忍者ブログ

されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

朝鮮の友に捧げる書

柳宗悦著。青空文庫刊。

僭越ながら柳宗悦というのがどういう人間かよー知らなかったので、青空文庫に入っていたのをダウンロードしてみました。

が、標題の随筆を読み始めたら、なんちゅうか、善意の押売りっていうか、どっかのしばき隊の仲良くしようぜと同じ臭いが漂ってきたので辟易して、別の短い随筆を読んだんですが、どれを読んでも、別に朝鮮がネタでなくても、上から目線で啓蒙してやるという態度がふんぷんのおっさんだったので全部読む気力が失せまして、しょうがないから突っ込むためだけに標題のを完読したのでした。やっぱり辟易しながら。

うちのあいぽんちゃんで32ページと短い文章でしたが、まぁ、よくもここまで地獄への道は善意で舗装されているを地でいくようなとか、まぁ、嫌らしい文章を書けるもんだな〜と逆に感心しました(鼻ほじりながら

以下、突っ込んだところ。

・二言目には愛だの恋しいだのと言って自分がいかに朝鮮を愛しているか強調する

実際に日本も日本人もやっていることは真逆で空々しくしか読めません。むしろ、わしは「俺はおまえを愛してるからこんなことをするんだ!」とか言って子どもだの嫁だのを殴るDV親父を連想しました。
いや、柳宗悦が別に朝鮮の人に暴力を振るったと言ってんじゃないんですよ。でも、同じ人種がそういうことをしている脇で愛だの恋しいだの言われても、ねぇ? 君、暴力振るう人、僕、宥める人って役割しか見えません。
この随筆が発表されたのは1920年と、朝鮮が日本の植民地にされてから10年と経っております。そのあいだ、ひたすら搾取され、無理な近代化を推し進められた朝鮮に、もうちょっと言うことなくね?というか、「朝鮮の友に捧げる書」よりも「日本の朝鮮政策を押し止める書」を書くべきだったんじゃ?
一方の暴力を放置しておいて、自分の言うことだけ受け入れろとか都合が良すぎるんじゃありませんか?

と思ったのでUNICEFの募金にも近づきもしませんでした。イエメンのために金を集めるより、当のイエメンに暴力を振るっているサウジアラビア連合軍を止めるべきでは?と思ったからです。

・日本人は本当は朝鮮を愛しているのだから朝鮮人が暴力で応えてはいけないと諫める

は? その前年(1919年)に三・一独立運動で日本が朝鮮の独立運動を弾圧したのに? しかも言うに事欠いて「日本が暴力に傲る事があるなら、いち早く日本の中から貴方がたへの味方が現れるであろう」って誰のこと? そんな奴、いませんでしたが。いても非国民の名の下に日本が潰しましたが。むしろ、朝鮮に対しては日本中がこぞって差別し、蔑視し、暴力を振るうことを躊躇いませんでしたが。
3年後の関東大震災を見なさいよ。一部の人はそりゃ助けたよ。でも、それ以上の人間が暴力を振るったのは帳消しにはできませんよ?
日本人が殺しに来てるのに朝鮮人が暴力で応えちゃいけないとか、平和呆けですか? 先に日本人を止めろよ。止める相手を間違ってんだろ。

・朝鮮の藝術(主に陶磁器)を絶賛するが解釈が一方的に過ぎる

「朝鮮の藝術ほど、愛の訪れを待つ藝術はない」
「人情に憧れ、愛に活きたい心の藝術であった」
「永い間の酷い痛ましい朝鮮の歴史は、その藝術に人知れない淋しさや悲しみを含めた」
「日々目に触れるそれらの器具の淋しい姿は、必ずや貴方がたの心の友であったろう。互いに慰められつ慰めつ日々を送ったに違いない」

