、ますますけつの穴は小さくなっとんのやで… と教えてあげたいです。

わしでも知ってる物理学者の寺田寅彦先生(元ネタは「帝都物語」だったりしますけど…)が「昨夜上野公園で露宿していたら巡査が来て○○人の放火者が徘徊するから注意しろと言ったそうだ。(中略)こんな場末の町へまでも荒して歩くためには一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾が入るであろうか」と科学者らしく冷静な判断をしていたのは、さすがだと思いました。

「非常時の中に笑いあり」ってタイトルで毎日新聞社が編集した本が出てるんですけど、紹介してるのが朝鮮の人を三人やっつけたと自慢する親父の話で、どこが「笑い」なのか聞きたい。小一時間くらい問い詰めたい。

大震災後の春に、朝鮮の二人の弁士が市内の各所を廻って謝罪の旅をしていたと紹介してました。書いた人は日本人が謝罪するならまだしも朝鮮の人が謝罪するのはおかしいだろうと感想を書いてましたが、わしも同感です。明らかに謝る側が間違ってます。しかし、それで笑いを取ったというのですから、それが当時の日本人の一般の感覚だったんでしょう。で、また何かあれば報復を心配するんでしょう。糞食らえです。

軍隊が東京の秩序を守ったことに感心する大人たちの言動が書いてあり、それが軍隊を見直した、までに発展したのは現在の自衛隊が災害救助隊として東日本大震災で活躍し、賛美された構造とそっくり同じです。ただ、わしは何度も書いてますし、何度も言いますけど、災害救助隊ならば武器は要りません。やっぱり自衛隊は要らないし、どこの国の軍隊も要らないと言います。
またさらに、後の軍閥の台頭、戦争の幕開けまでと結びつけたのは慧眼だったと思いますが、自衛隊も同じ轍を踏むでしょう。

警視庁の職員が「鮮人が攻め込まぬよう管内の警備を固めるよう」という本部命令を伝達したところ、警視に「そんな馬鹿なことがあるか」と一笑に付されたと残してます。デマをまき散らしたのは警察でしょうに。

日本人の朝鮮の人たちへの差別感を「人間感情の通路としては深くて底なし」と見抜き、「感情通路の(文脈から「を」の間違い」と思われる)亀裂させ溝をつくる感情媒体の根深い遺恨をつくり出した日本人民大衆の「どしがたい」感情閉塞を作り出している根本を掘り下げ」る必要があると書いている人があり、たかが100年にもならぬつき合いで、最も近しい隣国の人びとをこうも蔑視する日本人の差別意識というものは、ヨーロッパの反ユダヤ感にも負けず劣らぬ感があるのではないかと思えました。

判事のおっさんが「「鮮人2千名来襲せり」と報し歩きたりと聞く。諸種の事実を総合して考うるにこれは真実なり」と書いてましたけど、何一つそんな事実なんかないのに何を根拠にそう言い切るんですかね。こういう奴が幸徳秋水や朴烈を大逆罪に持ってったりするんじゃないですかね。
他にも「自分が聞いたから」とか「警察がビラを貼っていたから」事実だと言ってる奴はいましたけど、ここまで根拠のない事実を述べた馬鹿が判事とか、日本の司法って昔から真っ暗なんですネ。

こんなところで。

何ヶ所かで犠牲者の朝鮮人女性の陰部に竹槍を刺してあったとかあって、南京大虐殺で頂点に達した日本人の残虐性はこういうところにも萌芽があるんだなぁと最後まで暗澹たる気持ちでした。

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作家の田辺聖子さんが亡くなったそうです。

この人の著作はタイトルしか知らず、読んだのは今日の記事のタイトルにもなってる、こちらの戦中エッセイのみです。うーん、日常系のエッセイとか現代小説はあんまり食指が動かんもんですから…

ですが、その分というわけでもないですけど、このエッセイは何度も読み直してまして、文学少女のお聖ちゃんに共感しつつ、軍国少女が大阪の空襲から目覚めていく様子がおもしろかったのを覚えています。

ただ、全体の9割ぐらいは戦中派のオタク少女の活動とか日常生活が占めてまして、それがだんだん軍事色を強めていく様や、サブタイトルが「私の終戦まで」とあるように敗戦を迎え、負けるはずなどないと教えられていた「神国」ニッポンがいかに嘘くさいものだったかを洞察する様が痛快なところもありました。

