監督:アンリ=ヴェルヌイユ
出演:ジャン(ジャン=ギャバン)、クロ(フランソワーズ=アルヌール)、ほか
1956年、フランス
実は見るの二度目なんですけど、最初に見た時は若造だったもんで、この映画の良さがわかりませんでした。今回はすごい良かった!と申し上げたい。ジャン=ギャバンは「
シシリアン」といい、「
脱獄の報酬」といい、最近、好きになっている俳優さんですが、こうなったら
出演作全部見ないと気が済まぬ!ってぐらいに惚れました。さすが、フランスが誇る名優です。うわ〜、わしもクロになりたいよッ!(←落ち着け。ていうか、無理)
この映画には、先日、「
クロッシング」を見た時に感じた不満のわけがありました。あの映画では音楽を流しすぎた。悲しいシーンで悲しい音楽を流せば、観客は感動するわけではないと書きましたが、この映画では初っぱなとラストにしか音楽は流れません。哀切きわまりない音色は、これだけで、物悲しい気分にさせられますが、ジャンとクロのメロドラマの最中には流れないのです。ほとんど音楽もなしに淡々と進む物語、ああ、この映画の監督は、観客の泣かせどころをよくわかっていると思いました。
行きずりの恋に身を任せたジャンとクロ。それはクロの死により幕を閉じるわけですが、この悲恋を、作っている側が「悲しい」と思ってはいかんのです。作っている側はこんな恋物語がありました、と差し出すだけでよい。それが悲しければ観客は泣き、おもしろければ観客は笑います。怒りを感じることもあるでしょう。あるいはこの「ヘッドライト」でだって、ジャンの身勝手さを責める声があってもいいと思います。クロがあんまり簡単にジャンに身を任せたのが悪いという声もあるかもしれません。でも、わしはこんな恋しかできず、死に別れることになったジャンとクロを悲しい、とても悲しい恋だと思いました。本来の映画の見方というのはそれでいいのではないかと思ったのです。どんなに悲しい出来事であろうと、そこに笑う人はいるだろうし、怒る人もいる。それを製作者が音楽によって誘導することはないのだと思ったのです。
そういうことがわしも、わかるような年になったのだと思いました。ジャンとクロの悲恋を悲しむことができる年になったのだと思いました。
なにより、この映画は大人の鑑賞に堪える映画であり、今時のハリウッドやどこぞのジブリ映画のようなお涙頂戴を安易に誘導する、お子様向けの映画ではないのだと思いました。こんな映画こそ、わしは見たかったのだと思いました。
ただ、わしは映画音楽が嫌いではなく、むしろ好きな方なのです(うちのiPodちゃんにもサントラ多いし)が、好きな映画音楽というのは、その音楽が流れると、その映画の名シーンを彷彿とさせるような音楽でなければならず、見ていて「うるさいなぁ」と思う音楽であってはならないということなのでした。
でも、この映画のように、ここまで禁欲的に、だからこそ、最初と最後の使われ方があまりに効果的な音楽も大好きなのでした。
なんだ、要するに
ジャン=ギャバン最高ってことだ。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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