なんちゅうか、この解釈がきもい。なぜ、そうも勝手な解釈を押しつけて平気なのか。

今、「朝鮮史」を読んでるんです。で、歴代の王朝(新羅、高麗、李氏朝鮮)に共通していたのは陶磁器のような手工業は、国家で抱え込んだ奴隷に作らせていたと知ったんです。柳宗悦の解釈が如何に現実と乖離しているか、それだけでわかろうというものではないですか。それを「朝鮮に関してはほとんど何らの学識を持たない」とかぬかして、自らの不勉強を主張してどうするんですか。
でも、その愛だのに基づいた解釈も1番目の突っ込み要素に照らし合わせると納得するんです。ああ、DV男の「愛してる」ね、って。

しかもこの一方的で独善的な藝術語りがこの随筆の半分を占めています。柳宗悦にとって、本当に大事だったのは朝鮮の藝術であって、別に朝鮮そのものじゃなかったんだな〜と思います。

柳宗悦を褒めるような奴は信用がならないとわかりました。それだけが読んだ収穫っちゃ収穫。

拍手[2回]

PR

東学史

呉知泳著。梶村秀樹訳注。東洋文庫174。平凡社刊。

サブタイトルは「朝鮮民衆運動の記録」でしたが、著者が東学の幹部でもあったので内実には詳しいけど、1つの「朝鮮民衆運動の記録」と言った方がいいような内容でした。

あと、東学って、もっと実践的なのかと思っていたんで興味を覚えて読んでみたんですけど、思っていたよりもずっと宗教宗教していて、例によって宗教=麻薬の方程式が頭を占めたんで、期待を大きく外れて退屈な本でした。これだったら「東学農民革命」のがましだったっていう…

まぁ、わしの方も東学を読むための基礎知識が徹底的に足りないということはあるかもしれませんが、宗教はやっぱり宗教ということで、歴史に素直に戻ろうと思います。

ただ、東学も朝鮮が日本の植民地になるとわりと日本の走狗になったというところは、生きのびるための策であったろうとはいえ、いろいろと考えさせられる点でした。

あと、ウィルソンの民族自決に感動して三・一独立宣言しちゃったけど、わしはあれは
・朝鮮の独立など天上天下唯我独尊な日本が絶対に受け入れるわけがない
という点であんまり無謀すぎるし、後の犠牲の多さを見ても無茶だろうと思っていて全然評価していないので、東学とか宗教畑ばかりで作られたと知って、やっぱり役に立たねぇなぁとも思いました。なんちゅうか、現実見ろっていう。
それだけに宗教家として描かれてはいたけれど、実践的なキリスト教信者だった徐民永(ソ=ミニョン。「太白山脈」の登場人物の一人)さんが魅力的に写るわけだわいと納得しました。

ちなみに原本は日本の支配下にあった1940年に出版された本なので、いろいろとぼかして書いてあるそうで、訳者の方の機転はなかなかありがたかったです。むしろ冷静な眼差しが良かったです。

引き続き、「朝鮮史」読み始めたんですけど、旧字が多いけどけっこうおもしろいです。

拍手[0回]

系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史

長谷川政美著。ベレ出版刊。

確かtwitterで紹介するTLが流れてきて、おもしろそうだなと思ったのと「最後のコラム」の糞ッぷりに辟易していたのでお口直しに借りてきました。

サブタイトルは「僕たちの祖先を探す15億年の旅」ということで、DNAを比較することで祖先をさかのぼる学問を、分子系統学というそうです。その結果、従来は近いと思われていたチンパンジーとゴリラが違うグループに属することなどがわかってきました。そうした分子系統学に基づいた新しい系統樹を使って人類とシャクナゲの共通の祖先までをたどった読み物です。

大変おもしろく、すらすらと2日足らずで読んでしまったのですが、1点だけいちゃもんつけたい。結論として「優生学が成り立つ基盤は存在しません」と言っておきながら、変形菌の研究者にヒロヒトをあげるのは糞です。天皇制なんてのは優生学、つまり差別そのものです。そんな奴がどんなえらい研究をしてようが、存在そのものが罪悪なのだから功罪でプラスマイナス0にもなりませんよ。

