山本周五郎著。新潮文庫刊。
さぶと栄二という対照的な二人の若者を主人公に青年の挫折と成長とその友情を鮮やかに爽やかに描いた著者晩年の傑作です。
つい数年前、藤原竜也=栄二、妻夫木聡=さぶで映画化されましたがやはりミスキャストの感はぬぐえません。特に著者が好いたであろうさぶのキャラクターはツマブッキーでは無理難題。あの朴訥とした、それでいて誠実な、どこまでも誠実であろうとするさぶは、もっと顔の知られていない若手がやった方がずっといいんじゃないかと思います。
と言うぐらい、タイトルロールであるさぶのキャラクターが際立っておりまして、正直、実質的な主人公である栄二は作中でヒロイン、おのぶにも言われるように傲慢な、恵まれた存在だったりします。物語の流れは始終、栄二を中心に進み、うっかりするとさぶは何十ページも出てこなかったりするんですが、それなのにその栄二を支えようとするさぶが登場すると、それだけで場面の主役をかっさらうという存在感があるのでした。
逆に栄二の方には両親こそいないものの、目端の利くすばしこさと利口さを持ち、女性に好かれ、職人としての前途もりゅうりゅうです。物語は、そんな栄二が盗人の疑いをかけられたことで馴染みの店に出入りを禁止になり、人間不信に陥り、人足寄場に送られていくところを丁寧に描きます。栄二は自分を疑った大店の主人や、師匠、さらには彼を打った岡っ引きなどを強く恨み、復讐を誓いますが、人足寄場という、牢ではないけれども娑婆でもない、ちょっと特殊な環境に置かれることで、彼と同じように、あるいは彼以上に世間で酷い目に遭ってきた人たちに会い、その人情と優しさに触れることで、徐々にその高慢さを失っていくのです。そういう意味で、この物語の主人公は栄二であり、その挫折と成長を描くというテーマは不動のものとして全編を貫いているわけなんですが、それでもタイトルが「さぶ」であるように、栄二という恵まれてもいたけれど不幸も背負った存在を通して、作者はその栄二に注がれるさぶの無償の愛情と友情と誠実さを描き出したのでした。
さぶというのは栄二と好対照で、何でもできる栄二に対し、糊の仕込みしかできない不器用でうだつの上がらない職人です。ヒロインのおのぶに惚れても、おのぶに「あんただけは駄目」とか言われちゃうので魅力にも欠けるように描かれますが、終盤になると逆にさぶに惚れているおせいという娘が登場するので、さぶよりも栄二を選び、それでも結ばれることのなかったおのぶは男を見る目がないのかもしれないと思ったり。ただ、おのぶはそれでいて、作中の誰よりも栄二とさぶを理解している人物であり、栄二のような成功者の陰には必ずさぶのような献身的な人物がいるという指摘は普遍的なものであると同時に、とかく英雄譚に流れがちな小説にあって、そこに背を向けた周五郎さんらしいテーマでもあると思えるのでした。
それだけに周五郎さんが「明智光秀、徳川家康、上杉鷹山を書いたら時代劇は終わりにする」と言っていて果たせなかった三人をどのように描いたのか、読みたかったなぁとも思いました。家康は多少短編があるので、その人となりはうかがえなくもないんですが。
栄二が夫婦になるならこの人だけと心に決めたおすえという娘も、栄二に負わせた罪により、ヒロイン度はおのぶに比べると大きく落ちてしまいます。ただ、彼女は栄二のハートを射止めることで、最後は栄二に「感謝している」と言わせるまでにもなるのですが、それでもしこりが残らなくもありません。
下町ものを得意とした周五郎さんの真骨頂とも言える、紛うことなき傑作です。
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