見に行こうかどうか迷ってたんだけど、今回、会場がうちからいちばん近いんで、滅多に見られるものじゃないし、結局行った。
ら、サイト開設(本当はドメイン取得が正しいのだが、サイト開設の正確な日付を覚えていないのでもういいやということで)(←だめすぎ)5周年記念に素敵なプレゼントをもらった気分です。
企画・制作/風詠の会
出演/武内紀子、荒木ひとみ、園田容子
原作/石牟礼道子「苦海浄土」「みなまた海のこえ」より
涙も出ないような深い絶望と、それでも人は立ち上がらなければならないという決意と、箱の底に1つだけ残っていた「希望」。
石牟礼さんの「苦海浄土」の中でも、第1部「ゆき女きき書」には格別の思い入れがある。東京・水俣展で目を釘付けにされた「震える声で歌った君が代」というビデオに登場した患者さんがモデルになった1本だからだ。
石牟礼さんという方は、患者さんたちにインタビューをして「苦海浄土」を書かれたのでないことは有名だ。手元に原文の書いてある文庫がないのでうろ覚えだが、「だって、あの人たちの心の言葉を写そうとするとそうなるんですもん」と語られたとか。それもそうだろう。石牟礼さんが「苦海浄土」を書き始められたころ、すでに不知火海沿岸には水俣病の兆しがあった。坂上ゆきのモデルである患者さんも言葉を奪われて久しかったのだろうから。
震える声で歌われ、歌詞をよくよく確かめないとそれとわからぬ「君が代」と、高らかに叫んだ「天皇陛下万歳」の言葉は、それまで水俣病のことは名前と、公害病と、チッソの水銀のせいだというぐらいの知識しか持っていなかったたきがはに、水俣病が何であるか、天皇制(という言葉は宮崎学さんに曰く左翼の言葉なんだそうである。すると右翼は何と言うのだろう?)が何であるか、ということをはっきりと表わしてくれたのだった。
これに反論できるものはない。あの1篇のビデオの前に、どんな大義名分も美名も歴史的な事実というやつも、何一つ意味はない。
それほどの重みを持って残されたビデオと、その中の患者さんをモデルにした「ゆき女きき書き」が演ぜられるんだから、思い入れが違う。言葉の重みが決定的に違う。
先日見た「天の魚」と違うのは、あちらがほぼ全編を「天の魚」から取っているのに対し、水俣病の第1号患者発生と言われる1953年から、「ゆき女きき書き」を1本の柱にして、広い題材を取り上げていて、それでいて断続性が感じられないこと。演者が2人いるという強みかもしれない。2人の声は相乗的に世界を広げる。舞台の上では2人でも、3人、4人、無数の人たちがそこに現れる。
それに何より、石牟礼さんの著作に言葉を借りながら、自分の言葉とされた演者の方の話す言葉のリズム感、そう、足りないのはリズム感だった、イントネーションじゃなかった。
言葉の持つ力の強さと、空しさと、また強さをもらって帰った。
ありがとうございます。
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