と言いたいぐらい、他は良かったです。

拍手[0回]

最後のコラム

スチュアート=オルソップ著。崎村久夫訳。文藝春秋刊。

サブタイトルは「ガン病棟からの回想」です。
「はみだしっ子」の著者、三原順さんが引用した滑稽詩が載っているというので借りてみましたが、エリート臭ふんぷんの嫌な本でした。コラムニストってところで大宅壮一とか思い出しました。

ちなみに引用された滑稽詩は、グレアムの父の死を暗示する形で「窓のむこう」に登場、また「バイバイ行進曲」にもグレアムがエイダに語る「眠い人間には眠りが必要なように、死にかけている人間には死が必要」というのもこちらの引用でした。丸っと引用の滑稽詩に比べればグレアムの言葉で語り直されてはいますが。
ただ、わしは何度も書いてますが、「はみだしっ子」では圧倒的に好きなのはサーニンで、次いでアンジー、ジャックとドナルドと来て、その次くらいにグレアムとマックスが来るかというぐらいなんで、まぁ、こんなものかと。

最初のうちは何でこの本を読もうと思ったんだっけ?といつもの疑問に囚われてましたが、初っぱなから駄目でした。
というのも、著者が別荘から帰るところから始まるんですけど、別荘の古井戸に毎度、ゴミを捨てるという、その発想からして駄目でした。いやぁ、地下でどうなってるのかわからないんだから、そんなところにゴミ捨てんなよと思いまして、ずーっとそれが尾を引いて、そのうちにやれチャーチルだのキッシンジャーと知り合いだの(政治コラムニストなんで当然ちゃ当然な交流関係なんですが)、ルーズベルトが親戚だのと血筋自慢が始まってケチをつけ、さらに中盤、自分の戦争体験にかこつけて、子どもたちも「戦争に行かなかったことによって、なにか大切なものをつかみそこねたかもしれないと思う」に至っては、ソ連で、中国、何千万という人が殺され、ユダヤ人がガス室で何百万も殺され、アメリカ人もフランス人も朝鮮人もインド人も、まぁ、これほど多くの人が殺された戦争もなかったろうに、そんな呑気なことを言う著者が完全に嫌いになっていました。死にくされ糞野郎(もう死んでるけど)と思いました。

あと、1970年初めに書かれた本なんですが、その頃、アメリカはちょうどベトナム戦争に首を突っ込むどころか、どっぷり頭のてっぺんまでつかっていたわけです。呼ばれもしないインドシナ半島にしゃしゃり出て、ベトナムの反撃で手痛い目に遭っていたわけです。
そういや、子どもたちを戦争に行かせたら
「運さえよければ、面白いこともいっぱいある。(中略)子供たちは自分自身を見つめ、自分をより深く知る機会を逃がしたとも言える。なぜなら、戦争は自分自身を知る、またとない機会だからである。そのほか、もっと有益ななにものかを取り逃がしている可能性もある。
たとえば、若いころに死に直面するということは、人の一生にとって有益なことだとは言えないだろうか。その経験は、年老いて死に直面したとき、役に立つと思う」
とかぬかしてるんだから、ベトナム戦争でも行かせれば良かったじゃねぇかと思います。もっとも、この戦争でクリントンが徴兵を回避したように戦争に送り込まれたのはもっぱら貧しい家の黒人だったので、エリートのオルソップさんちも同様に回避してそうですが。
んで、そのベトナム戦争を言うに事欠いて「これは南ベトナム自身の戦争であり、彼らが自らの手で勝利を獲得しなければならない」とは、フランスが植民地ベトナムでの戦争に敗れた後でクビを突っ込んで、事態を拡大したのは他ならぬアメリカだったくせに、何をいけしゃあしゃあと「南ベトナムの戦争」とかぬかしてるんでしょうか、このド阿呆は。アメリカが手を出さなきゃ、南ベトナムなんて、とっくに北ベトナムに吸収されて消滅してたんだよ馬鹿野郎。それをナパーム弾だの枯れ葉剤だのさんざんぶちまけて、未だに被害を出させて、よくぬかすわ、この阿呆が。

