最近、東京まで行って映画を見る気力がまったくないので「麦の穂を揺らす風」は見送りました。で、実家の近所で見られるこれを見に行ったわけだな。
子どものころにこの映画を見ても、蜘蛛が好きにはならんかったと思う。ええと、たきがはも子どものころに見た映画ですし、子ども向けにアレンジもされてたでしょうが、たきがはの好きだった雌蜘蛛のシャーロットはこんなキャラクターじゃなかったと思いまふ。子ども向けの映画でしたんで、劇場内には圧倒的に親子連れが多かったわけなんですが、いまどきのお子さまはこの映画を見て、蜘蛛を好きになってくれるでしょうか? たぶん、ならん。だとしたら、どこのどいつがいかなる評価をくだそうと、この映画がいいとはたきがはは口が裂けても言えません。それとも、子供だましでだまされたのかなぁ。いやぁ、大人が見ていい映画は子どもが見てもいいと思うし、その逆も真なりと思うんだけどなぁ。
子豚のウィルバーがちょっとお馬鹿にしか見えなかったのはまぁ、いいや。いや、それが根本的な問題か。つまり、なんで我らがシャーロットがこんなお馬鹿な豚を、文字どおり命をかけて助けなければならないのか、と思わせたら、この映画、あかんと思う。豚だからこんなもん? でも、特別でも何でもない豚のウィルバーをシャーロットが助けることこそが、この映画の真のテーマなのか?
ウィルバーの飼い主のファーンって、ウィルバーを助けるためには、最初以外何もしとらんような。ウィルバーにとっては確かに命の恩人なんだけど、その後、クリスマスの御馳走にされそうなウィルバーを助けたのは全面的にシャーロットであり、動物たちだったよな〜? ことあるごとにウィルバーをハムだのベーコン呼ばわりするおっさんに食ってかかるでなし。
シャーロットが4回もウィルバーを助けるのは展開的にマイナスでは。
巣に文字が→奇跡だ→人が集まる→飽きられる→ウィルバー、冬にはハム説浮上という展開を3回も繰り返し、4回目にやっとウィルバーがハムにされる運命から逃れられる、という筋書きはたるい。おっさん、そこまで馬鹿でいいのか。そのためにシャーロットは卵を産んで力尽きてしまうなんてありか。
たきがはの覚えている「シャーロットの贈り物」では、シャーロットがウィルバーを助けたのは1回だけだったような気がする。シャーロットはそのままでは人間たちの食い物にされるウィルバーを、ただ1度、豚の品評会で自らの蜘蛛の巣でレースを編んで着飾ってやった。けれど、蜘蛛のシャーロットの寿命はウィルバーほど長くないし、シャーロットはウィルバーよりも年上だったので大事な卵を産んで力尽きる。シャーロットとの別れを悲しむウィルバー、でも、春になってシャーロットの卵から小さな蜘蛛の子がたくさん孵る。こうして命は巡り、また出会いと別れを繰り返す。
ちなみに吹き替え版で見ました。字幕版やってないんだもん。シャーロット役がジュリア=ロバーツだった。日本語では鶴田真由さん。落ち着いたアルトがなかなかいい感じ。
しかし、どーなるのかと思っていたシャーロットの顔がちと怖いと思う。まぁ、蜘蛛の顔をリアルに描くとやっぱり子ども受けしないんだろうけど、ああいう、アメリカにありがちなデフォルメはいまいち好きになれんなぁ。
やはり、もう一度オリジナルのアニメを見直してみようと思う今日この頃であった。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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