監督:ジャン=ルノワール
原作:マキシム=ゴーリキー
出演:ぺぺル(ジャン=ギャバン)、ワシリーサ()、ナターシャ()、男爵(ルイ=ジューヴェ)、役者()、ルカ()、宿の主人()、ほか
1936年、フランス
ええと、「どん底」といいますと、大元はロシアの小説なんですが、わし、最初に見たのが黒澤監督の「どん底」でした。で、次に見たのがフランス映画のこの「どん底」です。だから、当然、黒澤監督との比較が頭にあるのですが、こっちのが甘い結末だなぁと思いました。あと、ほとんど密室劇で、木賃宿から舞台が動かない黒澤版に比べますと、こちらの映画は男爵の屋敷からあちこちが出てきまして、そこら辺の動きもおもしろいなぁと思いました。さらに、上で出演をあげた7人が存在感を示していたのですが、黒澤版の場合はもっと多く(わしが役者を知っているせいもあるのでしょうが)、むしろ、やたらに登場人物を増やすことをしないで、出演者を絞る、焦点を当てる人物を絞るというのが黒澤版の「どん底」だと思います。まぁ、先に作られているのはフランスの方なんですが、原作準拠のラストといい、黒澤監督としてはこちらの「どん底」は意識していたんじゃないかな〜なんて思ったり。と言うのも、この「どん底」では、ラスト、ぺぺルとナターシャはどん底を抜け出し、幸せをつかもうとして終わります。でも原作ではそんなことはありません。ぺぺルは宿の主人を殺したことで監獄にぶち込まれてしまってますし、黒澤版でもそれは一緒です。ぺぺルに該当する捨吉(三船敏郎)もナターシャに該当するかよ(香川京子)と結ばれず、牢にぶち込まれて、役者が自殺した〜!ってところで遊び人の陽気なお囃子でエンドです。逆に、そういう甘い展開にしたのが、フランス映画としては珍しいなぁと思うわけで、同じくジャン=ギャバン主演のメロドラマ「ヘッドライト」(テープがまだ見つからない…)では、相手の女性は亡くなっていますから、これは監督の作風なのかもしれないなぁなんて思ったりもしました。むしろ、役者としてはジャン=ギャバンがトップに上がってますが、上流階級でありながら、ぺぺルと同じどん底に落ちてきた男爵の方が、主役というか、狂言廻し的なキャラだったのかなぁなんて思ったりしなくもありません。
で、どうしてここまで改行もせずにだらだら同じ段落のままかというと、黒澤監督との比較をやってたので、改行しなかったのでした。
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