とか思いながら読んでたんで、感想としてはまぁ、最悪です。たぶん、大宅壮一以来。

拍手[0回]

太白山脈(再読)全10巻(続き)

趙廷來(チョウ=ジョンネ)著。ホーム社刊。

というわけでキャラ語り続きです。

この長大な物語のなかで外西宅(ウェソテク。他家に嫁いだ女房たちは出身地+宅で呼ばれるようになる。ので作中、同じ土地の出身者が出てくると誰の関係者かややこしくなることも。あんまりいないけど)ほど前半と後半の印象が変わる女性もおりますまい。
パルチザン姜島植(カン=ドンシク)の女房で一人娘の母でもあった外西宅ですが、人民共和国の夢破れ、山に逃げ込んだ夫の代わりに警察や討伐隊に攻められることになり、あろうことか、その豊満な体つきを廉相九(ヨム=サング)に目をつけられ、犯されます。このシーン、映画でも再三描かれるらしく、映画のレビューに「うんざりする」というのを見るのですが、正直、この大河小説の一部しか描けなかった映画においては不要なシーンだったというのがわしの感想です(あんまり覚えてないけど)。というのも、外西宅の夫、姜島植もまた、彼女の身体に魅せられた男であり、その身体を案ずるあまり、勝手な行動をしでかして、同じパルチザンの安昌民(アン=チャンミン)に重傷を負わせ、その結果として、筏橋唯一の医師、全明煥(チョン=ミョンファン)や李知淑(イ=ジスク)を巻き込んだ病院事件を起こさせてしまうし、最終的に外西宅を犯した廉相九を殺そうとして返り討ちに遭い、死去したことで外西宅をパルチザンにさせるという後半に繋がる流れを作り出すんですけど、要するに外西宅がパルチザンになったところまで描かれない映画にあってはこのエピソード自体、ざっくり切り落とした方が良かったんじゃないかな〜と思ったからです。描くならパルチザンになって、襲ってくる討伐隊と丁々発止のやりとりを交わす外西宅の、前半とは打って変わった姿も描かないと足りません。地獄のような日々を経験して、夫の仇であり、自分を犯した憎い廉相九の息子まで産んだ外西宅が、それらを乗り越えての活躍なんですから、竹山宅(チュクサンテク。我らが主人公、廉相鎮の恋女房v)とはまた違った強さを見せるところが魅力的じゃないわけがありません。むしろ惚れる。わしの好みジャストミートなお二人だったりするのでした。子ども向けっぽいマンガ版では夫婦揃って登場しなかったぽいですし。

