監督:ロベール=ブレッソン
出演:妻(ドミニク=サンダ)、夫(ギイ=フランジャン)、ほか
原作:ドストエフスキー「やさしい女 幻想的な物語」
フランス、1969年
見たところ:川崎市アートセンター・アルテリオ・シネマ
若くて美しい妻が飛び降り自殺をした。歳の離れた夫は彼女の遺体を眺めながら、とりとめもなく結婚した経緯や結婚してからの話を思い出し、誰に語るともなく語るのだった。
純文学はわしの好みにまったく合いません。おかんが見たいと言うのでつき合いましたが予想どおり、沈没しかけました。
まず、タイトルの「やさしい女」は妻を指しているのだと思いますが、ちっとも「やさしい女」には見えませんでした。では意地悪かというとそういうわけではなく、若くてきれいな女性なんですが、夫と出会った時に16歳ぐらい(と夫が推定)の苦学生で、彼女のプライドが高いというか、襤褸は着てても心は錦〜♪ を地でいくようなところに一目惚れしちゃって、彼女には結婚する気なんかなかったのを金の力で口説き落とした感じがありまして、彼女も彼のことが嫌いなわけではなく、かといって好意を寄せられているのがそれほど嬉しいわけでもなく、でもカメラとか十字架を売ってノートや本を買うほどの苦学生なので、やっぱり最終的には結婚したけれど、「ハムレット」の演劇を見て、舞台で省略された台詞を言い当ててみせたり、動物の骨格や芸術に興味があったりと知的な女性なので元銀行員の質屋のおじさん(演じている役者さんはそれほど親父ではないけれど銀行員退職して質屋なんで、30代以上はいってそう)ではどうも話も趣味も生活スタイルも合いそうにない。でも、金のために結婚した彼女は自分の好みとかを抑えて彼に従ったし、彼もそうするよう求めた。さらに自分の価値観(主に金銭的なもの。相当な締まり屋というかケチ)を押しつけもしたし、挙げ句の果てには彼女の浮気を疑い、ストーカーまがいに追いかけた。そんな夫に「貞淑な妻になります」と誓った彼女は、確かに「やさしい女」だったのかもしれません。
しかし、物語は初っぱなでヒロインが自殺してしまっているので(しかも遺体が家に安置されているので疑いの余地もない)我々は彼女の遺体を前に寡黙な家政婦を相手に彼女との思い出を語る夫の言葉によってしか彼女の姿を知ることができません。その表情はほとんど動くことがなく、微笑みさえ滅多なことでは浮かべません。つまり、彼女の心中を慮る材料にも乏しいわけです。お高くとまっているのとは違うようです。あまり知的で趣味がいいとも言いかねる夫を軽んじていたり疎んじていたりするわけではなく、むしろ声高に自分の好みを主張することもなく黙って従っているけれど、かといって心から楽しんでいるようにも見えないようなのですが、これらの彼女の姿もあくまでも夫の記憶にあるというのがこの話の最大のミソじゃないかなぁと思うのでした。
望まぬ結婚をした彼女にも、彼女を縛りつけようとした夫にも感情移入ができず、わし的には退屈な映画でした(爆
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