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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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ボランティアお疲れ様です~。

今回は特に大変だったんですね・・・。ホントお疲れ様です~。
南三陸は、県内ニュースで度々特集組まれるだけに、有難いです。

夏は暑いですね (´・ω・`)

>今回は特に大変だったんですね・・・。ホントお疲れ様です~。

いえいえ。東北の夏の暑さをなめていました。ほとんど、湘南並みですよ。その上、たきがは、基本的に事務畑の人種なもので肉体労働にとんと体力が足りません (´・ω・`) なかなか無謀なチャレンジでしたが、たった3日でも行けてよかったと思いました。

>南三陸は、県内ニュースで度々特集組まれるだけに、有難いです。

おおぅ、さすがローカル。ただですねぇ、わしはそういうのを全国区で流すべきだと思いました。朝ご飯食べながらニュースを見てましたが、ちょうど高校野球のシーズンだったんで高校野球が毎朝流れてましたけど、それと同等、あるいはそれ以上の重みを持って、「今日の被災地」とか「今日の原発」を流すべきだと。
現に、こっちに帰ってきて、お土産を渡すついでにボランティアに行ってきた話をしますと、皆さん、「まだ必要なのか」と驚くんです。ほんとに知らないんですよ、被災地のことを。
観光に行って、金を落とすのもいいんだけど、ボランティアにも行ってほしいなぁと思いましたが、行かない人を責めるわけにも行きませんので、行けるわしが、また行こうと思いました。

  • たきがは
  • 2012/08/23(Thu.)

ボランティアに行ってきた(夏編)

夏休みが9日ありました。コミケに受かっていれば、金曜日でしたんで、1日有給を足して、10日になる予定でしたが、コミケには落ちちゃったんで、9日でした。
うち、家族旅行に毎年、行くのが好例ですので、休みが限られている妹さんと合わせて、前半に入れてもらうよう頼み(これが土壇場まですったもんだした)、後半にボランティアに行くことにしました。

例によって、クソ長いので、続きに入れておきます。 今回の目的地は宮城県の北の町、南三陸町です。先日、七ヶ浜町にボランティアに行った時に「南三陸ではまだ重機が入っている。お盆頃に行ったら、個人ボランティアは歓迎されるよ」と言われたからです。いや、まぁ、歓迎されるかどうかはどこも基本、ボランティアは歓迎してもらえるんですけど、わしも歓迎してほしくて行くわけじゃないんですけど、ボランティアに行く限りは、やっぱり必要とされるところ、個人ならではの小回りの効きを活かして、より足りないところに行くべきだよ!と思ってるからなので、南三陸町に行くことに決めたのでした。

しかし、何と言ってもお盆時、日本で正月の次に混む季節です。宿を決めるところから前途多難です。
南三陸町のボランティアセンターは、志津川にあります。もちろん、宿は近い方がいいに決まっています。車で行くのは当然ですが、車で動くのはガソリンも要りますし、いろいろと大変なんで、徒歩で行けるのが理想的だとわしは思ってるからです。
ところが、志津川地区の再開した宿屋は全部塞がっており、後は南三陸町の観光協会に登録されている再開した宿屋に片っ端から電話をかける始末でした。うう、七ヶ浜町はボラセンの目の前にきずな館という名古屋のNPOが運営する宿泊施設がありましたが、南三陸町にはそういうものはないようなのでした…orz(現地に行ったら、わしの調査不足だったみたいで、一応、格安の宿泊施設はありましたが、七ヶ浜町の7倍ほどと割高で、実際に泊まった宿は10倍以上と観光地並み)
結局、泊浜というところのニュー泊崎荘という民宿が空いていたので、場所もろくに確認せず、背に腹は代えられないの勢いで決めてしまいました。一時は北の気仙沼市に宿をとろうかと思ったぐらい(40kmくらい離れている。しかし、田舎の40kmは馬鹿にできないですよ、あなた)なので、南三陸町の観光協会にあった宿というだけで満足です。もっとも、現地に行ったら、石巻市の実家や仙台市から通っている(前者1時間以上、後者2時間以上)という強者もいたので、泊浜くらいではご近所の感覚なのかもしれません。おらには理解できねぇだ。

