今日はまいたんの命日です。
2006年6月28日未明、前日、ご飯を食べに起きてこなかったまいたんを心配して朝、のぞきに行くと、まいたんはもうお亡くなりになっていました。未明と言い切るのは、部屋の入口で亡くなっていたまいたんが、おいらの手の中でだんだんと冷たくなっていったので、まいたんが息を引き取ってから、それほど経っていないのだなとその時は思ったのですが、おいらが冷静でいられたのはそこまでのことで、突然としか思えないまいたんの死に驚愕し、ブログにやっと「まいたん永眠す」とだけ書いて、あとは何日か泣いてばかりいました。何も手につかなくて、ちょうど仕事を辞めたばかりだったもんで都合がよく、まいたんをなでてはめそめそと泣き暮らしていました。
季節はやっぱり今と同じような梅雨時だったもんで、毎日、まいたんをなでていたのですが、気温が高いもんで、まいたんをお墓なりに収める前に腐ってしまっては大変と思い、まいたんを冷蔵庫にしまっては出してきて、またなでて、まためそめそと涙をこぼし、それでも人間というものは腹が減っては飯を食い、眠くなれば寝るのでした。
もともと、そこのマンションはまいたんと一緒に快適に暮らすために買ったものだったので(前のアパートだとまいたん部屋が作れなかったので、まいたん部屋がほしかったから)、まいたんがお亡くなりになったことでそこにいる理由がなくなってしまいました。そもそもそのマンションを選んだのもその前に勤めていた会社に近いという理由だったので、会社も辞めて、まいたんも亡くなって、その町にいる理由もおいらにはなくなっていたのでした。
そんな時、近隣の和光大学で「みなまた展」をやりまして、わしはその時は会員だったものですから2回ほど見に行きましたが、そこで2人芝居を見ました。石牟礼道子さんの「苦海浄土」を題材にしたお芝居「海と空のあいだに」はまいたんが亡くなって、ふらふらとしていたおいらの背を押してくれるようでありました。まいたんが「水俣に行ってもいいのよ」と言ってくれたようでもありました。
それで思い切って水俣に行ってしまいましたが、残念ながら、そこから1年半ほどで帰ってくることになりました。
この頃になると、おいらはまいたんのことであんまりめそめそしなくなっていましたが、まいたんがいない分、35gばかり魂が足りないように思いました。まいたんが亡くなってからずっと、35g欠けているように思います。まいたんがお亡くなりになったので、その欠けてしまった分は永久に埋められないのだと思います。
最近は妄想だけではなく、まいたんといつも一緒!を実現したんで、何があっても大丈夫です。ただ、こんな時代になってしまって、まいたんがその前にお亡くなりになっていて良かったのだなぁと思いました。まいたんが元気だったら、311の時に帰宅難民になったおいらは矢も楯もたまらなかっただろうし、原発が爆発した後でまいたんにあげるご飯のことですごく悩んだろうと思います。何より、こんなに汚れてしまったこの国の空気と水は、まいたんにいい影響は絶対に与えなかったろうと確信できるからです。
「ロビンソン」作詞・作曲:草野正宗 歌:スピッツ
最近、この歌の
待ち伏せた夢のほとり 驚いた君の瞳
のフレーズがおいらの動きにびっくりしていたまいたんを思い出して、スピッツばかり聞いています。
君がいなくなったこんな世界でも、おいらはまだ生きていけます。まいたんが亡くなって7年目の夏が来ます。
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