ソン=ガンホ、ムン=ソリ主演。
学もないし、度胸もない小市民の理髪師、ソン=ハンモは、大統領官邸のある町に住んでいたことから、朴大統領お抱えの理髪師になってしまう。最初のうちは訳もわからず権力に媚びるだけだったハンモだったが、一人息子が共産主義者と間違われ、歩けなくなったことで少しずつ変わっていくのだった。
おかしうて、やがて哀しき庶民かな。
懐かしい映画だなぁと思いました。ちなみに2004年作ですが、こういう一般市民の何気ない日常を描いた映画というのは、日本映画全盛のころに撮られた映画だと思います。大作スペクタクルだけが映画じゃない。こういう、市井の人の視線から描かれた映画がもっとあっていいと思います。今のハリウッドにゃ逆立ちしても撮れんだろ、こういうの。いわゆる「大スター」とか美男美女だけ並べとけば気が済むと思ってんじゃねーのか、と思います。
かつての日本映画はそうじゃなかった。黒澤があって、小津があって、溝口があって、みんな作風が違ってた。スケールが違った。スケールの大小がいいのではない。そういう個性があった。いま、ロードショーでかかる映画ってどんなんですか。アニメか、大作かハリウッドか。それだけが映画じゃないよと思います。
そういう点では単館映画館は貴重でした。もう通うことはないと思いますが、ああいうところでかかる映画こそ、もっと大勢の人に見てもらいたいと思ってます。
閑話休題。
「大統領の理髪師」も、そういう、ふつうの庶民だった理髪師のお父さんが、大統領とその周りの人に振りまわされつつ、少しずつ自分を持っていく、そういう逞しさを描いた映画であります。まぁ、大統領の理髪師ってだけですでに特別な立場なんですけど、ソン=ガンホ氏の演ずるソン=ハンモはあくまで小市民で、情けなくて、おかしくて、哀しくて、別に大統領の理髪師だからって大化けしない。特別な人にならない。あくまで等身大で、ちょっとずつちょっとずつ変わっていく。
いみじくもソン=ガンホ氏が自分にいちばん近いキャラクターだ、と仰った「反則王」のイム=デホのように、人はいきなり大幅に変わったりしない。変化は起こる、少しずつ。イム=デホが、「反則王」のラストでいつもヘッドロックをかける上司をいきなり投げ飛ばしたりできないように、ソン=ハンモもそんなに変わらない。でも、彼は朴大統領が暗殺され、次の大統領の理髪師にも、と言われた時に断ろうとする。結局断り切れなかったのはすぐ次のシーンで明らかですが、頭頂部のはげ上がった大統領に「髪が伸びてからきます」と言ってしまうぐらいの変化はしている。で、拷問されて家に戻ってくるんですけど、息子に曰く「でも、お父さんは言ってから胸のつかえがとれたそうです」とか。
で、このソン=ハンモを支える奥さんがまたいいですな。強気で、情が厚くて。それに息子もいい。映画は息子のナレーションで、息子の視点で描かれるんだけど、お父さんに似て、気弱で。
この映画が舞台になっている1960〜70年代の韓国は、朴大統領の軍事クーデターやら、暗殺やらと暗い時代でした。でも、「山より高い壁が築き上げられても、柔らかな風は笑って越えてゆく。力だけで心まで縛れはしない(「East Asia」よりCopyright中島みゆき)」のですよ。そんな庶民のしたたかさと哀しさをさらりと描いた上手い映画です。
ソン=ガンホ氏はますます芸達者になられましたなぁ。しかし、格好いい役(「シュリ」とか「JSA」とか)の時は格好良く見えるのに、こういう情けない役(「反則王」「殺人の追憶」とか)の時はとことん情けない。ソル=ギョング氏とは別の意味で、よー変わる役者さんでありますよ。
奥さん役のムン=ソリさん、「ペパーミント・キャンディ」のヒロインでしたのか。気づかなかったよ、1回しか見てないし。あの時はもっと純朴な娘役だったし。女は化けるね。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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