船戸与一著。新潮文庫刊。全3巻のうちの1巻目。
それまで海外が舞台の小説を書いていた著者が、おそらく初めて日本、過去の日本を舞台にした小説。タイトルに「蝦夷地」とあるように舞台は現在の北海道と北方領土、さらに遠きエカテリーナ2世の頃のロシアや、ロシアに踏みにじられたポーランドなども臨むに及んで、著者らしい壮大なスケールで展開する国後・目梨の乱であります。
視点は6人。鎌倉から来た僧侶・洗元、アイヌの脇長人・ツキノエ、その孫のハルナフリ、旗本の次男坊・葛西政信、松前藩の家老・新井田孫三郎、ポーランド救国貴族団の一員ステファン=マホウスキ。とある英雄の信奉者じゃない、一方的な視点じゃない、というところが船戸小説の醍醐味でありまして、多種多様な登場人物たちを前に、読者は好きな視点に感情を移入して楽しみ、笑い、怒り、泣くことができるのではないでしょうか。
物語はロシアに吸収された祖国ポーランドを救うため、その貴族だったマホウスキが、ロシア政府の眼をヨーロッパから極東に向けさせようとして、そのはしりとして、日本人に抑圧されるアイヌたちに鉄砲を渡そうと暗躍するところから始まります。もう、極東の小さな島国、その北にある蝦夷地でのことが、いきなりユーラシア大陸をまたにかけた大きさに展開しちゃうところからわくわく感が止まりません。
しかし、そのアイヌたちに目を向ければ、本州からやってくる日本人(話中では和人)たちに抑圧され、痛めつけられ、いいようにされているという現実があり、わしもまたその抑圧した側の子孫なのだという恥ずかしさがこみ上げてきます。そして、アイヌの英雄シャクシャインの再来とも言われるツキノエと、その孫のハルナフリの視点で語られる段になりますと、判官贔屓も手伝って、彼らアイヌたちが和人たちを打ち破ってはくれまいかとまで思い始めますと、船戸ワールドにどっぷり引き込まれているのです。
ところが、その一方で、松前藩という小さな藩が生き延びるためにもがいており、またアイヌに偏見を持たぬ洗元の眼差しによって、人と人とが共存していくためにはまず武器を捨てなければならないのだと思わされ、ハルナフリが聞くたびに心躍るというポンヤウンペ・ユーカラが聞こえるように思い、そんな時、まるで日本とは関係ないと思われているロシアとトルコの戦争が、マホウスキたちの手によって結びつけられ、つむがれていく歴史絵巻は、次第に暗さを見せ始めるのでした。
マホウスキがツキノエに約束した300挺の鉄砲。それがなければ和人たちをアイヌモシリから追い出すために立ち上がらないと宣言したツキノエ。その誰よりも強かった意志と誇りとが、マホウスキたちが頼みにしていたロシアの将軍が失脚することで砕け、崩れ、アイヌたちが殺されていくクライマックス、若木のようにしなやかで、はつらつとしていたハルナフリが葛西政信が言うように「蝮のように」変貌していくラストに至る時、こんな物語を紡がせてしまった日本人としての罪深さにおののかずにいられないのです。
間違いなく船戸小説の最高傑作の一本。
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