監督:土本典昭。1970年。
水俣・和光大学展にて鑑賞。
ビデオの調子が悪いとかで途中でDVDに切り替えたら、DVDにはチャプターがついておらず(いつのDVDだ。でもみゆきさんの夜会にもないんだよな〜。見たいシーンだけ見られないのって不便なんだけど)、早送りしてたら途中で映像が一時停止がとぎれとぎれに入っておかしいし。ちょっとなんだかな〜な上映。
1970年当時の水俣。監督自らのインタビューだと思うんだが(前に見たドキュメンタリーもそうだったんで)、名前を知ってる方々、遺影の間(やはり土本監督が、水俣・東京展のために水俣病で亡くなった方々の遺影を集められるだけ集めてきて、円形に展示してある部屋。水俣展のラストにたいてい置いてあるはず。円形ということで周囲から「見られている」という錯覚を受ける。必見)で覚えてた(やはり私的に印象を受ける方々とはいるものなので、皆さんを平等に覚えてはいられませんが)故人の方々や遺族の方々が登場。まだチッソの排水は止まってなかったはずなんで、美しい不知火海には毒が流れ込んでいるわけなんだな〜。
砂田明さんの「立ちなはれ」も収録されてた。これが心に響くのは、砂田さんが大阪からか水俣まで患者さん支援のためにカンパを受けて巡礼していったからだろう。ということは、一昨日見た「天の魚」での芝居が浮いていたのは、途中で台詞をだぶるというミスもさることながら、そういう体験が背景にないからなのかもしれない。と言っても、いまの時代、ああした体験は得難いとも思うので、いかに杢太郎のじさまの台詞を自分に引き寄せられるかがあの芝居の鍵になるのかもしれないなぁと思った。
1970年(作中ではずっと昭和を使っていたが、たきがは、和暦は嫌いなんで使わない)というのは、一度忘れられた水俣病が、皮肉なことに新潟水俣病の発生によってまた盛り上がろうとする矢先のことである。残酷に流れた年月を思った。
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