それにしても回覧誌を作っちゃうとか、自分の書いた小説に自分を投影させた人物を登場させちゃうとか、オタクが読んだら共感の嵐か青くなるかのどちらかなことは請け合いです。わしはこれで自分の小説に自分を投影させた人物を出すことの薄ら寒さを学習したので絶対にしません。

ご冥福をお祈りします。

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監督:ルキノ=ヴィスコンティ
出演:サリーノ公爵(バート=ランカスター)、タンクレディ(アラン=ドロン)、アンジェリカ(クラウディア=カルディナーレ)、ドン・カロージェロ=セダラ(パオロ=ストッパ)、神父(ロモロ=ヴァリ)、ドン・チッチョ(セルジュ=レジアニ)、コンチェッタ(ルッチラ=モルラッキ)、サリーナ公爵夫人(リナ=モレリ)、ガリバルディ(ジュリアーノ=ジェンマ)、ほか
原作:ジュゼッペ=ランペドゥーサ
音楽:ニーノ=ロータ
見たところ:桜坂劇場
イタリア・フランス、1963年

4年ぶりに今度は劇場でかかるというので再見です。やたらに人が多くて満員に近かったんじゃないかと思いますが、隣のおっさんは半分くらい船を漕いでいたんで、ヴィスコンティの名前だけで来た人も多かったんでしょうか。そういや、ネットでも「状況説明が足りない」というレビューを見たりもしましたけど、うーん、そういう連中には一昨日おいでな映画というのがあるのが理解できないだろうなぁと思いました。映画でも本でもそうですが、自分のレベルというか知識をそこまで上げないと理解できないテーマというのはあるのです。何でもかんでも自分のレベルにまで下げろ、やれ説明しろというのではあかんのです。なのでここ10年くらい流行ってた「わかりやすく読むニーチェ」みたいな書物はわしは手を出しません。そんなもん読むならニーチェ読みます。わからなかったら、もっと勉強してからおいで、というのがわしの意見です。

19世紀、ガリバルディ将軍による統一を迎えた激動のイタリア・シチリア島。パレルモの近くに屋敷を構えるサリーナ公爵と、その若き甥タンクレディ、婚約者アンジェリカとの交流を通じて滅び行く貴族の姿を描く。

と、前回と同じ粗筋になりましたけど、全編を貫くテーマが滅び行くものの悲哀なので粗筋をまとめようとするとこうなってしまいます。まぁ、長々書いても粗筋だからさ…

で、前回は途中でぶち切れた(DVDの具合が悪かったため)のはサリーナ公爵が狩りのお供をさせているチッチョにカロージェロ一家のことを訊ねるシーンでした。その前に選挙の投票について話してて、チッチョが前王を支持していたけど投票では修正されたと怒りをぶちまけるシーンがありましたが、まぁ、あんな選挙じゃねぇ… なにしろ選挙管理人の目の前で「はい」か「いいえ」の札を入れるんですけど、それがモロバレで、無記名とかあったものじゃないし、たぶん一定の収入以上の男性限定の制限選挙なんで、まぁ、19世紀じゃそんなものかと。
ただアンジェリカの母親がやたら美人なのは映像付きで2回も語られてましたけど、そんなに必要だったのか、あれ? 夫のカロージェロが家から出さないとか言われてて性格的にだいぶ難がありそうなんですが、強調する必要もなかったのでは… ああ、でも、最後の舞踏会のシーンでおしゃべりに興ずる貴族の娘たちをサリーナ公爵が「いとこ同士の結婚はやめた方がいい」と暗に近親相姦による白痴化を否定してるみたいな台詞が出てくるんで監督の意向なんでしょうかね。しかし、あのシーンは実際の貴族の末裔たちがこぞって出演してたそうだけど、怒られなかったんでしょうか?