ちなみに実際の距離はこんな感じ。

地図の右端にニュー泊崎荘。地図の真ん中左寄りに南三陸町役場(仮)があって、ボラセンもそこ。この間、約10km以上、車で走ると20分くらい。

さて、片道8時間(MapFanの予想)の行程ですんで、1日目は移動のみで、2日目から活動です。具体的には17〜19日午前中が今回のボランティア参加でした。

ボランティアの前に、今回は宿代が高くついたので、1泊2食つきだと夕飯代が1800円と、とてもボランティアに来ているような感覚ではない金額なので(前回も前々回も自炊だったもんで)、でも朝ご飯まで自力にすると、いろいろと貧しい食生活になりそう(たきがはは手抜きを始めるとカップ麺までいきつく人間なので、食事には基本、意識的に手間と金をかけないと体力的にやばい)なので、朝ご飯は宿でとることにして、晩ご飯を外食にすることにしました。基本、店は開いているとボラセンの人は言うてはったし。

しかし、七ヶ浜町の感覚で行ったのが大間違い。
基本、東北一の大都会・仙台から1時間圏内の七ヶ浜町と異なり、南三陸町は北の外れです。隣りに石巻市・気仙沼市という大きな市はありますが、どちらも40kmは離れているので、晩ご飯を食べに毎晩通うには、ちと無理があります。で、必然的に南三陸町内で済ませようと考えるわけなんですが、ここが夜6時を過ぎると、たいがいの飲食店が閉まってしまい、居酒屋も見当たりません(たきがはのリサーチ不足かもしれませんが)。ボラセンに近い食堂もラスト・オーダーは5時半と言われましたが、わしは晩ご飯はたいがい6時半以降に食べる人種なもんで、5時半のラスト・オーダーは予定外に早いのです。で、目をつけていたラーメン屋も15時に閉まるという昼飯向きの店舗で、開いていたのは県外から来たらしい2軒のみだったのでした。あとはコンビニ。
しかし、たきがは、長年、残業して、外でご飯を食べるという経験がありまして、ファストフード、コンビニでの晩ご飯は人生の敗北論者です。単に、どっちも長年食ってきたので、その味に飽きてしまい、いい加減、食べたくないというだけなんですが、そんなことをするくらいなら、うちに帰って袋ラーメン(サッポロ一番味噌ラーメン)食べるわい!な主義なもんで、極力、コンビニには行きたくありません。
よって、開いている2軒のどっちにしようかと思ったら、1軒は何か人数がいっぱいで席がふさがっているようだったので、もう1軒に入りました。でも、ここは基本、たきがはの嫌いな魚の出汁のラーメン屋だったもんで、ちょっと迷ったんですが、ここでなかったら、さっきの店が空くのを待つか、いきなり気仙沼まで車を走らせるかしかありませんので、まぁ、初めての店だし、餃子定食を頼んでみました。
すると、餃子の味はまずまずだったんですが、オープンなスタイルで扉も窓も開けっ放しなもんですから、羽蟻が次々にわしのご飯にやってきまして、しかも脂に足をとられたり、スープでそのまま溺れたり、ご飯の糊に足を取られたりと都合10匹ばかりの羽蟻にたかられる羽目になりました。まぁ、わしもこんなことを書いていますけど、わりとそういうものには慌てず騒がず、黙って取り除いて食べる方なもんで、黙々と羽蟻を取り続け、食べ終えましたが、残念ながら、スープは予想したような味だったので、二度と行きませんでした。羽蟻は餃子を食べ終えた皿にくっつけておいてやりました。ほほ

宿に帰って、お風呂に入って、タイマーをセットして寝るわたくし。

七ヶ浜町だと8時半からボランティアの受付で、これは南三陸町でも同じでしたが、その後の行程が大違い。役所の人の説明があったり、ラジオ体操したり、団体の紹介みたいなことをしていた七ヶ浜町と異なり、新規で登録したら、現場を教えてもらって、リーダーさんから説明があって、9時半くらいから作業開始です。はぇぇ
何人くらい来ているのかと思ったら、30〜40人というところで、七ヶ浜町の半分くらいです。むむむ、確かに少ない。やることはあんまり変わらないで、「瓦礫」拾いです。ただ、表面にある物を拾う七ヶ浜町と違い、ここではスコップで30cmばかり掘り起こして「瓦礫」を拾いますので、当然、増えます。
基本、掘れば「瓦礫」は出るのです。津波でどれだけの物が流されてきたのかわからないんですから。拾う物がなくなって、自然石ばかりという現場も七ヶ浜町にはありましたが、ここ南三陸町では掘れば掘るだけ「瓦礫」が出ます。それで進んでいくのですが、手間は当然、七ヶ浜町よりかかりますので、たきがは、ここで午前中の暑さのためもあり、ダウン。25分活動して15分休み、というサイクルを2回繰り返したところで、午前中の作業はできなくなってしまいました。暑いんだ、ほんとに!
午後になって(リーダーの方にはさんざんに「帰った方がいいよ」と言われたのですが、こちらもそうそう来られるところじゃないんで、「無理をしない」を条件に午後の作業にも参加させてもらうことに)、雨が降ってきてしまったんで、この日は1時間くらい様子を見ていたんじゃないかと思うんですが、早めに切り上げました。

