助左は女性が絡まなければ格好いいと思うんだ。
原田喜右衛門が連れてきたマニラ総督の使者は、秀吉の本意を確かめるためであった。再度国書を送りつける秀吉に、そうはさせじと助左右衛門は使者の乗った船を襲撃する。しかし、原田喜右衛門が別の船で出航しており、そちらは見逃してしまう。助左右衛門は木下籐吉郎でもあった秀吉と完全に決別すべく直訴に及ぶが、彼に永楽銭をくれたことを秀吉は忘れており、明や呂宋も征服したつもりになって、助左右衛門に死罪を言い渡す。だが、これを憂えた石田三成が助左右衛門を脱獄させ、自身は朝鮮に向かって、行長に講和を結ぶよう進める。4ヶ月の遠征で兵は疲弊しきっており、釜山を朝鮮軍に奪還されたことで補給路も断たれてしまったのだ。そして助左右衛門は呂宋へ向かう。秀吉の暴挙を止めるために。
歴史とは過去に学ぶことでもあると思います。こんなことやっちゃったから、今回はこんなことはしないようにしよう。誰でも経験があると思います、過去を振り返るって。ところで、第二次世界大戦の日本軍は、そういう学習をしなかったように思いますが、どうなんでしょ? 日本から朝鮮半島にだらだらと長く伸びきった補給路、それを断たれたら、現地の兵がどうなるか。似たようなことをアジア各地に戦場を広げることで日本軍はしてこなかったでしょうか?(あ、それで、現地調達が原則か。そんなことをしたら、いくら口で「五族協和」とか唱えたって無駄だってわかってないのかな〜)
しかし、行長くん、講和のために先陣を任せられたはずなのに、いつの間にか「朝鮮で大暴れ」ってどうよ。おまい、何しとったんだよ。戦功争うのは加藤清正に任せておいて、とっとと和睦を考えろよって気もしますが、ここら辺、いささかわしも事情に疎い上、まったく説明がなされないもんで、よーわかりません。講和を結ぼうと努力してたけど、それには日本軍が敗北しなきゃならなかったから、なかなかそういうシチュエーションに持ってけなかった、ということかもしれません。で、助左を逃がして、自身は朝鮮に向かった三成くんは「清正は俺に任せろ(意訳)」と言って、押さえ込みにかかったようです。たかが船奉行とか言われてますが、知略の人ですね。
しかし、助左を逃がしたことでお咎めは受けなかったのだろうか? ただ、助左にとってはいいタイミングで、秀吉の母親が危篤だってんで、秀吉、大阪に帰りますから、警護とか甘くなってそうです。秀吉が「俺がいるうちに殺せ」とか言い出さないで良かったね、助左。
久々に登場、北政所。秀次に、秀吉に母親が危篤だから帰ってって手紙を書くよう入れ知恵です。しかし、これを自分に都合のいいように勘違いした秀次、政所を怒らせてしまいます。政所にとっては、豊臣家なんてものは秀吉と自分が作ったものなので、秀吉が死んだら後の栄華なんて興味はないんだそうです。だから、別に秀次が継ごうが淀君の子が継ごうがどうでもいいと。これはなかなか天晴れな物言いです。いや〜、ここまで権力に未練のないファースト・レディってのは珍しくないか? どうやら、後に豊臣家が滅亡する際、北政所は淀君を裏切るような形になったと思いますが、これはその行動への布石と見ました。なるほど〜、傍目には女の争い、どっちが世継ぎを生むかって争いに見えるようでも、秀吉のいない豊臣家に政所は興味がないと仰る。やっぱり、この人、好きやわ〜
しかも、桔梗が堺から来たことを知ってますんで、そんな奴(秀次)は放っておいて、一緒に堺へ帰ろうとまで言います。いい女です。秀吉が淀君とかにうつつを抜かしているのが馬鹿っぽく見えます。そう言えば、秀吉は百姓の小せがれでしたが、政所もそうだっけ? 彼女の方が洗練されて見えるのは、そう言えば、信長に手紙もらったりしてたけど、そういう周辺環境でしょうか? 秀吉の正妻として誰にも文句は言わせないわよっていうプライドっていうか。
命がけで日本に残っていたパーデレ・フロイスがマカオに逃げることになりました。きっとこの人の出番はここまででしょうが、助左に与えた影響は少なくありませんな。
そして助左も、小太郎に徐々に影響を与えてるっぽいです。すっかり、助左の小姓と化してるし。
「助左右衛門の船がゆく」で、最近は閉まりますが、助左は、女性が絡まなければ、けっこう格好いいと思いました。
前回、今井家に戻った美緒が今井家の召使いとかに大歓迎されてましたが、宗薫、大元になっても威厳がなさげです。でも、そんな美緒が、今回、台詞もなしで小太郎のものっぽい着物の修繕してるシーンは、なんか切ないです。宗薫のものだったりするのだろうか? 豪商・今井家がそんなことしないか。
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