監督:押井守
出演:草薙水素(菊池凛子)、函南優一(加瀬亮)、土岐野尚史(谷原章介)、三ツ矢碧(栗山千明)、笹倉永久(榊原良子)、ほか
見たところ:ワーナーマイカルつきみ野
これはラブストーリーである。
以下、例によって絶大にネタばれしているので、まだ見ていない人のために隠す。
原作を読んでみようと思ったよ。
我々の世界とちょっと違った歴史を歩んできた世界。キルドレと呼ばれる永遠の命と思春期から決して成長しないパイロットたちが戦争という命がけのゲームを行い、人びとはそれを見て、平和の大切さを思い、享受する世界。
物語は戦争の片翼を担うロストック社の基地に、函南優一(かんなみゆういち)というパイロットが着任してきたところから始まる。基地にいるのは司令官の草薙水素(くさなぎすいと)、同僚は土岐野尚史(ときのなおふみ)、湯田川亜伊豆(ゆだがわあいず)、篠田虚雪(しのだうろゆき)の3人、それにパイロットたちから信頼を寄せられている女性の整備主任・笹倉永久(ささくらとわ)らである。優一は乗ってきた飛行機を取り換えるように言われるが、通常あるはずの前任者からの引き継ぎもなく、草薙も笹倉も説明を拒み、それなのにその機体に優一はごく自然に馴染む。同室の土岐野は優一を連れてダニエルズ・ダイナーに連れていき、そこのミートパイが美味いと紹介する。初めて食べるはずなのに、どこかで食べたような味だ。ラウテルン社との戦争はロストック側の有利に進んでいたが、ある日、同僚の湯田川が、ティーチャーと呼ばれる敵パイロットに墜とされてしまう。パイロットが3人に減ってしまった基地では、元エースパイロットの草薙も飛行機に乗るようになるが、彼女はティーチャーを倒すことに異常なまでの執念を燃やしていた。そんな草薙にひかれていく優一。やがて大規模な作戦が展開され、草薙、優一、土岐野は生き延びるが、篠田は墜とされてしまう。だが、基地に新しく赴任してきたパイロットは湯田川そっくりの外見と、そっくりの癖を持っていた。蘇ってゆく優一の記憶。全てを知った優一は、たった一人でティーチャーに挑む決心をするのだった…。
長々と粗筋を書きました。
一見、主題は戦争のようです。ショウとなってテレビ中継される戦争。人びとが平和を忘れないために決して終わってはならない戦争。そのために作られたパイロット、永遠に死なず(撃墜されれば死にますが)、思春期から永遠に歳を取らないキルドレたち。それでいて、3DCGを駆使した戦闘は迫力がありますし、迫真に満ちております。アニメ調のキャラたちに比べると、まるでそこだけ別世界。
実は最初、このギャップが気になったんですが、見ているうちにこれはわざとだな、と思いました。押井守監督、確信犯でやっとるんだな、と思いました。
だってこの世界では、戦闘は迫真に満ちており、パイロットは本当に死ななければならないのです。人びとはテレビで戦争を見ます。まるで湾岸戦争からこっち、わしらがテレビの中で戦争を見ていたように。1つ違うのは、この世界の戦争には終わりがないということです。ロストックとラウテルン、どっちが勝ってもいけない。戦争は決して終わってはならない。なぜなら、作中で草薙が言うように
「戦争はどんな時代でも完全に消滅したことはない。それは、人間にとって、その現実味がいつでも重要だったから。同じ時代に、今もどこかで誰かが戦っている、という現実感が、人間社会のシステムには不可欠な要素だから。そして、それは絶対に嘘では作れない。戦争がどんなものか、歴史の教科書に載っている昔話だけでは不十分なのよ。本当に死んでいく人間がいて、それが報道されて、その悲惨さを見せつけなければ、平和を維持していけない、平和の意味さえ認識できなくなる…」
からなんであります。だから、戦闘機の戦闘シーンはリアルでないといけない。その舞台となる空の美しいこと、それは嘘ではいけない。だから、キャラと戦闘機、風景にはギャップがあるのではないか、と思ったわけです。
でも、実は戦争は主題ではない。リアルな戦闘シーンさえ、この映画にはおかずに過ぎない。主食は人間、それも永遠に思春期のままで成長することのないキルドレたちです。成長することはありませんが、酒も飲むし、煙草も吸う。女も抱くし、草薙にいたっては子どもさえ産んでます。キルドレというのは本来、遺伝子抑制剤みたいな薬の名前で、キルドレたちはその薬を飲んでいるから(あるいは飲んだから、か作中では記されませんが)キルドレなんですね。だから、キルドレの草薙が産んだ娘はすくすくと育っている。
だけど、それならば、それだから、キルドレって何なんだろうと思うわけです。戦争を演出する道具、部品に過ぎないのかと。キルドレたちには心もあり、作中で優一の同僚となった別基地のエースパイロット三ツ矢碧は悩みさえするのに、草薙は墜落した兵士を「かわいそうだ」と言うふつうの人間に「かわいそうなんかじゃない」と言うのに、キルドレたちの日常は決して変わることがない。永遠に続く戦争。
そして、戦死だけがキルドレたちを解放するのかと思いきや、湯田川にそっくりな合原により、優一はキルドレが死んでも別の名前で生き返らせられることを知ってしまう。
その瞬間、物語の最初から抱いていたいろいろな疑問が解消していくのです。ああ、だから優一は初めての機体を乗りこなせた。だから優一はダニエルズ・ダイナーのミートパイが好きだった。フーコは優一を知っていた。草薙は優一を知っていた。草薙は優一の前身、栗田仁朗を愛していた。愛していたから仁朗を撃ったのに、殺したのに、仁朗は優一となって帰ってきた。だから、草薙は優一に問う。「殺してほしい? それとも殺してくれる?」それでも草薙はすでに知っている。殺したはずの仁朗が優一となって帰ってきたことを。おそらくはキルドレである自分もそうなることを。
けれど、仁朗が草薙に殺されることで終わったのに対し、優一は別の選択をしました。「何かを変えることができるまで君は生きろ」と言って、たった一人でティーチャーに挑む優一の、こんなモノローグで終わります。
「いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことができる
いつも通る道だからって景色は同じじゃない
それだけでは、いけないのか
それだけのことだから、いけないのか」
ラスト、優一は今度は柊勇(ひいらぎいさむ)となって基地に戻ってきますが、草薙は優一に対したのとは対照的に、眼鏡を外し、笑顔さえ浮かべて彼を迎えます。「あなたを待っていた」と言って。
これは愛の物語であると同時に、押井監督からの若者へのメッセージでもあります。優一の最後のモノローグに、「いけなくないのだ」という答えがあるように、閉塞的と言われるいまの若い世代へ託されたメッセージの物語です。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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