行き方:宜野湾市役所を通る路線バスならば何でも可。上原で下車。下りたら進行方向に歩き、道沿いに行くと案内が見えます。
というわけで3連休の初っぱなは佐喜眞美術館に行ってきました。宜野湾市にあり、普天間基地の一部を返還させて建てた美術館だそうです(館内に岩波ブックレットの解説あり)。館長は軍用地主で、幸運にも普天間基地の外縁部に土地を持っており、その広さが美術館に必要だと思われていた500〜600坪だったので本来ならば日本政府とか防衛局を通じて返還を願い出るところでしたが、当の日本政府と防衛局に妨害にあったため、米軍と直接交渉し、返還に至ったんだそうです。いやいや、相変わらず
日本のやるこたぁ寝汚ねぇ。
そもそも行こうと思った発端は、かの原爆の図やアウシュヴィッツ、南京大虐殺、水俣の図などを描かれた丸木位里・俊夫妻の沖縄戦の図が飾られているというんですから行かねばなりますまい(義務)。
しかも館内のブックレットで読んだんですが、沖縄の公共の美術館・博物館はこの絵の展示を断ったそうで、沖縄戦というのは一大観光資産であるのは間違いないけど、いつまでもその暗いイメージを引きずられても…とでも言いたげな沖縄の公務員の思惑が垣間見えて、何ちゅうかな気持ちになりました。まぁ、それを言ったら、当の広島の平和記念館にだって丸木夫妻の絵は飾ってたのは見なかったような… レプリカぐらいあったかもしれませんが、現物は埼玉県東松山市で見られます(行ったことあり)。
那覇、それも58号線沿いだとバス便は豊富にあるので行くのは楽です。
翌日からは発生が予想される台風16号の影響でか雨天が予報されてますが、今日はいい天気。
途中で、どっかで見たことがあるんだが…な店名、PAOというパン工房に寄って気になったカスタードクリーム入りのデニッシュというか、まるっとケーキを買ったんですが、食べる場所がどこにもなかったんで大失敗でした。まぁ、帰りのバスを待っているあいだに食っちゃったけど。
たぶん、月一のサンライズマーケットに出店されてるのではないかと思いますが… 10月にまた行くので確かめてみます。
個人的にはおされな喫茶店でもあれば良かったんですが、ステーキ屋があっただけだったので… 米軍基地の近くだからアメリカ牛なんだろうなぁ…
普天間基地に食い込んだところにある美術館という位置は特殊ながら、企画展示を並行してやっていたためか、常設展示(サイトで宣伝されてたやつ)が見られなくて、ちょっと物足りなかったです。ケーテ=コルヴィッツの絵は見たかったんじゃが…
個人的には障碍者の絵はあんまり興味を持たないので(そもそも障碍者の絵だからといって惹かれないし惹かれてから作者が健常者か障碍者なんかは知りますが、わし的にはくっそどうでもいい情報なもんで)正直、あんまりおもしろくありませんでした。あと、常設展示のはずの草間彌生を一緒に飾るのはいいのだろうか… あの点々、好きじゃないけど…
あと、原始的という観点からかパプア・ニューギニアの精霊の像とか、仮面とかも飾られていましたが、パプア・ニューギニアにはそもそも言語が700以上あって(現在は500ぐらいまで減ってるらしいんですが)、それだけ多くの部族がいたという解説を読むと、10個にも満たない展示品でパプア・ニューギニアとかふざけとんのか、と思いました。どうせなら全部パプア・ニューギニアで埋め尽くすぐらいの数を見せたらいいんじゃないでしょうかね(鼻ほじ
丸木夫妻の沖縄戦の図は、本当は11枚だったか8枚ぐらいの連作だそうで、そのうちのいちばん最初に描かれた大作と、読谷3部作と名づけられた、先日、
わしが行ったチビチリガマ、シムクガマをテーマにした2作、ガマと亀甲墓を描いた2作、計5作が飾られていました。
ご夫婦の合作の仕方を知ってると、人物像が概ね俊さんで、大胆に墨を流してるのが位里さんというのはわかるんですけど、沖縄戦の図は珍しくカラー(血や炎を象徴するような赤と、海を象徴する青)が入っていたんで、じっくりと眺めてきました。
個人的には人物がじっくり描かれているのに、兵隊が一人もいないように見えるガマの絵が、一人ひとりの服装まで細かく描き込んであったのが良かったです。
あと、シムクガマの絵は、1000人以上の人が助かったという逸話を受けて、人物も生き物も何1つ描かれておらず、白っぽくて明るい、わしが見てきた入り口よりももうちょっと奥まったところを描いたような洞窟が、珍しく位里さんお一人の手のように思えました。
わしのなかでは丸木位里・俊夫妻>(越えられない壁)>それ以外の画家という感じの知名度だったり、感銘の受け方だったりするので、いっそ、月替わりで沖縄戦の図を全作公開してくれたら、もっと通うんだがなぁと思わなくもありません。
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