金石範著。集英社刊。
済州島四・三事件を描いた大河小説「火山島」の続編です。
日本に逃亡した南承之(ナム=スンジ)を主人公に描きますが、正直な感想は蛇足です。というのも、「火山島」の主人公だった李芳根(イ=バングン)が亡くなっていること、南承之が内省的すぎて同じところで堂々巡りしている感じが強いことの2点が特に不満に感じました。
次々に殺されていったゲリラたちのなかで李芳根の力で生き延び、日本に逃げた南承之が、ずっと「豚なんだよ」とつぶやき続ける、それは息子が生き延びたことを喜ぶ母や妹、親戚にであり、日本に連れて来た韓大用(ハン=テヨン)にであり、李芳根を失ったことをいちばん共感できるであろう有媛(ユウオン)にでもあります。李芳根を失い、梁俊午(ヤン=ジュノ)を失い、康豪九(カン=モング)を失い、名前も知られていないゲリラたちを失った南承之にしてみれば、自分一人が生き延びたところで何になるだろうという思いがあるのもわかるのです。戦いに敗れ、二度と故郷に帰ることができなくなってしまった思いもわからなくはない。でも、それでも李芳根が南承之を助けたのは、彼が大切な友人だからであり、虐殺の島から逃亡することはそれもまた戦いであると知っていたからではないのでしょうか。背中の形が変わるほど激しい拷問を受けた南承之に、まだ戦えとは酷な話でしょうか。でもそれが生き延びた者の責務でもあるのではないかとわしは思うのです。なぜなら、南承之が戦いを辞めれば、済州島で殺された大勢の人たちの死はそれこそ犬死になってしまうからです。
でも南承之は、ただ「豚なんだよ」と独白し続けるだけです。韓大用が聞けば、しかり飛ばしたかもしれない。有媛が聞けば、兄の死を嘆いたかもしれないし、南承之の気持ちをなだめられたかもしれない。ですが南承之は決してその心中を打ち明けません。どうせ誰にもわからないと思っているのでしょうか。もちろん軽々しくわかると言えるような話ではありません。あるいは南承之たちがなめた地獄は誰にもわからないかもしれません。それでも、人はわかろうと努力するのであり、わかりたいと思うのであり、南承之が誰かに話すことは決して無駄ではないはずなのです。でも、そうしない。一切、しない。ただすねている。それで有媛とも疎遠になっていってしまいます。李芳根の自殺がそれだけショックだったのでしょう。もともと有媛とはただの同級生だったのを李芳根が結びつけたという作為的なきっかけではありましたが、あれだけときめいていたくせになぁとがっかりでした。もっとも、南承之にしてみれば、李芳根の自殺があるので有媛とこれまでどおりにおつきあいというのはしづらいのかもしれませんが、それで親戚の家に以前出入りしていた幸子(ヘンジャ)と結ばれるのも、有媛は豚である自分にはふさわしくないが幸子ならばいいと考えたのかと思うと、また腹が立つのでした。残念ながら有媛に対峙するほどには幸子が魅力的ではないためもありますが、例に「豚なんだよ」というつぶやきは誰と話していても出てくるわけです。ならば南承之としては同じ朝鮮から逃亡してきた身ではありますが音楽家の道に邁進する(であろう)有媛に自分はふさわしくないと考えて幸子を選んだと読めるわけなのです。それは幸子に対して失礼であろうと、わしは思ったのでした。
李芳根の自殺を知って衝撃を受ける南承之。有媛は兄の死を実家から知らされていましたが、それが事故死ではなく自殺ではないかと推測していました。そもそも済州島のような田舎で事故死なんて起きるはずがないし、兄の気性を知り尽くしていた有媛には自殺の方が納得できたようです。それに2人は李芳根が自殺した晩に、似たような夢を見ていました。それは、李芳根の死を暗示するような内容でしたが南承之は有媛が見た夢を聞くだけにし、自分の夢は話そうとせず、李芳根の自殺もはっきりと言わずじまいで終わります。同時に済州島を巡るこの長い物語も終わりを見るのです。
考えてみたら、南承之は日本からソウルに帰った時に引きこもりになりかけていて、もともと内省的な性格なんですよね。だからこういう展開になったのも無理はないのかもしれないし、そんな英雄的な活躍なんて期待しているわけではないので、もう少し頑張ってほしかったなぁと思いました。ただ生き残ったのが李芳根や梁俊午、康豪九だったらどうかと思わなくもありません。
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