監督:ヘンリー=キング
出演:ハン=スーイン(ジェニファー=ジョーンズ)、マーク=エリオット(ウィリアム=ホールデン)、ほか
見たところ:シネプレックス平塚
アメリカ、1955年
先週に引き続き「新・午前十時の映画祭」です。一回ビデオで見たことがあって、わしは恋愛物には基本、興味を持たない人種なもんで、ただのメロドラマか〜という感想を抱き、音楽はいいと思いましたが、それ以上は忘れていたら、うちのおかんが観たいというので付き合って行ってきましたが、やっぱりメロドラマはメロドラマだというのが素直な感想です。テーマ曲が名曲と言われ、かなりヒットしたそうですが、ちょっとあちこちで使いすぎかも。
1949年香港。研修医をしている中英混血のハン=スーインは上司に気晴らしで連れていかれたパーティでアメリカから派遣された新聞記者のマーク=エリオットと知り合い、彼に惹かれるようになっていく。シンガポールに妻がいるマークだったが、その仲はとうに冷え切っており、彼もまた夫を中国の内戦で失ったというスーインに惹かれていく。中国の重慶に住む叔父にマークとの結婚を許してもらうスーインだったが、やがて朝鮮戦争が勃発し、マークも派遣されてしまう。しかもスーインは研修医の仕事を失い、友人の家に身を寄せていたが、マークの死を知らされる。マークとの思い出の丘に駆け上って激しく泣くスーインだった。
1949年10月1日に中華人民共和国が成立、重慶にスーインの親戚のような国民党派の人びとが生き残っているとは思えないのですが、出会ってからそれほど時間経ってなかったのか、「夜は寒い」とか言ってるわりに曖昧で、観てて気になりました。ほら、メロドラマだから突っ込みどころ満載。もしかしたら叔父一家も殺されたりしたのだろうか?
で、ラスト、スーインが駆け上がる思い出の丘というのは、そもそも病院の裏にありまして、研修医だったスーインは、病院の中に住んでたもので、たびたび、そこでマークと会えたわけだったんですが、ラストでは病院をくびになっちゃってますから、友だちの家に行ってます。ところがそこは作中でスーインが「湾の向こうにある」と言ってたけど、マークと二人で泳いでいけるほどの距離なので、直線距離ではそれほどないようなのですが、何度か丘の上から写された感じだと、海抜でいったら、ほぼ0mなのです。しかし、香港の地理というのは、海から山の方にせり上がっていく感じでして、病院も山の上、丘はもっと上、さらに山を越えたところが深圳地区で、そこはもう中国なのです。ということは、ラスト、マークを慕って思い出の丘まで駆け上がるスーインは、はるばるとあの坂道を登ってきた(ひたすら小走りでタクシーや路面電車を使うという描写はない)わけで、その辺りも描写されてるんですが、いくら香港が狭い町だと言ったって、海沿いから山の上まで上がるのに何十分かかったんだろう? それにしてはスーイン、息切れしたようでもなしという突っ込みが入りまして、ここでメイン・テーマがかかって、観客は涙を絞られるとか涙腺決壊という事態に陥るはずが、スーインさんたら足腰丈夫やわという全然別の観点から観ているという事態に。
あと、作中、2回目のデートを海辺で行い、一緒に友だちの家まで泳ぎに行ったスーインとマークでしたが、友だちの家で借りてたのがどう見てもスーインは浴衣、マークは甚平という日中混同ぷりも「
ドノバン珊瑚礁」とか思い出して、しょせん、アメリカ人にとっちゃ中国というのはその程度の認識なんだなぁと思いましたよ。
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