五味川純平著。三一書房刊。全3巻。
完結編です。
とうとう梶の部隊はソ連との戦闘に巻き込まれます。しかし、圧倒的な物量をもって攻めてくるソ連軍になすすべもない日本軍は呆気なく敗北、梶の部隊も160名中、わずか4名の生き残りをもって壊滅します。残ったのは寺田、野中に、別の小隊だった山浦です。本来ならば上官である野中が指揮を執るところでしたが、これが優柔不断なおっさんで、あっさり梶に先導され、以後、その不満を抱えながら、それでも自分一人では何もできずについて行きます。寺田と山浦は二等兵なので梶に従い、軍国青年だった寺田は梶に再三、命を救われたこともあり、恩義を感じるようになっていきます。
以後、第5部は全部、第6部も梶たちの逃避行に費やされます。たまに梶を待つ美千子や、召集されずに済んだ沖島も登場します。沖島はあんまり変わってなくて、美千子がだんだんたくましくなっていきます。やっとヒロインらしくなった感じですが、梶にとっては唯一無二の生きる希望であるのは変わりません。
しかし、逃げる途中で梶はいくつもの殺人を犯します。梶は、そもそも心情的には赤軍に共感するところが大きいのですが、捕虜として捕まるのをよしとしないため、それだけ自由を渇望する気持ちを強いため、銃をなかなか手放しません。それは結果として、いままで日本人に虐げられてきたために敵対的になる中国人を殺し、ソ連兵をも殺してしまうのです。そこら辺の自由に執着する感じが仲代のイメージもあってぎらぎらとしてて、はまり役だと思います。ただ、そうすることで梶はだんだんと心情的に追い込められている感じもあり、最終的には匪賊同様にまで堕ちていきます。
結局、梶たちは避難民が集められた集落に到着した後、襲撃しようと包囲した赤軍を撃退しようとして、日本兵が去ったら、残った避難民たちが何をされるかわかったものじゃないという避難民の女性の訴えに、初めて銃を捨て、ソ連軍の捕虜となりました。
ただ、ここでも道理というか、何しろ水に棹さす生き方の梶なので(軍国主義が相手ではしょうがないのですが)、日本軍の階層そのままに捕虜を支配するソ連軍のやり方に最終的には反発し、寺田を殺されたことがきっかけで逃亡します。いっそ、シベリアにでも送られていれば、梶も生きて日本に帰ることができたかもしれませんが、とことん不器用な人です。
とうとう最後は美千子の待つ(と梶が考えていた)老虎嶺(だと思ったどこかの山脈)を前にのたれ死んでしまう梶。
あの時代に人として生きようと思ったら、新城のように逃亡するか、小林多喜二のように殺されるしかなかったのかもしれないと思います。そういう意味では搾取する側に立ち続けて、人としてあろうとする梶のやり方は最初から難しいもので、失敗も見えていたのかもしれない。兵隊にされてからも梶は反発し、逃亡一辺倒の新城を卑怯者と批判して、軍隊に残って人間らしく生きようとしましたが、それらはたいがい徒手空拳で、あんまり効果はあがりませんでした。日本軍というのは世界でも稀に見る人間性を殺す制度なんで、無理もないのですが。ただ、第1部から日本が負けるということを確信している梶と違って、新城はお兄さんが思想犯だというんで世間からつまはじきにされてきた人なんで、逃げるしかないと思い込むに至ったのは、梶のように「卑怯者」と言うのはできないなぁと、ちょっとどころかだいぶ同情して読んでましたが。
だから、梶はずいぶん人間的な人物ではあるのだけれど、その分、中途半端にも見えて、第4部まではそれでも良かったのかもしれないけれど、第5部にいたって、逃げる途中で人を殺すという罪を犯し続けるのは、梶自身の自由への執着がそれだけ強かったんだろうけれど、そうまでして自由でなければならないのかとか、誰かに問いかけて、梶も立ち止まって考えてもらいたかったようにも思いました。
ただ、梶自身は自分を後戻りがきかないところに追い詰めてしまう性格であることは第1部から描かれてきたので、ラスト、梶が美千子と再会してハッピーエンドは想定できないけど、だったらまだ救われるなぁと思いながら読んでいたら、のたれ死にだったので、こうなるしかできなかったのかな、この人はとも思います。待っている美千子が不憫だと思いましたが、器用に立ち回って生き延びる梶に惚れたわけでもないだろうし、こういうラストにしかなりようがないのかと…。
映画でも同じような結末だったのかと、宮口さんの王亭立がどんなだったのか気になる。
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