というより演劇ですが、カテゴリーあんまり増やしたくないんで。
「水俣展」で故砂田明さんの一人芝居「天の魚」を、後継の方がやるというんで見に行きました。ついでに「水俣展」の展示も見たかったんで行きました。何度も見てるけど、近くに来た時は行って、そのたびに新しい発見をもらってくるのです。何より「また水俣」ではない。「まだ水俣」であり、まだ終わっていない水俣病をこの国は恥じるべきだと思うので。
「天の魚」というのは石牟礼道子さんの代表作の1つである「苦海浄土」の第一部にあります。水俣病の胎児性患者である杢太郎少年とその祖父を訪れた石牟礼さん、という筋立てを一人芝居にしたものだそうです。砂田明さんという方はもともと新劇系の俳優さんだそうですが、水俣病患者さんたちの支援者であり、「立ちなはれ」という心に残る名文句を語った方でもあり、そういう縁で「天の魚」を一人芝居にしたんだそうです。
たきがは、琵琶という楽器は今回、たぶん、初めて生で聞きましたが、いい音色ですなぁ。ばちを当ててびぃんびぃんと鳴らす音色がすごくしみました。こういう出そうと思っても出せなさそうな音は、西洋の楽器には出せないような気がします。ギターにも無理ではないかと。ギターだと指でかき鳴らす、というのがあると思いますが、琵琶のそれはもっと、奏者の方がわかってて出してるような。やっぱりばちに秘密があるような(ばちと言ったら、「必殺仕事人」シリーズで三味線の師匠おりくさんの武器でしたね〜。たきがはがいちばん好きなのはその養子の勇次なんだけど)。
もともとの筋立てが石牟礼さんが爺さまの話を聞きながら、杢太郎と無言の交流をする、という、あってないような展開のため(だからといって、おもしろくないとかそういうわけではない。読んでない人、読むように)と、書き言葉でも話し言葉でもない、独特の石牟礼さんの文章の爺さまの台詞をほぼそのまま取り入れているせいか、正直、わかりづらく、展開が単調だったかな〜 どうせなら、ご自分の言葉で語りなおした方が良かったんじゃないかな〜 あと、砂田さんはわかりませんが、演者の方が熊本の出身ではないような気がするです。石牟礼さんは水俣の言葉をそのまま書かれてるところがあるそうなので、つまり方言なんですけど、聞いててそれが石牟礼さんの文を読むように自然に耳に入ってこなかったんで、イントネーションのおかしなところがあったような。と言っても、たきがはも水俣出身ではないので、ほんとの水俣のイントネーションはわからんですけど、なんつーか、石牟礼さんの文章みたいにスムーズに頭に入ってこなかったといいますか。
その意味で「立ちなはれ」が心にせつせつと訴えかけるのは、何より砂田さんご自身の言葉であるからだと思います。
水俣病を起こした窒素は、いまではたきがは家にもある液晶になくてはならない材料を作ってるそうです。それぐらい、わしらの生活に深く関わっている会社であり、それこそがたきがはが加害者の側であると思う理由でもあります。いまどき、液晶画面を手放せるかと言われたら、コンピュータに触っている以上、難しいことですし、たきがははコンピュータなしの生活は考えられないからです。
「天の魚」は、まだ何回か講演をするので、興味を覚えた方はどうぞ。
19日には「水俣−患者さんとその世界」という土本典昭監督のドキュメンタリー映画も上映。これは見に行こうと思ってます。
20日は朗読劇「海と空のあいだに(このタイトルは「苦海浄土」が最初に発表された時のタイトルなんですな)」もありますが、これをどうしようかと思案中。
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