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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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A級戦犯合祀

たきがはは昭和天皇こそ日本最大の戦争責任者であり、彼が裁かれなかった極東裁判の片手落ち、どころかクリープを入れないコーヒーいやいや、彼を裁かずんば誰をか裁かん、と思う者である(信ずるでもいい。確信するでもいい。この論点は決して動かないので反論・つっこみ・ぼけは不要のことあるよ)。昭和天皇の犯した戦争犯罪の前には、「プライド」などというくそ映画で持ち上げられた東条英機もほかA級戦犯として裁かれた人びとも、いかに小さいかと思う。

天皇裕仁は、
第一、現行の「日本国憲法」の施行される以前においては「大日本帝国憲法」およびその他の法令により、大日本帝国の唯一最高の統治者として、とりわけ大日本帝国軍隊の唯一最高の絶対的な統帥権者として、
第二、「臣民」たる日本国民の無条件的な忠誠・服従および尊崇を要求する、大日本帝国の道徳的・精神的な唯一最高の権威として、
第三、裕仁自身があらゆる条件・状況を熟慮したうえでの判断により、
1931年9月18日に開始された日本軍の中国東北地方侵略の戦争(いわゆる満州事変)から、1945年9月2日天皇・政府・統帥部の代表が連合国にたいする正式降伏文書に調印するまでの、一連の侵略戦争を遂行し、指導した。そのことによって裕仁は、アジアの数千万人を殺した。すなわち彼は、「戦争犯罪人」であり、「ファシスト」であり、「5000万人のアジア人を」殺した最大最高の元兇である。
「井上清史論集4 天皇の戦争責任」岩波現代文庫より引用

いまどき信じてる人がいるのかどうか知らんが、裕仁は決して軍部や政府の言いなりだったわけではない。暴走する軍隊を止められず、日中戦争から太平洋戦争へ、十五年戦争の泥沼に引きずり込まれたわけではない。裕仁は自分で判断して開戦した。ミッドウェー以降の負け続の戦争においても、自分の判断で戦争を継続した。その判断材料は軍最高司令部の憶測とでっち上げのようないたっていい加減な論旨だったけれど、裕仁は誰に強制されたのでもなく、自分で決めたのだ。積極的に戦争指導をしたのだ。陸軍と海軍がもめた時には介入もしたのだ。サイパン島の全滅、始まった本土空襲、国民の中にじわじわと広がる現政府への不信、裕仁への恨み、裕仁は時の首相兼陸海大臣東条をスケープゴートにした。敗局がはっきりしてからも、裕仁は軍部の戦機転換にすがった。2発の原爆を広島と長崎に落とされてからも、国体護持、自分の地位の安泰にこだわった。
日本がポツダム宣言を受諾したのは、なお、政府内ですったもんだしたあげく、裕仁の2度目の聖断があったからだ。つまり、1回目の聖断で陸軍大臣がもめて、裕仁が「国体護持できない」と言われたもんだから、「もう1回考えよう」とか言い出したからだ。

そんな、A級戦犯も真っ青の、最大最高の戦争責任者、犯罪者が、「靖国神社に1988年以降参拝していないのはA級戦犯が合祀されてるのがきにくわないから」なんて、言語道断、責任転嫁、裕仁の名の下に死に赴き、裕仁の名の下に殺された数千万の犠牲者にぺっぺっぺと唾を吐きかけ、後ろ足で砂をかけるようなもん、死者に鞭打ち、日本国民を裏切るもんであろう。馬鹿言ってんじゃないよ。
裕仁の靖国神社参拝中止には、いわゆる「公人」として参拝を取りやめたという意見もあるそうだ。でも、裕仁が「東京裁判の結果を受け入れ(つまり、自分は裁かれないですんだけど、ほかの奴らはA級戦犯として縛り首)たので、靖国神社への合祀には反対していた」という話も聞くので、「公人」として取りやめたのより、A級戦犯がいる神社なんて行かないという気持ちのが強かったってことでしょ?

「昭和天皇が何を問題と感じ、それを今後我々がどうとらえていくか。」毎日新聞より

うん。それもわかる。でも、立つところがそもそも間違ってる。裕仁が裁かれなかった、日本最大最高の戦争責任者、戦争犯罪者であったという意識が、その視点からは欠落しているし、当の裕仁自身にもその意識はとっくにない。そんな反省心も、犠牲者に対してすまないという気持ちも、欠落している。そんな立場は、日本人の天皇制擁護論者にしか受け入れられない。わしは決して認めない。受け入れない。その点においてだけでもないが、決して天皇制を受け入れることはできない。
日本が降伏した時には、すでに冷戦が始まっていた。アメリカは日本を自分の陣営に組み入れるべく、天皇制を残したのは有名な話だ。その恩恵におんぶにだっこで生き残り、あの戦争に対して「すまない」という真摯な言葉を吐くこともせずに逝った裕仁。

過去に目を閉ざすものは現在も見えなくなる。非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、又そうした危険に陥る 旧西ドイツ首相ワイツゼッカー氏

また、その歴史をかみしめる、8月15日が巡ってくるのだ。

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