監督:ユン=ジェギュン
出演:ドクス(ファン=ジョンミン)、ヨンジャ(キム=ユンジン)、ダルグ(オ=ダルス)、ドクスの父(チョン=ジニョン)、ドクスの母(チャン=ヨンナム)、ドクスの叔母(ラ=ミラン)、クッスン(キム=スルギ)、ナム=ジン(ユンホ)、ほか
見たところ:横浜シネマリン
韓国、2014年
泣いて笑って、また泣いて大笑いして、最後にまたまた泣けるという忙しい映画です。
釜山に住むドクスはコップンの店を経営する頑固爺。妻のヨンジャと弟夫婦や妹夫婦、家族を持つ子どもたちに囲まれて暮らしているが、店は立ち退きを迫られている。親友のダルグはとっくにビルのオーナーになった。だがドクスには店を手放せない理由があった。そしてドクスは朝鮮戦争ただ中の1950年からの日々を懐かしく思い出すのだった…。
以降、激しくネタばれしているので、一応、公開中の映画につき、隠します。
スタートは1950年。朝鮮戦争が始まり、中国軍が迫ってきたために咸鏡南道に住んでいたドクスの家族(両親、妹2人、弟)は興南の港に逃げます。この時、戦車などを積んでいたために避難民を乗せる余裕もなかった国連軍でしたが、戦車を捨てることで避難民を乗せるという人道的な策をとり、ドクスたちも船に乗り込んだように見えましたが、妹を背負ったドクスが妹を励まして手を取った時、何者かが妹を引っ張り、ドクスは妹を見失ってしまいます。ここで父親はドクスを「俺がいない時はおまえが家長だ」と言って船を下り、妹を探しに行きますが、「すぐに追いかけるから」という台詞を残して生き別れになってしまうのでした。
ここで滂沱 。・゚・(ノД`)・゚・。
そもそも朝鮮戦争はアメリカとソ連の縄張り争い、代理戦争です。それもこれも日本が朝鮮を植民地にしたからであり、朝鮮には自力で独立を果たす力がなかったのをいいことに北をソ連、南をアメリカが占領、敗戦した日本以上の冷遇を受けます。一度は朝鮮人民共和国の樹立が宣言されましたが、アメリカによって否定されてしまったからです。つまり、ドクスたちの悲劇は大元をたどれば日本に全面的に非があるわけでして、そこら辺から駄目でした。
それでも釜山にたどり着いたドクス一家は叔母コップンの店に居候します。冒頭のドクスが経営するコップンの店というのは、もともとは叔母の店だったのでした。叔母さんはいい人ですが、叔父さんがどうしようもない飲んだくれで、嫌な奴の出てこない話のなかで、唯一、ドクスにいいことを1つもしてくれません。どうして、こういう人物にしたのか…
ドクスは妹を背負って小学校に通います。その時、席が隣同士だったダルグと生涯にわたっての親友になります。大きなほくろが印象的な名バイプレイヤーです。
そして、ドクスは家計を助けるためにダルグと一緒に靴磨きをします。
しかし、1953年、朝鮮戦争が休戦、ドクスたちは故郷の咸鏡南道に帰れなくなってしまうのでした。
1963年になって、青年になったドクスですが、港で空き箱を運んでいたりと、あまりいい職に就いていません。それなのに弟のスンギュがソウル大に合格したというので金がかかります。ダルグの誘いでドクスは西ドイツの炭鉱に出稼ぎに行くことにするのでした。この時、厳しい試験が課せられますが、ドクスとダルグはとっさに大韓民国の国歌を唄うことで合格をもぎ取ります。
このエピソード、実際にあった炭鉱夫と看護師の出稼ぎだそうです。もともと、わしはこの映画はキム=ユンジンさんのお名前を拝見したので見ようと思ったのですが、チラシを見る限り、ヒロインなのはわかりきっていました。でも、ドクスは西ドイツに行っちゃったし、どこで会えるんだろうと思っていたら、彼女は看護師で、やっぱり西ドイツへ出稼ぎに来ていたのでした。見事なボーイ・ミーツ・ガールです。
その後、2人はデートを重ねて親交を温めますが、ドクス同様、ヨンジャにも仕送りを待つ家族がおり(そのわりには一回も出てきませんでしたが)、3年経ってドクスのビザが切れる時になっても、一緒に帰るわけにはいかないのでした。