宿に帰って、シャワーを浴びて、そのまま、ばったり深々と寝入るわし… zzz 仮設住宅に住んでいるというおばちゃんが温泉に入っていました。

起きたら7時半過ぎで、辺りは真っ暗。主要な幹線道路である国道45号線からさらに入って10分以上かかる泊浜です。途中の道路はほぼ真っ暗で街灯は少なく、舗装されていない道路も数ヶ所(ルートによって2ヶ所だったり3ヶ所だったり)あり、夜間の運転は微妙なところですが、このままご飯を食べないわけにはいきませんので、着替えて、慌てて出かけます。
45号線まで出る道も、45号線自体も街灯が少なくて暗いのですが、そういうのはわりと水俣で鍛えられたと自負しておるもんで、たきがは、ぶいぶい飛ばします(制限速度+20kmくらい)。
でも選択肢は2軒しかありませんので(知っている範囲で)、昨日はいっぱいで入れなかった店舗の方へ行ってみることにしました。
唐揚げ定食を頼んだら、ボリュームはあったけど、なかなか美味かったです。もともと鶏好きだし。
で、帰って、そのまま寝たんですが、やっぱりお風呂に入らなかったのはまずかったようで、翌朝、朝風呂に入る羽目に。

3日目は土曜日です。朝から霧が出ていると思ったら、ボラセンに着いた辺りで雨になり、一時は活動も危ぶまれるほど降りましたが、雨が降ったらお休みの昨年の石巻と異なり、南三陸町ではボランティア自体が少ないので、なかなか機会は逃せないのか、単にリーダーさんの性格なのか、現場に到着して1時間ぐらい待ったところで、やっと雨が止んで、作業にとりかかることができました。
たきがはも昨日の反省から、持っていった水2日分を1日で消費する勢いで、暑さ対策はそれなりにしたんですが、日焼け止めなんて端から頭にない人間なもんで、むき出しだった両腕が日焼けして、温泉に入ったら、ひりひりしました。午後は暑かったのでした。
現場は昨日と同じところで、昨日の作業の続きだったもんで、慣れた感じでひたすら「瓦礫」を拾っていましたが、わしのいた辺りだけ、やたらに「瓦礫」が多くて、ほかよりずっと遅かったですよ。でも、最後はほかの人も入って、帳尻は合わせたんですが、振り返っても振り返っても「瓦礫」って感じで、わりと見過ごしている「瓦礫」なんかも多かったので、掘りながら拾うというやり方は、あんまり効率が良くないような気がしました。

作業が終わってから、例によって宿に戻り、温泉に入ったところで休もうかと思っていたんですが、昨日ほど疲れが酷くなかったので、寝ないことにして、時間をつぶして、6時頃に今度は気仙沼市に行ってみることにしました。行ったことなかったし。南三陸町には2軒しかないので。
しかし、途中にあった道の駅とかレストランとかことごとく閉まっていて、開いているのはラーメン屋だけという状態で、気仙沼市街に突入、海鮮定食でも食べたかったのですが、選択肢があんまりなくて、うちの近所でも見かけるファミレスへ入ることに… なじょしてこうなった (´・ω・`) 確かに、洋食も食べたいんだけど… (´・ω・`) (´・ω・`) もっと熱心に探せば、何かしらの店舗はあったのでしょうが、だんだんめんどくさくなったからなんだぜ… (´・ω・`)
でも帰りが霧が出て、うっかりすると先も見通せない有様。翌日の朝も宿の周辺は凄い霧だったので(港なのに海が見えない)、海の近くは霧が多いんですかねぇ。

