1977年の事件です。
去年、
同様の記事を書いた時に比べると那覇の上空を米軍機が飛び交うことが格段に多くなりました。危険は去っていないどころか、ますます増しているのです。
あの事故で亡くなった2人のお子さんたちと、生きのびたものの、痛ましい最期を遂げられたお母さんのことをわしは決して忘れないでしょう。
沖縄の大多数の人たちはまるで上空をそんな物が飛んでいることなど忘れているか、忘れようとしているかのようにオスプレイの不快な震動が響き渡っても話題にもしません。
でも、住宅地の上で訓練をしている限り、その危険は決して去りませんし、そもそも米軍の最近聞こえる不祥事は、些細なこととは言いかねるほど、危険性を自ら増しているとしか思えません。東電同様、そういう物を扱う資格を抜本的に持っていないのだと言わざるを得ません。
それでも同じような事故が繰り返されぬよう、わたしたちは祈るしかできないのでしょうか? そんなことを思いながら、毎日、OHアラートを眺める日々です。
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