監督:キム=テギュン
出演:キム=ヨンス(チャ=インピョ)、キム=ジュニ(シン=ミョンチョル)、キム=ヨンハ(ソ=ヨンハ)、サンチョル(チョ=インギ)、ミソン(チュ=ダヨン)、ほか
見たところ:横浜シネマジャック&ベティ
2009年、韓国
北朝鮮の脱北者を描いた映画です。予告編を見た時から号泣モードが予想され、絶対に行く〜!と張り切っていましたが、ごめんなさい、音楽がうるさすぎてひたれませんでした。最近の映画の傾向かなぁ。なんか、悲劇を強調するように、さも悲惨な音楽をかけるシーンが多いような気がするんですけど、俺、映画音楽というのは基本、映画に寄り添うような音楽であってほしいので、音楽が自己主張されると駄目なんですよ。しらけるとまではいかないけど、逆にかまえちゃって。この映画は泣きのポイントがたくさんあって、そのたびに盛り上げるような音楽がじゃんじゃか流れて、号泣にはほど遠かったです。実際、人が悲劇的な場面に遭遇した時って音楽は流れてないものじゃないですか。まぁ、日本の町中だったりするとわかりませんけど、でも、そこに流れている音楽が悲劇的なものとは限らない。そのリアルさというか、あり得そうなシチュエーションというか、いかにも作為的な悲劇は見たくないと思うのですよ。音楽にもよるんでしょうけど。
公開中の映画につき、以下はネタバレに入れておきます。
元咸鏡南道代表のサッカー選手キム=ヨンスは現在、炭鉱で働き、妻のヨンハと息子のジュニとの3人暮らし。親友のサンチョルは、中国との貿易で本来ならば手に入れられない物も仕入れ、裕福な暮らしをしている。だが、貧しい暮らしのため、ヨンハが肺結核にかかり、妊娠中とわかる。サンチョルは薬を中国から買ってくると約束したが、党の手入れで捕まってしまい、ジュニが恋慕していた娘のミソンともども行方不明となる。ジュニが可愛がっていた愛犬もつぶし、サッカー選手として金日成からもらったテレビまで金に換えたヨンスは、薬を求めて国境を越える。だが、中国当局の手入れにより働けなくなったヨンスは、韓国のNGOの助けで瀋陽のドイツ大使館に逃げ込み、ソウルに住み着いたが、その頃、ヨンハは死亡し、ジュニも父を追って中国を目指そうとしていることを知らなかった。ミソンと再会したジュニだったが、国境沿いで捕まり、強制収容所に送られてしまう。脱北を請け負うブローカーに妻子を連れてくるよう頼んだヨンスは、貧しい暮らしの中で金を貯めるが、妻が亡くなり、ジュニも行方不明になったことを知る。だが、ブローカーはジュニを見つけ出し、脱北を助ける。中国に入ったジュニは、ブローカーの手引きでモンゴルとの国境沿いで放され、一人、国境を越える。ヨンスもジュニを迎えるため、モンゴルに向かっていた。しかし、少年にはそこまでが精一杯だった。満点の星空の下、眠るように息を引き取るジュニ。その死を知らされ、一人、ソウルに戻るヨンスに、ジュニの好きだった雨が降ってきた…。
まとめ方が下手でごめんなさい。ネタバレなので、ラストまで書きました。ま、「悲劇」と言ってますんで、想像はしてましたが、なんていうの、実話を元にしたフィクションなので、ヨンスとジュニが再会できるという救いがあってもいいように思いましたが、そんな救いの余地もないぐらい、脱北の状況、北朝鮮の状況はひどいのかもしれません。
わしが上で文句をつけているのは、ジュニが満点の星空の下で横たわった以降のシーンです。ずーっと音楽流れっぱなし。もっと静かにジュニの死という悲しみにひたらせてくれよッ! じゃかじゃか賑やかなフィナーレは要らないよッ! やっとお父さんと電話ができた時に「ごめんなさい、約束を守れなくごめんなさい」とまず言った子の死には虫の鳴き声や吹き渡る風こそがふさわしい葬送曲だと思ったよッ!
