ギュンター=シュヴァルベルク著、石井正人訳。大月書店刊。
ナチスが人体実験やってたのは有名なんだけど、ユダヤ人=劣等民族、ゲルマン人=優秀民族という間違った視点に立った実験も多いもんで、後の医学にまったく貢献していない、ほんとに興味本位でやった実験も多い。この本の題材は、そうした観点に立った上、研究者でもなかった素人のような医学者の、学会ではすでに否定されていた結核についての実験をやったあげく、被験者の20人の子どもたちを敗走のどさくさで殺してしまったという話と、日本に比べるとドイツというのは戦後処理、ナチス追求というのはけっこう徹底してたと思ってたんだが、実は全然そんなことはなくて、冷戦にさらされたせいもあるんだけど、甘かった部分もあったという話。タイトルの「子どもたちは泣いたか」は、戦後の戦犯を裁いた裁判の中で、被告に裁判長が訊いた言葉よりとられた。
健康な子どもたちが、ユダヤ人というだけで結核菌を植えつけられ、病気になり、敗走のどさくさでモルヒネを打たれ、吊るし首にされた。20人だ。何百万という数が殺された強制収容所で20人なんてたった、だろうか? 何百万人も殺されたユダヤ人のなかのたった20人にすぎないだろうか?
そうではない。我々一人ひとりに名前があり、生活があり、家族があるように、それらの何百万という人びとにも同じように家族があり、生活があり、名前があった。子どもたちの名前は20人がわかっている。でも、その家族の中には連絡がとれない者もいる。
何百万という人が殺されたあの時代、何百万という数でなく、一人ひとりを覚えておけたら、そうした人たちが特別じゃなかった、それはいつ私たちにすり替わっていたかもしれないということを覚えていたら、あんな時代は二度と来ないよう、防ぐことができるかもしれない。
強制収容所に行って、あの眼差しにさらされてくるといい。数でなく、一人ひとりを知るといい。ヨーロッパで、日本で、中国で、沖縄で、広島で、長崎で、南京で、一人ひとりの顔を、一人の人間を知るといい。知ることもできないならば、残された物から想像するといい。
何百万という数に埋もれてしまった時、20人の子どもたちはその時、ただ死んでしまっただけになる。あの時代を繰り返したい、戦争をしたいと思っている連中の思うとおりになる。
そんなことを思いながら読んだです。
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