監督:シドニー=フランクリン
原作:パール=バック
出演:ワン=ルン(ポール=ムニ)、オー=ラン(ルイーゼ=ライナー)、ワン=ルンの叔父(ウォルター=コノリー)、歌手(ティリー=ロッシュ)、ワン=ルンの長男(ケイ=ルーク)、ワン=ルンの父(チャーリー=グレイプウィン)、ほか
アメリカ、1937年
原作は大昔に読んだはずなんだけれど、記憶の中に残ってもいませんが、何となくアメリカの女性作家が書いた中国の農民の話、というのだけは覚えていて、興味を覚えたんで借りてみました。
貧農の息子ワン=ルンが大地主ルウ家の女奴隷オー=ランを嫁にもらった。あまり美人でもなく、寡黙なオー=ランだったが、働き者のため、ワン=ルンの運勢は上向いていく。だがルウ家から土地を買い、3人の子どもに恵まれたのもつかの間、ワン=ルンたちのいる地方を飢饉が襲い、一家はやむなく仕事を求めて南に向かう。大都会に住みついたワン=ルンたちだったが仕事はなかなかなく、子どもたちやオー=ランは物乞いをし、盗みまでして暮らしていたが、革命に巻き込まれたことで火事場泥棒で宝石を手に入れ、北の土地に凱旋する。金を蓄え、ルウ家の屋敷まで手に入れるワン=ルン。だが自身は歌手の蓮華に溺れ、長男は大学にやったものの、畑を任せていた次男と仲違いし、オー=ランを疎んじるようになってしまう。だがその時、イナゴの大群が近づいていることを叔父が告げる。次男がうちを出ると聞かされ、大学から戻っていた長男のアイデアで畑を守るため、指揮をとるワン=ルン。その姿に人びとも手を貸し、イナゴがやってきても懸命に戦う。その甲斐あって、ようやく風向きが変わり、イナゴが去って行くと、ワン=ルンは次男や、袂を分かったはずの旧友とも和解して、屋敷を手放し、百姓に戻る決意をした。次男の結婚式でワン=ルンはオー=ランに謝罪するが、彼女は幸せのうちに息を引き取る。その存在は大地そのものだとワン=ルンは思って、妻を偲ぶのだった。
長いけど、粗筋、最後まで書いた。
途中、にわか成金となったワン=ルンが都会の遊びに手を出し、歌手に溺れていくところは駄目親父の典型で、見ていてイラッとしました。確かにオー=ランは奴隷出身ですが、彼女が幼い頃に飢饉に遭った両親がやむなく手放したという事情があり、しかもオー=ランのワン=ルンを支えるのも陰になり影になりと献身的なもので、彼女あっての成金ワン=ルンというのを見ているだけに、小説だと息子たちが父から離反し、ワン=ルンは精神が薄弱な末娘を可愛がるという流れになっていくようなんですが(ここら辺は粗筋覚えてないんで)、でもそれも自業自得じゃね?と思って見てました。息子2人にとっては母あってのワン家です。それを、あろうことか愛人抱えて、「これからお前は台所に住め」とか、父親に反発したくもなるだろうにと思うわけです。しかもオー=ランがあくまでも控えめで献身的で、夫にどんな暴言を吐かれてもじっと耐えているとなりますと、わしは基本的に女性に同情しちゃうんで、
ワン=ルンさいてーとか思ってたりしたわけなんでした。
それだけにラスト、イナゴが来て、大学で農業について学ぶ長男の意見で畑を守るために指揮をとるワン=ルンというのは、そこまでのフラストレーションを一気に吹っ飛ばす迫力があり、1937年という時代に、こういう映画を撮っていたアメリカの底力は凄いんだと思いました。まぁ、「
風と共に去りぬ」がこの2年後ですから、最初から勝てるはずのない戦争を日本は仕掛けたんだなと。この当時の中国では日中戦争が始まった頃ですから、中国でロケをしているはずがありません。でも、あんまり違和感のない映像、特にクライマックスのイナゴのシーンなんか凄いです。そういうのを撮った。エキストラもだいぶ中国人ぽい人を揃えている。そういう国力を見せつけられた感じです。
ただ、肝心の主役がどう見てもアメリカの兄ちゃんにしか見えなくて、しかも当然のことながら、全員、しゃべっているのは英語なもんで、そこだけが残念と言えば、残念な映画でした(爆
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