あとはヨンスが村を出発する時とか、まぁ、いちいち、「ここは悲しい、泣けるシーンなんですよ〜」と言いたげに音楽が流れるのはうるさいです。邪魔です。余計なお世話ってもんです。ぷんぷん。
万人が同じシーンで泣く必要はないと思います。どこで泣こうと観客の勝手です。その快感を邪魔しないでいただきたい。
と思うのは、1つにはジュニ役のシン=ミョンチョルくんがすげーうまいからです。もう表情からして別格。嘘だと思うなら、
公式サイトを見に行くといいです。この表情がすでに泣きを誘うのです。この切なさ、愛しさの前には、どんな音楽も雄弁ではないのです。余計なのです。もう、この子、見てるだけでなんか同情しちゃうっていうか、もう抱きしめてぐりぐりしたくなるっていうか、問答無用で可愛がってあげたいっていうか、たきがはの乏しい母性本能もくすぐられまくりなのです(そこで鼻で笑った君、前に出たまえ)。
そのジュニが、中盤、母の死に泣いて、母の遺体を運んでいくトラックを追い掛けるシーンで泣けないはずがありません。
ヨンスを見送り、言葉もないジュニに、ヨンスが石ころでサッカーを始める。2人の上に降ってくる雨、いつまでも見送っていたいジュニと、家族の安全を考えて、早く帰したいヨンスと。穴の空いた息子の靴、そのシーンで泣けないはずがない。
父を追って中国へ行こうとして、金を取られてしまうジュニ。泊まるところもなく、降り出した雨の下、サッカーをするジュニ。物乞いのいる市場で少女ミソンに再会するジュニ。収容所でミソンとわずかに心を通わせる一時(しかも、この後には収容所の監視員の厳しい仕打ちが待っていると容易に予想できる)。死んでしまったミソン。
映画の最初のシーンは、まだ平和なヨンス一家が描かれます。ヨンハは咳き込んでいますが、とりあえずご飯もあって、まだみんなが一緒にいた。サンチョルも無事で、たまにはちょっとした贅沢も楽しめた。
でも、サンチョルの逮捕(かどうかは描かれていませんが、殺されたのかも。収容所でもけっこう簡単に殺されてるので)から、笑えなくなったジュニが、やっと微笑むことができた父との2回目の電話までの長いこと長いこと。せつない、ほんとにせつない。
それなのに、2人は二度と出会えることはなかった。明日には会えると思っていたのに、実際には広い中国とモンゴルの国境でおっ放されただけ、「あとはモンゴルでなんとかしてくれる」って、誰もいねぇじゃん! 人家もないし、通った車は1台だけだし、誰が何とかしてくれるっていうんだよ! ご飯も水もなしで、どうしろっていうんだよ!って状況に放り出されて、それでも歩いて行くジュニ。その方向が正しいかどうかもわからないのに。どうしろというのだ。その理不尽さ。
現在の北朝鮮には、無数のヨンスとヨンハとジュニとミソンがいて、助けも得られずに飢えたり、殺されたりして死んでいくのだろうか。それが本当の北朝鮮の現実なのだとしたら、俺は何ができるのだろうかと思います。
それは、韓国の哨戒艦が北朝鮮によって撃沈されたってニュースより、よっぽど信憑性があります。
そこに、この映画のヨンスとジュニが再会できるというような安直な救いはなく、ただこのまま手をこまねいていれば、こんな悲劇はますます増えていくのだろうと思えるのです。
エンディングで流れるヨンスとサンチョル一家の幸福だった頃のシーンは、あまりにささやかな幸せで、それさえも失われてしまったのが悲しいです。人が人として望む当たり前のあり方、そんな願いもかなえられない国など誰が望むでしょうか?
キム=テギュン監督は「
火山高」の監督でもありました。ああ〜、あの映画… お馬鹿でけっこう好きだったぞ。お馬鹿すぎたけど…
で、ヨンハ役のソ=ヨンハさんとサンチョル役のチョ=インギさんは「
殺人の追憶」にも出てたっていうんだけど、どの役だったのやら… チョ=インギさんは「グエルム 漢江の怪物」にも出てたんだけど、うーむ、主演のソン=ガンホ氏が強烈すぎて覚えていない…
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