監督:マーク=ライデル
出演:ノーマン=セイヤー(ヘンリー=フォンダ)、エセル(キャサリン=ヘプバーン)、チェルシー(ジェーン=フォンダ)、ビリー(ダグ=マッケオン)、ほか
原作:アーネスト=トンプソン
1981年、アメリカ
ヘンリー=フォンダ氏の遺作です。原題は「On Goleden Pond」といい、老夫妻が住む湖を言います。Pondというと池って感じですが、中盤でビリー少年がモータ付きのボートを乗り回しているので、かなり広い湖です。迎えるはこの映画でアカデミー主演女優賞を4度取ったという大女優キャサリン=ヘプバーンさん、この大スター同士の夢の共演は、ヘンリー=フォンダ氏の実の娘で、作中にも娘役として出演しているジェーン=フォンダさんの意向によるものでした。
ノーマンとエセルの老夫婦が「ゴールデン・ポンド」のほとりに立つ我が家に帰ってきた。長い冬が終わり、春になったので、夫婦はここで暮らすのが定番だったのだ。そこに長年、父との確執を抱えた一人娘チェルシーが、恋人の歯科医ビルと、その息子ビリーを伴って、ノーマンの80歳の誕生日を祝うためにやってくる。チェルシーとビルはすぐにヨーロッパに旅立ってしまい、ビリーが残されたが、初めは反発していたビリーも自然あふれる「ゴールデン・ポンド」での暮らしになじみ、ノーマンとは親友同士になっていくのだった。
ノーマン=セイヤーおじいちゃん、へそ曲がりで偏屈な老人です。元教授ですが、何の教授だったかは不明。ゴールデン・ポンドのほとりの家は、別荘かと思いましたが、チェルシーも子ども時代を一緒に過ごしたそうなので、春〜秋限定の自宅のようです。贅沢だなぁ。冬になると町に帰るのか。「長い冬」でもそういう話、あったなぁ。贅沢とは違うのか。80歳になって、ちょっと忘れっぽくなったもので、エセル曰く「5分おきに死について考えている」と言われてしまいますが、娘にもあんまり素直になれないだけで、本当は優しい人です。父親においていかれて、ちょっとすねてるビリーにも釣りを教えてやったり、飛び込みを教えてやったり、文芸書(「宝島」とか「二都物語」というタイトルが出てくる)を読ませたりとけっこう面倒をみます。
娘のチェルシーはどうやらアラフォー世代と思われます(旦那のビルが45歳と言ってるから)。しかし、子どもの頃はおでぶちゃんで、父親とはうまくいってなく、どうもそのことでいまだに父親に会うと素直になれません。何度も「うちの父はエゴイストだ」と批判する様子が出ています。そこら辺の娘像は、演じたジェーン=フォンダさんの父ヘンリー=フォンダ氏との確執もかぶるようです。ただ、最初は舞台だったこの「黄昏」を、父のために映画化の権利を取りつけ、相手役にキャサリン=ヘプバーンさんを連れてくるあたり、かなりの気遣いが見られます。しかも、この映画でヘンリー=フォンダ氏はアカデミー主演男優賞を初めて手にしたわけですから、この時代のハリウッドには本当にスターたちがたくさんいたんだなぁと思いました。
そして大御所キャサリン=ヘプバーンさん、一家を支えるエセル母さんです。偏屈なノーマンじいさんも、すねちゃった娘チェルシーも、ひねちゃったビリー少年もがっちり受け止める懐の広さはおっかさんって感じです。まぁ、娘と夫の確執を、この歳になるまで治せなかったという落ちもなくはありませんが、これは母さん責めてもしょうがないし。ノーマンじいさんがどんなにへそ曲がったことを言っても、あったかく、大きく受け止める、良き妻です。
さらにここに飛び込んでくるのがビリー少年、13歳。ロスで女の子たちを引っかけて遊んでいた少年が、ノーマンじいさんに怒られて釣りに連れていかれてからというもの、だんだんノーマンと打ち解けるようになりまして、すっかり素直な少年に。最後はノーマンとゴールデン・ポンドの主釣りまで成功するというラッキー・ボーイです。中盤はこのビリーとノーマンのやんちゃぶりをエセルが見守るというのが主題ですので、日本語タイトルは「黄昏」となってますが、決してじいさんだけにスポットライトが当たった映画ってわけじゃないんだなと。
ただ、クライマックスでチェルシーとノーマンの長年の確執がやっと解かれたように、主役はあくまでこっちというか、そうした家族の営みを見守るゴールデン・ポンドこそ主役であるというか。ラストでノーマンとエセルが仲良くゴールデン・ポンドのほとりを散歩するように、たとえこの夫婦が亡くなってもゴールデン・ポンドは変わることなくそこにあり、チェルシー夫婦に受け継がれ、きっとビリーにも受け継がれていくのだろうなぁと。
しかし、クライマックスが実はもう1つありまして、前から心臓が悪いと言われているノーマンが発作で倒れちゃうんですよ。そこでいつも冷静なエセルが取り乱すという夫婦の愛情を忍ばせるシーンがあるんですけど、あそこら辺の展開は、ヘンリー=フォンダ氏が主演だってんで舞台とは違うような気がしました(未確認ですので推定ですが)。ヘンリー=フォンダ氏が主役だってんで入れたような感じもしました(そうでないと原題とのつながりとか、その前のビリーとの交流とかが浮く感じになる)。まぁ、そういうところを読んだ上で、日本語タイトルに「黄昏」とつけたとしたら、これはこれで秀逸だなと思いました。
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