監督:野村芳太郎
原作:松本清張
脚本:橋本忍、山田洋次
音楽:芥川也寸志
出演:今西警部補(丹波哲郎)、和賀英良(加藤剛)、吉村刑事(森田健作)、今西の上司(稲葉義男)、高木理恵子(島田陽子)、田所佐知子(山口果林)、田所元大臣(佐分利信)、三木謙一(緒形拳)、本浦千代吉(
加藤嘉)、毎朝新聞の記者(穂積隆信)、ひかり座の支配人(渥美清)、千代吉の知り合い(菅井きん)、新世界の商店街の組合長(殿山泰司)、三木の養子(松山省二)、羽後亀田の警察署長(山谷初男)、桐原小十郎(笠智衆)、本浦秀夫(春田和秀)、ほか
見たところ:シネマパレット
日本、1974年
筋は知ってるし原作も読んでますが、一回、映画館で見てみたかったので行ってきました。有名なんで粗筋も書きません。
「
点と線」で有名な松本清張の原作で、推理の仕方も1つずつ手がかりを追い、断たれてはまた次の手がかりといった地道な捜査が中心で、松本清張はいつもこんなだな〜と思って正直、前半はちょっとばかし退屈でした。
1970年代というと、わしもそろそろ俳優さんの顔と名前が一致してくる年代ですので、出る人出る人、見た見た!って感じで、そっちのがおもしろくて、森田健作と菅井きんさん以外の女優陣を除くと好きな系統の俳優さんばかりだったんで、この人がこの役だったんだ〜というのが特におもしろく、興味はそっちに流れてました。
しかし、クライマックス、この映画を原作より際立たせた父と子2人の放浪シーンに入りますと俄然、それまでうるさくさえ感じていた音楽が、ここに来て輝きを帯び、なくてはならぬものになり、涙が滂沱と溢れておりました。
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しかも、台詞1つなかった父と子の放浪シーンに続き、親子の恩人でありながら、被害者ともなってしまった三木謙一との出会いから台詞が入り始めまして、そのあいだあいだに狂言回しの今西警部補の解説が入り、硬い表情を見せていた秀夫が、父にだけ見せる笑顔、子どもらしい顔を見ていると、もう涙が止まらなくなってまして、このクライマックスのクライマックス、父と子の永劫の別れ(亀嵩駅で)になると、もうしゃくり上げるのをこらえるのに必死な状態でした。
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もうね、
加藤嘉さんお一人にやられた感じです。もともとわしはこの方に大変弱く、「
五辨の椿」での不遇のおとっつぁんのいい人オーラ全開なところなんか、もうそれだけで同情に値しちゃいますもんね! 逆にいい人オーラを抑え込んだ「
八甲田山」の腹に一物ありそうな村長役なんかも好きだけどね!
監督も「この役は映画化の話が決まった時から加藤嘉さんに決まっている」と言ってるんで、加藤嘉さんあっての映画だなぁと思います。というか、ほかの誰にも務まらないです。後で何回もドラマ化されてますけど、キャストを見てもピンと来ません。ちなみに上の台詞は、実際には三木謙一を演じた緒形拳さんが監督に直談判に行った時に返されたそうで、緒形拳さんのおとっつぁんはだいぶイメージが違うかなぁと、わしは思いました。というか、緒形拳さんにそういうはかなさはない。演じた三木謙一の無類のいい人っぽさは伝わったけど。
というわけでラスト、和賀英良ならぬ本浦秀夫の逮捕を示唆しつつ、親子の旅路で幕を閉じますが、ほんとにこのシーンを作り出した脚本が凄いと思いましたが、どうも順番は逆で、映画化を熱望する清張に対し、脚本家はいまいちだと思ってて、でも親子の旅のところは気に入ってて、それでこの親子の旅のシーンを膨らましたようです(Wikiによる)。
また実際、この映画、なにしろ今西刑事があちこちに旅行します(仕事でだけど)。秋田(羽後亀田)、出雲(三木の巡査時代の足跡を追って本命の亀嵩へ)、石川(千代吉親子の足跡を追って)、大阪(秀夫の足跡を追って)と、今はなき食堂車なんかも描いて一種のロードムービーっぽくなってるのも、ちょっと退屈した一因かも。
そんな不満を払拭したのがクライマックスで、加藤嘉さんの放浪する日本の風景の特に厳しさと美しさは、この映画を傑作に押し上げているんだなぁと思いました。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
