監督(ともに):呉充功
製作(ともに):麦の会
1983年、日本(「隠された爪跡」)、1986年、日本(「払い下げられた朝鮮人」)
今日は関東大震災から丸90年です。そしてその日、被災地一帯で大勢の朝鮮の人びとやアナーキスト大杉栄夫妻が殺されたことは、もはや白日の下にさらされた事実と言ってもいいと思いますが、その詳細、犠牲となった方々の氏名や加害者の氏名などがわかっていないのも、いまだに強制連行された朝鮮や台湾などの方々の氏名が全てわかっていないのと同様、まことに日本的な無責任な話だと思い、私はそのことを思うと申し訳なさにいつも身の縮む思いがするのです。たぶん、私が朝鮮半島の人びとや中国の人びと、戦争中、日本の占領下にあった東南アジアの人びとに対していつも思うのは、日本という国が未だにきちんと謝罪をしていない、頭を下げていない、金を払っていないということへの申し訳なさが先に立ってしまうので、尖閣諸島にしても竹島にしても、日本が強気でいるのが釈然としないのです。どうして、あんなに酷いことをした国々に全てを水に流して笑っていられるのかわからないのです。私だったら、そんなことを許せない。そんなことを許さない。恨んで憎んで、一生引きずり続けるだろうに、何でそんなことができるのかがわからない。未だに続く朝鮮半島の人びとへの差別も、中国の人びとへの差別も理解できないのです。だから私は南京や哈爾浜の郊外にあるという731部隊の跡地へ行きたい。行かなければならない。人間が人間に対して、決して許されないことをしたことの謝罪をしなければ気が済まない。ソウルへ行きたい。ナヌムの家へ行きたい。謝らなければ、私は朝鮮半島の人びとや中国の人びとと笑ってつき合えない。人間として、それだけは許されない。そう思います。
そういう理由で、9月1日限定上映の「隠された爪跡/払い下げられた朝鮮人」を観に行ってきました。最近の作ではなくて、1980年代という、関東大震災の証言を集めるにはぎりぎり証人たちが生きていた時代なのだろうと思います。たぶん、「隠された爪跡」の主役と言ってもいい曹アボジも、おそらくは100歳越の超高齢、もう生きてはおられないだろうと思いました。故郷で食い詰めて朝鮮半島から日本へ渡ってきた曹アボジ。でも、その当時の日本は日露戦争、第一次世界大戦の戦争景気が終わり、米騒動のまっただ中で、曹アボジのような朝鮮の人びとはバラックに押し込められ、日本人の半分以下の賃金で働かせられるという、決してアボジが故郷で聞いた「日本に行けば、毎日白い米が食える」などという夢の世界ではなかったのです。しかもアボジが日本に来たその年、東京を襲った未曾有の大震災は、9万以上の犠牲者を出した上に、「朝鮮人が襲ってくる」というデマに騙された人びとと最初からその機会を狙っていたとしか思えない日本軍によって当時、関東一円に住んでいた1万5000人以上の朝鮮の人びとのうち、約3/5、6000人以上の人びとを無惨に虐殺させたのでした。この時、新聞がデマを広げるのに積極的な役割を果たした上、そのトップが何の反省もなく、戦後ものうのうと生き延びているという事実を私たちは忘れてはいけないと思うのです。
さらに証言は今となっては聞くことも難しい、一次資料、いわゆる直接虐殺の現場を目撃した人びとの話を出します。
その間に挟まれる奇跡的に生き延びたアボジの話もあり、被害者の側と加害者の側と、さらに陸軍や警察の日記や証言などによって、朝鮮の人びとが東京のあちこちで殺されていくさまを浮き彫りにしていきます。
また、話の最初で、1980年当時の荒川河川敷に埋められたという朝鮮の人びとの穴を探して発掘調査も始まっていますが、これは3日間という限られた日数であったためと、1980年代でさえ60年以上も経ってしまっていたという時間の長さのために、不発に終わってしまいます。
エンディングで殺された場所と人数がずらずらと上がるのですが、人口の多い東京よりも神奈川の方が多いことに驚きました。というか、神奈川では鶴見の警察署長とかが身体を張って朝鮮の人びとを守ったという話も聞いていたんですが、6000人も殺された状況では焼け石に水っていうか、シンドラーっていうか… それにうちの地元の駅前でも30人殺されたと聞いて、一応神奈川県民としては、がっかり度が半端ないです。
もう一本の「払い下げられた朝鮮人」はいわば、「隠された爪跡」の続きです。東京で囚われた朝鮮の人びとは、保護の名目で習志野の捕虜収容所に押し込められることになりました。そこは日露戦争、第一次世界大戦の時にロシア人の捕虜を主に収容していたのです。でも、その近くの警察で働く元警察官の人は、収容された朝鮮の人びとの数字が日々、合わなくなっていくことに気づきます。軍が地元の自警団に朝鮮の人びとを2人、3人と「払い下げ」て、殺させていたからだったのです。
今度は、そうした事実を目撃した人びとや、実際に自警団にいて、殺害に携わることになった人びとの証言、日記、さらに殺害現場の様子や供養塔、それらの朝鮮の人びとの遺骨を納めるお寺の住職などの証言から習志野周辺で起こった、朝鮮の人びとを虐殺する続きが描かれます。また、そのことを知った韓国の劇作家の方や、その劇を上映する劇団の方々による慰霊のための鐘撞き堂の建設と慰霊祭の様子なども描かれます。
どちらのドキュメンタリーも今となっては得られない貴重な証言の数々で、できたら映画などではなく、テレビというもっと大勢の人が見られる環境で流してもらえたらいいのにと思いました。自分たちの罪深さを見るといいと思いました。でも実際に、こんなドキュメンタリーを流したら、馬鹿右翼から非難囂々浴びるのは100%間違いなしです。そして、こういうドキュメンタリーを流す度胸のあるテレビ局があるとも思えません。
やはり、この国のあり方は間違っていると、そう思わずにいられませんでした。
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