スチュアート=オルソップ著。崎村久夫訳。文藝春秋刊。
サブタイトルは「ガン病棟からの回想」です。
「はみだしっ子」の著者、三原順さんが引用した滑稽詩が載っているというので借りてみましたが、エリート臭ふんぷんの嫌な本でした。コラムニストってところで
大宅壮一とか思い出しました。
ちなみに引用された滑稽詩は、グレアムの父の死を暗示する形で「窓のむこう」に登場、また「バイバイ行進曲」にもグレアムがエイダに語る「眠い人間には眠りが必要なように、死にかけている人間には死が必要」というのもこちらの引用でした。丸っと引用の滑稽詩に比べればグレアムの言葉で語り直されてはいますが。
ただ、わしは何度も書いてますが、「はみだしっ子」では圧倒的に好きなのはサーニンで、次いでアンジー、ジャックとドナルドと来て、その次くらいにグレアムとマックスが来るかというぐらいなんで、まぁ、こんなものかと。
最初のうちは何でこの本を読もうと思ったんだっけ?といつもの疑問に囚われてましたが、初っぱなから駄目でした。
というのも、著者が別荘から帰るところから始まるんですけど、別荘の古井戸に毎度、ゴミを捨てるという、その発想からして駄目でした。いやぁ、地下でどうなってるのかわからないんだから、そんなところにゴミ捨てんなよと思いまして、ずーっとそれが尾を引いて、そのうちにやれチャーチルだのキッシンジャーと知り合いだの(政治コラムニストなんで当然ちゃ当然な交流関係なんですが)、ルーズベルトが親戚だのと血筋自慢が始まってケチをつけ、さらに中盤、自分の戦争体験にかこつけて、子どもたちも「戦争に行かなかったことによって、なにか大切なものをつかみそこねたかもしれないと思う」に至っては、ソ連で、中国、何千万という人が殺され、ユダヤ人がガス室で何百万も殺され、アメリカ人もフランス人も朝鮮人もインド人も、まぁ、これほど多くの人が殺された戦争もなかったろうに、そんな呑気なことを言う著者が完全に嫌いになっていました。死にくされ糞野郎(もう死んでるけど)と思いました。
あと、1970年初めに書かれた本なんですが、その頃、アメリカはちょうどベトナム戦争に首を突っ込むどころか、どっぷり頭のてっぺんまでつかっていたわけです。呼ばれもしないインドシナ半島にしゃしゃり出て、ベトナムの反撃で手痛い目に遭っていたわけです。
そういや、子どもたちを戦争に行かせたら
「運さえよければ、面白いこともいっぱいある。(中略)子供たちは自分自身を見つめ、自分をより深く知る機会を逃がしたとも言える。なぜなら、戦争は自分自身を知る、またとない機会だからである。そのほか、もっと有益ななにものかを取り逃がしている可能性もある。
たとえば、若いころに死に直面するということは、人の一生にとって有益なことだとは言えないだろうか。その経験は、年老いて死に直面したとき、役に立つと思う」
とかぬかしてるんだから、ベトナム戦争でも行かせれば良かったじゃねぇかと思います。もっとも、この戦争でクリントンが徴兵を回避したように戦争に送り込まれたのはもっぱら貧しい家の黒人だったので、エリートのオルソップさんちも同様に回避してそうですが。
んで、そのベトナム戦争を言うに事欠いて「これは南ベトナム自身の戦争であり、彼らが自らの手で勝利を獲得しなければならない」とは、フランスが植民地ベトナムでの戦争に敗れた後でクビを突っ込んで、事態を拡大したのは他ならぬアメリカだったくせに、何をいけしゃあしゃあと「南ベトナムの戦争」とかぬかしてるんでしょうか、このド阿呆は。アメリカが手を出さなきゃ、南ベトナムなんて、とっくに北ベトナムに吸収されて消滅してたんだよ馬鹿野郎。それをナパーム弾だの枯れ葉剤だのさんざんぶちまけて、未だに被害を出させて、よくぬかすわ、この阿呆が。
とか思いながら読んでたんで、感想としてはまぁ、最悪です。たぶん、大宅壮一以来。
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