宮本常一、山本周五郎、揖西光速、山代巴監修。平凡社ライブラリー刊。全5巻。
意地で読み続けてる感じになってきましたが、いくつかは興味のある分野だったりするのでおもしろ半分です。
サブタイトルが「保障なき社会」で、主に維新後の、村という共同体が崩れ、それを最後の踏ん張りどころとしていた人びとが最低限の保障を失い、いかに窮乏していくかを通り越して姿を消していくかなんかを綴ってます。
こうして読むと、日本って国は戦前の保障なきまんまの国が戦後も続いていて、自己責任が〜とか言っちゃって、ほんとに支配者が安泰の国なんだなぁと思いましたが、まぁ、それもいまさらな話です。
第一章の「過渡期の混乱」はまだ良かったんですが、第二章の「ほろびゆくもの」って、士族とか村の前にまずアイヌを持ってくるべきだと思いました。
日本とは全く異なる文化や生活を営んできたアイヌの人びとがいかに日本によって搾取されていったかは「
アイヌ民族の歴史」に詳しいのでわしもまぁ少しは知っていると思うんですけど、それを最後に持ってきたのは著者、あるいは編者の意図で前の士族や村のことをクッションにすることで、アイヌも大変だったんだなと読者に思わせたいんじゃないかと邪推しました。いや、そうじゃねぇだろ! 大変だったのは一方的に搾取され、虐げられ、今も差別されているアイヌで、彼らに比べたら士族とか持ち出されてもだろ!と思ったんで、こういう編集は逆効果だと思います。
というか、第3巻の感想でも書いたんですけど、士族の苦労とか持ち出されましても、じゃあ、その下で搾取されていた農民とか町民とか、さらには穢多・非人はどうなんだよ、そこ書けよそこ!って突っ込みが炸裂しまくってたので、サムライがサムライであるがゆえの苦悩とか、くっそどうでもいい。
確かにわしは根っこが東北なんで、維新政府に逆らって、とことん逆賊の汚名を着せられた会津藩には同情的な視点になりますけど、あくまでもそれは勝ち組の薩摩とか土佐に比べてであって、その下の人に比べてサムライも大変だったなんてくっそどうでもいいです。
あと、常々言われている移民の大変さは、またそうして海外に逃げることができただけましな人たちだったのであり、国内で逃げることもできず、押しつぶされていった人びとを思ったりはしましたが、まぁ、サムライほどの突っ込みは炸裂しませんでした。
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