しかし、ドクスが釜山に戻ってから間もなく、ヨンジャが釜山に現われ、帰る前にたった一度だけ持った関係で妊娠してしまったことが発覚、でも好き合ってる仲なんで、めでたく結婚します。
話が前後しますが、炭鉱で事故が起きた時、ドクスとダルグが取り残されてしまいます。西ドイツの監督はガスのせいで危ないと言い、ドクスの同僚たちに捜索を許可しませんが、ここでヨンジャが飛び出し、熱弁を振るったおかげで、彼らは無許可で炭鉱に戻り、無事にドクスとダルグを助けるのでした。ここのヨンジャの熱弁にまた滂沱 ( ´Д⊂ヽ
さらにドクスとダルグを助けに行って、無事に2人を連れ帰る仲間の姿にも涙を誘われてしまいます。
さらに時は流れて1973年、ドクスは苦労して勉強を続けたおかげで海洋大学に合格しました。しかし、店を譲ってくれると言っていた叔母が急死、残された飲んだくれの叔父は自分の生活費のために店を売ろうとします。このおっさん、出てきた時から飲んだくれで働いたことがありません。ですが、店は叔母がドクスにやろうと言っていたものだったのです。ドクスは叔父から店を買い取ることにし、さらに適齢期を迎えた妹のクッスンが兄(スンギュ)に負けず劣らぬ結婚式をやってもらいたいと我が儘を言い出したため、ドクスはダルグを誘ってベトナム戦争に民間技術者として従事することになります。
ヨンジャは激しく反対しますが(途中で国民儀礼と呼ばれる国旗に敬礼するエピソードなんかも挟まれ)、ドクスはベトナムに向かいます。そして、「苦労するのが自分たちで良かった。子どもたちにはこんな苦労を負わせたくない」とヨンジャに手紙を書きます。ここでも滂沱 ( ´Д⊂ヽ
やがて戦闘に巻き込まれたドクスとダルグを助けたのは人気歌手のナム=ジンでした(その前に現代のエピソードでドクスが歌手はナム=ジンだと力説する)。ベトコンに追い着かれて激しい戦闘になり、ドクスは足を負傷します。しかし、生き別れにならんとしていた幼い兄妹の姿は、妹のマクスンを失ったドクスにはどうしても救ってやらなければならないものだったのです。
ドクスに代わって店を守るヨンジャのもとに松葉杖をついたドクスが帰還します。怪我を負ったドクスに泣きつくヨンジャの姿に、一緒にもらい泣き ( ´Д⊂ヽ
もっとも、一緒に行ったダルグは避難民だったベトナム美人とちゃっかり結婚、新聞にも「韓国初の国際結婚」と載ってしまいます。わりと貧乏くじを引きやすいドクスと違って、ダルグはこういう器用さが目立つ気がしますが、お互いになくてはならぬ親友同士、ダルグのエピソードに爆笑しつつ、その友情にまた涙がこぼれるのでした。
さらにさらに時は流れて1983年、朝鮮戦争で生き別れになった家族の再会事業が国をあげて始まります。家(西ドイツに出稼ぎに行った時に買った一軒家ではなく、年老いたドクス夫婦が暮らすマンションぽいところ)でテレビ番組を見つめる母、スンギュ、クッスン。ヨンジャは店番です。
釜山からソウルに向かったドクスとダルグは、父と妹を探します。ちなみにダルグは純然たる釜山ッ子なので、あくまでもドクスのつき合いですが、そういうつき合いの良さがダルグのいいところです。
まずはテレビに映ったドクス、父と妹の情報を書いた紙を持って説明します。司会があっさり流そうとしたところを引き止めて、ドクスは自分の手の中に唯一残った妹の手がかり、ちぎれた袖口をテレビに映します。
一度目は父かと思われた人物でしたが、名字が違っていたために別人でした。
落胆するドクスに二度目の報せ、これがロサンジェルスからでした。映し出された中年女性は、ドクスの「妹の名はマクスンです」という言葉にも反応しません。幼くして養子になり、アメリカに渡ったもので、自分の本名も両親の名も、もちろん住んでいたところも覚えていないというのです。ですが、ドクスが妹に行った「僕たちは遊びに行くんじゃない」という言葉でマクスンという確信が強まり、彼女が出した小さい頃に着ていたという着物がまさにそのもので、とうとうドクスはマクスンと再会するのでした。ここでまた滂沱 。・゚・(ノД`)・゚・。
