わしがそもそも死刑に反対するようになったのは、冤罪という問題もさることながら、「
休暇」という映画を見て、実際に死刑を実行する人たちの負担とかを考えたら、「死刑賛成」と言う連中は実は手を汚さないところにいて、もしかしたら、そんな負担や実態さえも知らないで、感情的に「死刑賛成」とだけ言っているのではないだろうかと思ったのがきっかけであった。
しかし、よく考えてみたら、わしは戦争に反対して、日本が自衛隊という軍隊を持つことにも反対しているわけも、「戦争しろ」と言う奴に限って、ヒロヒトとか石原とかのように安全なところから叫んでいるわけで、自分は戦争に行って、殺したり、殺されたりする恐れがないわけで、そういうことへの嫌悪感がわしに「
愛国心を押しつけないで」という一文を書かせ、英霊という一見美しい言葉で賛美される戦争に反対するようになったわけであったので、実は死刑と戦争を反対という気持ちはわしの中では同じ次元の問題になっている。
となると、原発の問題も、10万年後まで残る核のゴミを、そんな人類がいるかどうかもわからない未来にまで押しつけるなんて、なんておかしなものなんだろうというのが発端ではあるわけだが、「被曝する労働者達:下請け・日雇いが支える原発の実態」というドキュメンタリーを見ていたら、やっぱり根っこのところは同じで、わしが安穏と使っている原発の電気の影には、危険な炉心に入り、放射能を浴び、癌になって捨てられた労働者の存在があったわけで、改めて、原発というのは死刑や戦争や軍隊と同じぐらい、要らないものなのだなと思った次第。
[0回]
PR