監督:イ=ファンギョン
出演:イェスン(パク=シネ)、イェスン(少女時代)(カル=スウォン)、イ=ヨング(リュ=スンリョン)、刑務所の課長(チョン=ジニョン)、房長(オ=ダルス)、チュノ(パク=ウォンサン)、マンボム(キム=ジョンテ)、ボンシク(チョン=マンシク)、ソじいさん(キム=チョン)、ほか
見たところ:渋谷ユーロスペース
韓国、2013年
新聞の夕刊で
渋谷ユーロスペースで「第6回死刑映画週間 生きるという権利」をやっていると読みました(記事を書いた時点では終了してます)。「
死刑弁護人」「
白バラの祈り ゾフィー=ショル 最期の日々」「
独裁者と小さな孫」ほかのラインナップだそうです。早速、ユーロスペースのサイトを確認したところ、各日トークショーがあって、「生きるという権利」を書かれた弁護士の安田好弘さんが最終日(2月24日)に来られるとあります。というわけで、久しぶりに映画3本はしごというか、単館で見てきました。その1本目がこちらです。
知的障害のあるイ=ヨングは6歳の賢い娘イェスンと、貧しいながらも幸せな日々を過ごしていた。ところが、ある冬の日、市場で倒れた少女を介抱しようとしたイ=ヨングは、幼女強姦殺人犯に間違えられてしまう。7番房に入れられたイ=ヨングは、房長の命を助けたことで望みを訊ねられ、愛する娘イェスンに会いたいと答える。慰問団に紛れてイェスンは7番房にやってきたが、房長を初めとする囚人仲間も、イ=ヨングが幼女を殺したというので厳しかった刑務所の課長も、イ=ヨングの無実を確信していく。しかし、被害者が警察長官の一人娘だったことで、噴飯やるかたない長官はイ=ヨングを犯人にでっち上げることで怒りを晴らそうとしていた…。
韓国映画らしく、泣いて笑って、感動物に仕立てられた映画ですが、粗筋の最後に書きました、
無実のイ=ヨングを自分の憂さ、娘を失った悲しみ、持っていくところのない怒りなどなどをぶつけている警察長官というのが、もう冤罪も冤罪、娘が死んでしまったからといって、その代わりに誰かを殺すなど絶対に警察官として許されないだろうおらヽ(`Д´)ノな展開が個人的にはこの映画を良作とは言えないかなぁと思わせてしまいます。
わし的には、オ=ダルスさん、キャストに書いてませんがパク=サンミョンさん、さらに「
達磨よ、遊ぼう!」のチョン=ジニョンさんに、イ=ヨング役のリュ=スンリョンさんは「
高地戦」にまで出演してて、だから韓国映画はやめられねぇやとうはうはしていたんですが、そのために無実のイ=ヨングの死刑は受け入れられないわけでして、しかも現代(公開当時の2013年と思われます)のパートで法学生となったイェスン(しかも課長が養父)が模擬裁判の題材に実の父の事件を選んで無実を晴らすという展開は、涙なくしては見られない熱弁でもあったんですが、なにしろ現役の警察長官がイ=ヨングを脅かして「罪を認めなければ娘(イェスン)を同じ目に遭わせる」と言っているのを聞いちゃうと、誰か、こいつを何とかしてくれという思いの方が大きくなっていったのでした。
その点を除くと、日本の刑務所なんかよりも、むしろずっと人間らしい扱いっぽく見える韓国の刑務所の方がましなんじゃないかと思ったり、出所してヤクザの親分だったはずなのに牧師になったオ=ダルスさんとか、身重の妻を残して刑務所に入れられたボンシクがイェスンがこっそり持ち込んだ当時としては最新鋭の携帯電話で牢から奥さんに電話かけちゃうシーンとか、そもそも音楽がイ=ドンジュンさんだった!(「
シュリ」「
リベラ・メ」の方)とか、得るものが大きいだけに突っ込みどころも小さくなかったり。
あとタイトルの「奇跡」は、出所したイ=ヨングのムショ仲間がみんな更正したことを言っているのだろうか…
3月1日追記。
パク=サンミョンさんは友情出演だったことが判明。道理で役名も「パク=サンミョン」だったわけだ…。
そして原題はどうも「7番房の贈り物」っぽいです。贈り物ならばイェスン=贈り物ともとれるのでわかるんですが、英語タイトルまで「Miracle」にしちゃったから、奇跡だとわかりづらいかも。
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