下関原爆展事務局編集。下関原爆展パネル集。長周新聞社。
峠三吉さんと言えば「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわ へいわをかえせ」の方です。「原爆詩集 序」ですね。
たきがは、原爆・ホロコースト・水俣・十五年戦争は無条件で手が伸びるたちでして、図書館でおべんきょしながら、ずーっと魂詰めてやってるとしんどいので適当に息抜きしてるんすよ。で、ふらふらと「平和」関係の資料の棚に近寄ったら、こちら、68ページのパンフレットが置いてあって、「峠三吉」とあったんで手に取ったわけです。いま、ザミャーチンの「われら」という小説を読んでるんで、あんまり本は借りないようにしてるんですが、息抜きにいいかな〜と手に取ったら、息抜きどころじゃなかったんすけど。
「下関原爆展」とあるように、2000年7月に開かれた原爆展で展示したパネルを冊子にまとめたそうです。核開発にいそしむ国家は、いざ核爆弾を使ったら、地球上にこの惨禍が再現されるということを肝に銘じて、たったいま、止めるべきだと思います。「持ってるから使わない」というのは歴史的にあり得ないです。持ったら使います。それも自分たちは無関係なつもりで。SFにあるようにシェルターに逃げ込みますか。その時、地球は確実に死に、自分たちだけになっても使いたいですか。
世界最初の被爆国家である日本には、この惨状を伝えていく権利と義務があります。特に国でなく、故郷を奪われたビキニ環礁の人たちの代わりにも、伝える力と金と人を持った日本が伝え、残すべきだと思います。世界中の国家元首を広島と長崎に招待して、平和記念資料館を紹介すべきだと思います。もちろん、被害者としてだけでなく、加害者としての歴史にも向き合わなければならんと思いますが、被爆者の方々の平均寿命が70歳を越えた現在、あの惨禍を直接語る言葉を持っている人びとがいるうちにできることをすべきじゃないでしょうか。
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