映画でも原作でも「犯人の動機が弱い」と言われる今作ですが、父親以外には決して打ち解けた様子も笑顔も見せなかった秀夫のことを考えていたら、ふと思いついたので追記しときます。
今西警部補の調査では仏様のように言われる三木謙一ですが、見ていた時に、その善意がちょっと引っかかったところがありました。
まず、本浦千代吉にハンセン氏病専門の療養所への入園を強烈に勧めた時、親一人、子一人という状況にある本浦親子を引き離すことへの躊躇いをまったく感じなかったことです。
千代吉がなかなか三木の説得に応じなかったのは、息子を一人で親戚も知り合いもいない村に置いていくことを強く懸念したからでしょう。せめて、郷里の母のもとに送り返すならともかく、どうも秀夫のことは任せろみたいな安請け合いをして、ともかくハンセン氏病への偏見(当時は。また三木の立場的に憲兵なので個人の幸せ<(乗り越えられない壁)<社会の幸せという考えを持っていても不思議はない)丸出しにしてなにしろ千代吉を療養所に入れるのが先決! 絶対条件! みたいなシーンを見ていたら、秀夫のなかでは三木謙一は恩人というより、父親と引き離した憎い奴だったんじゃないかと思えてきたのです。
さらに、亀嵩で三木は秀夫の引き取り手を探します。わし、ここは一発で養子にしたんだろうと思っていたらさにあらず、そんな気はさらさらなくて、村人に引き取らせようとしたのです。まぁ、これも「善意」からなんでしょうが、
地獄への道は善意で舗装されているとも言いますからねぇ… 村中、それもごく小さな村のなかをたらい回しにされ、そのたびに、あの業病病みの息子と冷たい視線を向けられ、冷たく扱われた秀夫のなかに亀嵩の村人への恨みも積もり積もっていったんじゃないかと思いました。それぐらい秀夫の表情が硬い。
最終的に三木は自分たち夫婦に子どもがいないという理由もあって秀夫を養子にし、夫婦揃って可愛がるシーンが出てきます。三木夫婦は笑顔を向けていますが秀夫は硬い表情を決して崩しません。そりゃそうだ。三木は秀夫にとっては父親と引き離した憎い奴であり、とっとと自分で養育すればいいのに村中をたらい回しにさせた張本人です。どうして養親として慕うことがありましょう。絶対にあり得ない。
その三木が20年くらい経って秀夫(この時は和賀英良)の前に現れた。恩人だという恩着せがましい顔をして、まだ生きている千代吉に会えと言う。
秀夫の心中は複雑だったでしょう。売れっ子になった自分がハンセン氏病の療養所を訪れれば一大スキャンダルになるのは間違いない。しかも千代吉が父と知られればスポンサーも婚約者も失うのは間違いない。しかし別れた時はあれほど慕った父に、会いたくないはずがない。
ところが後に今西警部補から和賀英良の写真を見せられた千代吉は知らないと言い張ります。三木でさえ、一発(話の都合上)で秀夫と見抜いたのに千代吉にわからぬはずはない。でも、写真のなかの秀夫はサングラスなぞかけて、ずいぶんとハイカラそうで、成功しているのがわかったのでしょう。千代吉は親子の名乗りを上げるより、成功した息子のお荷物にはなるまいとうめき声とともに最愛の息子への思いを封印してしまうのでした。あれほど三木との往復書簡では息子のことばかり案じていたのに。
でも、それは三木が請け合ったからじゃないでしょうか。千代吉が療養所に入れば二度と出られなかったのがハンセン氏病の患者に押しつけられたルールでした。できるなら、いっそ秀夫を連れていきたい、そうでなくても知り合いの一人もいない田舎の村では秀夫を一人残しても村人の偏見は酷かろう。三木は大丈夫と言うけれど、実際には秀夫は行方知れずになってしまった。千代吉は三木へ、書くことのできぬ恨み辛みを抱えてはいなかったでしょうか? 我が子と引き裂いた自称「恩人」へ、他称「仏様」へ、秀夫と引き離された恨みがなかったと言えるでしょうか?
そんな秀夫=和賀英良の前に恩人面して現れた三木謙一。和賀英良から秀夫に戻った時、三木の頭に石が振り下ろされたとしても何の不思議もないのではないかと思いました。
秀夫は確かに成功した。それも世界的な指揮者、作曲者と認められた。でも、その心の奥底にはいつも生き別れた父の姿があったのではないか。そんなことを思いつきました。
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