8月1日にいただきまして、ありがとうございました〜!
たきがはがまいちゃんの死を悲しむことをブログに書くのは、他のどの記事よりも自己憐憫という気持ちがあります。自己満足、自慰という言葉とも置き換えられます。まいちゃんの死は、たきがはにとって決して他人(自分以外という点では家族も別の人間という他人ですし、この点においては決して同調されたこともありませんし、たとえ家族であろうとわしとまいちゃんのあいだに割り込むことは断固拒絶するという意味ではまさに他人です)と共有できないものであり、そうと考えているくせにこうしてインターネットという公共の場にさらすことは、自己憐憫、自己満足、自慰以外の何物でもないからです。
でも、まいちゃんを失ったことを嘆く気持ちをこうして吐き出すことで、8月1日さんがメッセージを送ってくださったことは、人は人を理解したいからだと思うのだし、だからこそ人は人を信じたいと思うのだと、8月1日さんが抱えている悲しみを越えてメッセージを送ってくださったことを深く感謝したいと思うのです。
わしはまいちゃんの分、8月1日さんは8月1日さんの大切な動物さんの分、自分の一部がきっと欠けていて、それが決して何かに換えることはできないこと、何かで埋めることはできないことを知っていて、欠けた自分というのを知っているだけに人間嫌い、孤独という言葉のマイナス面がむしろ気持ちいいように思っているのかな、と感じています。わしの勝手な思いこみかもしれませんが。
だけど、8月1日さんが、わしがまいちゃんを失った時に差し伸べてくれた手の温かさを、8月1日さんがその時にすでに失っていたものをわしは知っています。わしは8月1日さんが決して「孤独に耽溺している」のだとは思いません。
ありがとうございました。
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