あと、前回の感想でも書きましたけど、やっぱりタンクレディとアンジェリカに比べて、周囲は月とすっぽんでした。
特にサリーナ公爵の七人(!)もの実子たちがどれも父親より母親似な感じで、最初のうちこそ(たぶん)長女のコンチェッタに優しいタンクレディでしたが、アンジェリカが登場すると鞍替え、というか、たぶん最初から大して気はなくて、でも従妹だから優しくしてやってたという感じだったのをコンチェッタが勝手に勘違いしてたんだろうなと思いました。というか、公爵、子どもたちには必要以上の愛情は感じてないっぽくて、むしろ自分に似てる上、境遇が不遇(親が財産浪費して死んじゃったとか)なタンクレディへの愛情のが明らかに勝ってるっぽくて、コンチェッタが神父を介してタンクレディと結婚したいと言い出したのを却下してアンジェリカとくっつけるよう示唆しちゃう辺り、どう見てもタンクレディ>(越えられない壁)>実子だなぁと思いました。
実際、公爵は七人も子どもは作ったけど、まだまだ精力旺盛なのに嫁が受け入れてくれないらしく(あと、絶頂のたびに「マリア様」と叫ぶとか)、パレルモにお気に入りの娼婦がいて、こっちも「私の公爵さん」とか言ってて、神父に肉欲の罪を咎められると言い訳したりしてるんで、たぶん、嫁とは100%政略結婚で、夫婦仲も悪いわけじゃないけど、庭で軍人が死んでると冒頭で知らされれば、卒倒しかねないほどの貴族然とした夫人にはいろいろと不満もあって、しかも子どもたちはどいつも自分に似てなくて嫁似で、なんで野心家で行動力もある、ぶっちゃけ自分に似てると思えるタンクレディのが可愛いんだろうなぁと。実際、誰が見てもアラン=ドロン>(越えられない壁)>その他大勢ですもんねv
ついでに見てて思ったんですけど、公爵にとってはタンクレディは自分の写し身なんだろうと。この時代、タンクレディのような若さがあったら絶対に取って代わりたいんだろうと思いました。でも自分は老いている、老いは自覚している、なのでタンクレディに後を託して自分は消えゆくのみ、みたいな感じに見えました。で、タンクレディの方も当然、そういう叔父の気持ちは理解していて頼りにしているし、ラスト、「議員に立候補する」と言ったのは、その前に公爵が上院議員への推薦を断ったことへの裏返しなんだろうなぁと思って見てました。なんでタンクレディがそういう叔父の贔屓を自覚していて、けっこう鼻持ちならない表情を見せるのに、競争心なんか持ってないような公爵の子どもたち(まともに名前も呼ばれない十把一絡げな扱い)は当たり前のように受け入れている感じでした。

そういや、シチリアといったら、この前に見た「ゴッド・ファーザー」の出身地で、アル・パチーノが潜伏してた(の割には嫁取りしたりしてましたが)ところでしたが、やっぱり似たような乾いた光景で、日本の緑に慣れた目には荒々しい、侘しい土地だなぁという印象がぬぐえませんでした。しかも服が白くなるほど埃をかぶってるって、どんだけ乾燥してんのな土地柄で。

あと、つい先日というか、天皇がどっか行ったとかニュースに接するたびに憎々しい思いに囚われるんですけど、同じ光景がサリーナ公爵が旅行した先の村で見られまして、今のニッポンのがもっと仰々しくて、前世紀どころか前々世紀の遺物なんだなぁと思いました。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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「山猫」見終わって、ぶらぶらと牧志公設市場へ繰り出します。父の日のプレゼントに活伊勢エビを買おうという魂胆があるからですが、そういえば、月に1回のサンライズマーケットも立つ日だったはずなので足を伸ばしました。

「山猫」が12時からだったもんでハラペコだったたきがはは、何にしようかと物色しつつ、野菜を買って、台湾料理の店頭で、何か話題になってるらしいルーローファンを見つけまして、物は試しに買ってみることにしたのでした。



んで膝の上に拡げた物。そぼろみたいなのが何だかわかりませんでしたが、甘辛な味つけはご飯によく合うので普通に美味かったです。ていうか豚バラ肉って最強だろ。
ただ、わしは八角は飽きやすいことが中国旅行で身にしみているので1回食ったらもういいかなって感じでした。

サンライズマーケットは、国際通りからアーケード街を東に行ったところにあるサンライズなはで月1で開催されてる出店型の市場で、県産の野菜がお買い得だったり、観光客目当てなんでしょうが、やけに高い料理(テイクアウトが基本)や雑貨を売ってたりしてます。前に書いたことがある手作りマヨネーズもここで買いました。日程が合ったら行ってみたらいいかもです。

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日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。
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