さて、翌日は宿を引き払って、荷物を全部持ってボラセンへ走ります。毎日、上半身が汗だくになるのですが、ボラセンの近所にあるアリーナで無料でシャワーを借りられるそうなんで、ボランティアが終わったら、そこで汗を流して、乾いたシャツに着替えて、帰路につく予定です。

最後の日は別の現場でしたが、依頼主の方がすぐ近くに住んでるもので、トイレを貸してもらえた上、氷水やアイスまでご馳走になりました。ありがとうございました! あんなに美味いアイスは初めて食いました!
しかも、おばちゃんが貴重な津波体験を話してくれました。
そこは湾状になったところで、津波は奥まで届いたようです。海とは思えない真っ黒な水が7回も来て、家が土台から根こそぎはがされて、くるくると回転しながら流されていき、また次の家にぶつかって、くるくると流されていったと。波が引いたら、家はみんなどこかへ行ってしまったと。
年寄りが腰を抜かしたけど、せき立てて高台へ逃げたそうです。「チリ地震の時は、あそこの橋から眺めたんだよ」と言った橋は、今回の津波ではとっくに呑まれるような低さ。わしらが走ってきた国道45号線も津波で流されたそうです。

そう言えば、わしが南三陸町の名前を初めて聞いたのは、「全滅か?!」と言われた時でした。それから、何度も何度も南三陸町の安否が伝わってきて、町が壊滅状態に近いと言われて、それでも全国区の知名度になったはずだから、きっとボランティアも引く手あまたに違いないと思っていました(なので、前回は七ヶ浜町に行った)。でも、それどころか、1年以上経っても、まだ重機が必要な復興の遅さ。お盆の最中だというのに、100人も集まらないボランティア。そうと知って、わしは今回、南三陸町へ行くことにしたのですが、もっと早く来れば良かったなぁと思いました。

19日は、そういうわけで、午前中でボランティアは終わり、アリーナでシャワーを浴びてから、気になっていたバスでラーメンを食べて、1時半頃、南三陸町を後にして、高速に向かいました。その後は、例によって飛ばしましたが、どうやらオプ子ちゃんは、100km/hぐらいで高速を飛ばすのが燃費が良いようなので、今後、それで行こうと思います。しかし、翌日から仕事だというのに、東北道が混みまして、どこの馬鹿が最終日まで遊んでやがんだよ!!!と怒ったものの、わしもその馬鹿の一人なんで、だらだらと走っていきましたが、3回も渋滞に巻き込まれた割りには、10時半にうちに到着。那須高原SAで、川口JCT(東北道の始点)まで3時間以上とか案内にあったわりには、何とか帰り着きました。あ〜、疲れた。

しかし、その翌日から、最終日の半日ボランティアによる日焼けのために、慌てて日焼け用化粧水買いに走ったり、4日とも汗びっしょりだったので(行き帰りの車も、高速なんでエアコンはかかってるんだけど、やっぱり汗だく)、洗濯したり、いろいろとありましたが、また行こうと決心した夏のボランティアでした。

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ボランティアお疲れ様です~。

今回は特に大変だったんですね・・・。ホントお疲れ様です~。
南三陸は、県内ニュースで度々特集組まれるだけに、有難いです。

夏は暑いですね (´・ω・`)

>今回は特に大変だったんですね・・・。ホントお疲れ様です~。

いえいえ。東北の夏の暑さをなめていました。ほとんど、湘南並みですよ。その上、たきがは、基本的に事務畑の人種なもので肉体労働にとんと体力が足りません (´・ω・`) なかなか無謀なチャレンジでしたが、たった3日でも行けてよかったと思いました。

>南三陸は、県内ニュースで度々特集組まれるだけに、有難いです。

おおぅ、さすがローカル。ただですねぇ、わしはそういうのを全国区で流すべきだと思いました。朝ご飯食べながらニュースを見てましたが、ちょうど高校野球のシーズンだったんで高校野球が毎朝流れてましたけど、それと同等、あるいはそれ以上の重みを持って、「今日の被災地」とか「今日の原発」を流すべきだと。
現に、こっちに帰ってきて、お土産を渡すついでにボランティアに行ってきた話をしますと、皆さん、「まだ必要なのか」と驚くんです。ほんとに知らないんですよ、被災地のことを。
観光に行って、金を落とすのもいいんだけど、ボランティアにも行ってほしいなぁと思いましたが、行かない人を責めるわけにも行きませんので、行けるわしが、また行こうと思いました。

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