ただ、ここでマクスンが「お兄さん、どうしてあの時、私の手を離したの?」と言うのですが、ドクスが妹と別れた時の演出は、明らかにドクスが背負ったマクスンを、後ろから伸びた手が引き離していました。確かに、そうされる直前、ドクスは背負ったマクスンの手を取って話しかけますが、そもそも縄梯子を登っているという状況なので、ドクスは基本、妹を背負っているので、ドクスが手を離したというのはあんまり当てはまらないと思うんですが、なぜかドクスも「手を離して悪かった」と言っているので、これは最後にマクスンの手を取った時のことを指していたのかもしれません。
マクスンは釜山を訪れ、30年ぶりに母や弟妹とも再会します。以後、ドクス一家との交流は、遠いロサンゼルスながらも続けられるのでしょう。
そして現在、母の命日で集まったドクスの弟妹たちとの賑やかな食事の途中でドクスは席を立ちます。ドクスは父のことを思い出していました。
父は「俺がいない時はおまえが家長だ」と言って別れました。ドクスが家族のために身を粉にして働いてきたのは、ひとえに家長としての務めを果たすため、父との約束を守るためでした。ですが、弟や妹はとっくに結婚し、家族をかまえ、ドクスの子どもたちも独立し、家庭を持ちました。ドクスは父に呼びかけます。「父さん、家族を守れっていう約束は果たしたよ。マクスンも見つけた。十分に頑張っただろ。でも、本当に辛かった」そう言って、あの興南の港で父が着せてくれたコートを抱きしめて泣きじゃくるドクス。こっちも涙が止まりません 。・゚・(ノД`)・゚・。 その時、表れた父の幻は、子どもに返ったドクスを強く、優しく抱きしめてくれるのでした。
ドクスのなかで父の言葉が蘇ります。「生き延びたら国際市場のコップンの店で会おう」と。ドクスが店をかたくなに売らなかったのは、父を待つためでした。でも、もう父に会うことはないでしょう。そうと納得して、ドクスはヨンジャに「店を売ろう」と言います。愛し合う2人の眼差しの先には、国際市場を含んだ釜山の町並みが広がっていました。
監督は「ALWAYS 三丁目の夕日」に共感したそうですが、わしが思うに、あっちは「30年代良かったなぁ」というノスタルジー一色の映画で、こちらは「とある父親の人生で綴る韓国史」です。なんというか、最近、特に日本を持ち上げるとか、日本のいいところとか、自慰番組多いですが、わしに言わせると「ALWAYS」はその走りと言ってもいい映画ではないかということです。「失われた20年」とか言われているように、何か自信を失った日本人に自信を取り戻させるとか、根本的に間違っていると思うのですが誇りを取り戻させるとか、そういうたぐいの映画だと。そういうノスタルジーべったりの映画とは一線を画す映画だと思うのです。
朝鮮戦争、西ドイツへの出稼ぎ労働、ベトナム戦争への参戦、そして離散家族の再会と、ドクスにまつわるこれらのエピソードは、「旧き良き日本」なんてちゃちなものは軽く吹き飛ばす重さがあります。そもそも日本が植民地にしなければ朝鮮戦争なんて起きていなかったかもしれません。日本ではベトナム戦争は遠い国の戦争でしたが、米軍基地のある沖縄ではベトナムの人を殺すために基地が使われているという支援でもありました。そして、アメリカに占領された日本は朝鮮半島のように分断されることもなく、離散家族という事態にもお目にかからずに済みました(中国残留孤児の問題はありますが、日本全土でもありません)。
植民地からの解放を自力で成し遂げられなかったために、国土が分断され、今もって統一されない朝鮮半島。その過去を、ドクスに託して振り返ることは日本人が「ALWAYS」を観て涙ぐむこととはわけが違う。わしはそう思います。
韓国での動員数歴代2位という記録を打ち立てた本作ですが、第1位はなんぞねと思って調べてみたら、チェ=ミンシクさん主演の「鳴梁〜渦巻く海」だったことをはけ〜ん ガ━━━(゚Д゚;)━( ゚Д)━( ゚)━( )━(゚; )━(Д゚; )━(゚Д゚;)━━━ン!!!!! 去年公開だったのに見損ねとる… orz
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