病院事件はなかなか大がかりな事件に発展します。何しろ医者の鑑とも言える全明煥先生がアカの疑いをかけられ、保釈されるまでと、李知淑先生が、実は廉相鎮(ヨム=サンジン)に負けず劣らぬ筋金入りの共産党員でありながら、その疑いを拷問にかけられつつも見事に払拭してのけるという女の戦いが並行して書かれる様は読み応えがありますし、そこに安昌民のお母さん、申(シン)氏(この呼び方は本名に由来すると思われますが地主クラスの女房にしか使われません)の息子を思いやる心情とかもからんで盛り上がるところなんですよ、ここ。
李知淑先生(小学校や夜学の教師だから)も好きなキャラの一人です。特に病院事件で廉相九の拷問(作中でも屈指のむごさと形容されることが多く、素花(ソファ)を流産させたり、とえぐい。言葉責めと身体責めと両方を駆使するためか)を受けてる最中に、自分の主義を気づかれまいと、ただ安昌民を愛した女としてふるまう李知淑先生の頭の回転の速さに惚れたね、わしは。もちろん、それもこれもアカと知られれば命はないのを承知しているからの策なんですけど、拷問の最中に考えつくって度胸が凄いなと思いました。
その後、李知淑先生は勤め先の学校をクビにされたので徐民永(ソ=ミニョン)の経営する夜学で働くようになりますが、輔導連盟(転向したアカたちで結成された官製の集まり)に加えられたものの、命の危険を感じて権炳柱(クォン=ビョンジェ)警察署長の魔の手から素花やドルモル宅(河大治(ハ=デジ)の女房)ともども山に逃れます。んで、いろいろあって、最終巻でようやく(それまで男女交際は禁止だったため)安昌民と結婚した李知淑先生は、すぐに偽装転向して里に下りますが、けっこう早くにばれちゃって死刑になるところを、安昌民のお母さんの申氏に助けられて無期懲役に減刑になり、廉相鎮が河大治に語ったように、安昌民のように刑務所内での戦いは続いているんだというところが、作中でも理論派に属する二人(どっちも教師だし)なので、容易に想像できて、また凛々しく思えて好きになるのでした。

あと、安昌民のお母さんの申氏は、作中でも唯一の心ある地主として描かれる金思鏞(キム=サヨン。金範佑(キム=ボム)、金範俊(キム=ボムジュン)兄弟のお父さんにして金一族の屈指の実力者)よりもさらに慈愛に溢れる人物なんですけど(地主の女房が軒並み欲の皮の突っ張った描かれ方をするのとは対照的に)、安昌民を心配するあまり、寝つきがちになって出番が5巻くらいでなくなり、10巻で再登場した時には死刑になりそうな息子を助けるために親戚一同を訪ねてまわり、誰からも助けが得られない(息子も廉相鎮の部下として名の知られたパルチザンであったため)ところに、かつて土地を分け与えた小作人の女房たちがその土地を売って金を作り、安昌民と李知淑を無期懲役に減刑できた、という流れは涙なしには読めません。その女房たちだって決して楽な生活をしているわけじゃないんですよ。夫はみんな山に逃げ込んでパルチザンになったというんですから。でも、なけなしの田んぼを売ろうと言ってくれる、遠くの親戚より近くの他人じゃないけど、彼女たちの情の深さがしみる、いいシーンでした。

名前が出たんでついでに書いちゃいますと、徐民永の役割はパルチザンがほとんど絶えた最終巻以降、大事だなと思いました。金思鏞も9巻で亡くなって、心ある金持ちは徐民永だけなんです。これは彼が実践的なキリスト教徒で、共同農場だの夜学だのを経営しているからなんですけど、全明煥医師ともども町に残った最後の良心とも言えるポジションなんですよ、この方。
ただ、作中でも金範佑や孫承昊(ソン=スンホ)に慕われ、先生と頼りにされてきた徐民永ですが、後継者が書かれないのと、それなりに高齢っぽいので、亡くなった後の夜学とか共同農場が心配になるんですけど、そこは大丈夫なんかなぁ… 特に夜学の方は、金がないとか様々な事情で学校に通わせられないパルチザンの子どもたちが行ってるようなんで無事に存続してくれたらいいんですけど。もっとも、徐民永、ただのいい人じゃなくて、やろうと思えば国会議員の崔益承(チェ=イクスン)を落選させるぐらいの影響力を筏橋(ボルギョ)のみならず、うっかりすると宝城(ポソン)郡全域(物語の主要舞台である筏橋はあくまでも邑)とかに及ぼせそうな人物なんで、自分が亡くなった後の備えも万全な気もしないでもありません。
きっと反共捕虜として帰郷した金範佑が、本音を打ち明けられる数少ない知り合いだと思うので長生きしてくれればいいなぁと思いますけど。

