監督:ジョン=ウェイン
出演:デイビー=クロケット(ジョン=ウェイン)、トラビス大佐(ローレンス=ハーベイ)、ジム=ボウィ大佐(リチャード=ウィドマーク)、ヒューストン将軍(リチャード=ブーン)、フラカ(リンダ=クリスタル)、ほか
音楽:ディミトリ=ティオムキン
1960年、アメリカ
ジョン=ウェインが私財を投じて監督・製作までやった西部劇の大作。案の定、アカデミー賞欲しいの宣伝が露骨すぎて賞は音楽関係のしかもらえず、興行的には大失敗しました。
2004年にもリメイクっちゅうか、「アラモ」をまた作ってたようですが、やっぱり興行的には失敗だったようで。ジョン=ウェインでさえ駄目なのに、聞いたこともない俳優でうけるはずがない、なんて話はジョン=ウェイン・ファンのままとした覚えがあります。
実は「アラモ」も何度か見ておりまして、いちばん最初に見た時は、たきがはもこういうヒロイズムな映画に弱いものでぼろ泣きしました。サントラも持ってます。主題歌(
「The Green Leaves of Summer」)を歌ったBrothers Fourのコンサートも行ったぐらいです。
しかし、ヒロイズムというものの危険性は最近のわしにはわかってるので、今日は特に泣くこともなく、もっと冷静に見ました。というのも、このアラモ砦の戦いというのは硫黄島の戦いにも通じる捨て石感があるなぁと思ったからです。まぁ、アラモ砦の場合、ここで持ち堪えることで、後方のヒューストン将軍が軍を鍛える時間を稼ぐという大義名分はありますが、硫黄島にはその大義名分もないけんど、そのためにここで185人が死ぬということに、わしはとても抵抗を覚えるからです。
大義名分のために死ぬということの美しさの影に、自分だけは安全な場所にいて、人に死ぬことを強制する人間がいるということを、わしは唾棄するからです。ヒロイズムを描いた映画というのは、そういう死を美しいものと思わせる力があり、それを利用する権力者をわしは許すことができません。
だから「アラモ」も冷静な目で見ちゃって、泣かなくなったのだろうなぁと思いました。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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