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杉原幸子著。朝日ソノラマ刊。

戦時中、リトアニアの首都カウナスの日本領事館で、日本の通過ビザを求めてナチス・ドイツの支配から逃れてきたユダヤ人たちに、杉原千畝さんがビザを与えた。戦後、日本外務省はこのことをよしとせず(日本とナチス・ドイツは同盟国であったため、ドイツの政策に反対する行動だった)、杉原さんは外務省を退職させられたが、後に命を救われたユダヤ人たちが杉原さんを探し当て、イスラエルの発行する「ヤド・バシェム賞(諸国民の中の正義の人賞)」を与えることで、杉原さんの行為は世界的に認められたものとなり、杉原さんの日本での復権も叶った、という事実を、杉原さんの奥さんによって語った話。

なんですが、どうしても、こういう立場の方々は、ユダヤ人の受けた迫害、いわゆるホロコーストに同情的なことはあっても、現在のイスラエルで行われているユダヤ人によるパレスチナ住民へのホロコーストに近い扱いはスルーするわけです。まぁ、息子がイスラエルに招待留学までしてるから、悪口も言えないんだろうけど、杉原さん自身が生きていたら、そこのところはどう考えたのか、そもそもそういう事実を知っていたのか、という点の方に興味があり、奥さんの主観はどうでも良かったりしました。

あと、外交官というのは無茶苦茶恵まれていた人たちでして、戦時中、日本では食料統制が敷かれ、食べるものにも困ったとか、うちの両親はもろに戦中派ですんで、ご飯じゃなくて芋ばかり食べていたとか(母は福島、父は長野に疎開なので事情はかなり異なりますが)、なにしろすごく大変だったという話を断片的に聞いておりますと、敗戦後、最後にいたのがルーマニアだったんですが、荷物が家族6人(杉原夫妻、奥さんの妹、息子3人)でトランク30個分とか読んでしまうと、着の身着のままで逃げてきた満州からの引き揚げ(「流れる星は生きている」という名著あります)に比べると、ソ連に拘束され、見張られていたとはいうものの、命に別状があったわけでなく、何とも恵まれた人たちだったのに、そこら辺、当時の日本国民の実情なんか全然思いやる様子もなく、自分たちの荷物がどんどんなくなっていって大変だった、みたいなのを読んでしまうと「へぇ〜」ぐらいな感じになってしまったりしました。

どっちかというと杉原さん自身の手記を読んだ方がずっとおもしろかったかもしれません。

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