で、その徐民永の夜学で働くことになった、作中でも屈指のいい人、李根述(イ=グンスル)さん。農業学校出身でありながら家族を食わせるために警官になって、でも、解放後の全羅南道(チョルラナムド)で、ただ一人、隠れなかったという凄い経歴の持ち主です。何が凄いって、警官といったら解放前、要するに植民地下の朝鮮では日帝と手を組んで庶民を虐める悪い奴だったのです。だから日帝の敗北を知って、人民共和国建国委員会が各地にできて、親日派を罰しようとしている流れのなかで逃げたり身を潜めたりした様はこの小説のみならず、他の小説でも描かれてます。そんな警察官だったというのに逃げなかった! これだけでどれだけいい人なのかわかろうというものではありませんか。
しかも作中では穏健派と言われつつ、上に命じられるままに輔導連盟の参加者を皆殺しにしてしまった権署長に対して、この命令にも反対して誰も殺さなかったんですから、固い信念の人であることもわかります。描かれる人物像は、いたってのんびりしたいい人そうですけど、縦社会の警察機構にあって、上の命令に背くことがいかに大変か、想像するのは難しくないんですから。
もっとも、この件で李根述は警察をクビになってしまい、筏橋で爆弾屋(というお菓子屋)を始めますが、そこを訪れた徐民永にも「警察の仕事よりずっといい」と漏らしてます。実際、滝のような汗をかきながら、子どもたちのために爆弾あられを作る李根述はほんとにいい人なんです。
しかし、そんな人物がお菓子屋をやっているのはもったいないと見抜いた徐民永は、李根述を夜学の教師にスカウトし、一度は断ろうとした李根述でしたが、10巻ではちゃんと教師やってるんで、やっぱり思うところあったんでしょう。徐民永のやり方や方針にも共感したんでしょう。そんな李根述先生がアカの子と虐められ、警察で訊問まで受けさせられて、すっかりいじけてしまった河大治の長男、吉男(キルナム)を迎えに来るシーンは、朴訥とした台詞廻しながら、この人の良さが出まくってて、またしても涙で曇って本が読めなくなったほどでした。
吉男は、とてもいい子だったのです。父を誇りに思っていて、弟の鍾男のためにソリを作ってやったり、お昼ご飯の甘藷を半分に分けたり、担任にもらったお菓子を持って帰ろうとしたり、母親を心配したり、一緒に暮らすことになった素花を慕っていたり。時に「アカの子」と虐められる同級生の女の子を庇ってやったり、もう成長したら、河大治ばりにいい男になるんだろうなぁと思っていたのに、その吉男がいじけてしまった。いじけさせられてしまった、いじけるほど虐められた、その悲しさはこの大河小説を最初から最後まで読んだなら間違いなく共感できるはずなんです。
でも、そこにいい人の李根述が手を差し伸べてくれた。夜学に行けば、きっと似たような境遇の子もいる。徐民永も、もしかしたら金範佑も見守ってくれているかもしれない。そう思ったら、吉男の未来がまた明るく開けたようで、今はお母さんのドルモル宅はいないけど、5年の収監だから、あと数年で憧れのお姉さん、素花と一緒に帰ってこられるでしょう。きっとその時には明るい顔の吉男と、しっかりしてきた鍾男が見られるはず、そう思ったのでした。

4人の語りでまた長くなったんで、「太白山脈」読んだ興奮もまだ収まらぬ(しかも今度は年表作ろうと思ったりしてる)ので、また書こうと思います(爆

拍手[0回]

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

最新CM

(06/14)
無題(返信済)
(05/29)
(04/27)
甘くない態度(返信済)
(04/26)
謹賀新年(返信済)
(01/04)

プロフィール

HN:
たきがは
HP:
性別:
女性

バーコード

ブログ内検索

かうんたあ

脱原発意思表示Webステッカー

バタリーケージの卵を食べたくない!キャンペーン