監督:杉井ギサブロー
原作:宮沢賢治
出演:グスコーブドリ(小栗旬)、ネリ(勿那汐里)、クーボー博士・語り(柄本明)、コトリ(佐々木蔵之介)、赤ひげ(林家正蔵)、ブドリの父(林隆三)、ブドリの母(草刈民代)、ペンネン所長(キートン山田)、ほか
キャラクター原案:ますむら・ひろし
音楽:小松亮太
見たところ:109シネマ湘南
2012年、日本
たきがはは生来のへそ曲がりである。ある日、Yahoo!の映画レビューのページを眺めていたら、この映画のレビューがあったが、まだ公開前のためかそれほど件数はなく、あまり高い評価ではなかった。たきがははへそ曲がりなので、世間様のレビューのあんまり高いのは信用しない(「千と千尋の神隠し」とか「もののけ姫」とか)。かといって低いレビューの映画を即見に行こうとは思わないが、読んだレビューがどれも「子どもには難しい」といったものだったので、な〜んだ、Yahoo!の映画なんて、わかりやすいハリウッド式しか求めてないんだなぁと思ったが、それで少々興味が湧いた。
で、公式サイトで映画館の情報を調べたら、近くでやっている。これが単館系だったりすると、行くのに少々の興味では尻が重たいのでそうそう観に行くこともないのだが、これなら会社帰りに行ける上、れでーすでーも使えるので、それっと行ってきたのである。
以下、公開中の映画につき、続きにしまっておきます。
粗筋はおそらく大方の人が知っているであろう宮沢賢治の童話「グスコーブドリの伝記」でありますが、一応、ざっと書くとこんな感じ。
森の奥で両親、妹と暮らしていたグスコーブドリは、3年ほど続いた冷害と飢饉のため、家族を失ってしまい、里に下りる。そこで農業を営む赤ひげに会ったブドリは、彼の農作業を手伝う傍ら、彼の死んだ息子が残したという書物で勉強をするが、今度は旱のために赤ひげの元を去らなければならなくなり、イーハトーブに向かう。そこで書物の著者クーボー博士に会ったブドリは、その紹介で火山研究所で働くことになるが、再び、国を襲ってきた冷害を何とかしたいと考え、地下活動が活発してきた火山を噴火させることで冷害を食い止めるが、それはブドリの犠牲を伴うことであった。
というわけで、冷害や飢饉という厳しい体験をし、大切な家族を失い(妹については謎の人物コトリによって連れ去られたという描写になってますが、再三、ブドリが夢のように見える境界を越えた世界で、一度は死んだはずの両親を見たところや、ラスト、ブドリを火山に連れていくことなどから考えるに、妹も両親が亡くなった冷害で死んでいると考えるのが正解だと思われます)、人の役に立つ仕事をしたいと考えるブドリが、だんだん大きくなっていくなかで、知識を得、最後は火山を噴火させることで冷害から救うという筋立てなわけでして、これは、原作を読んだから言いますが、宮沢賢治の小説はあんまり子ども向きとは言いがたいところがあると思います。特にこれと「銀河鉄道の夜」。それは、著者が、物語をより普遍的なものにしようとする余り、より抽象的な表現に傾いていったからであり(この言い方はWikipediaによる)、グスコーブドリの自己犠牲や、「銀河鉄道」のカムパネルラの死などは、なかなか子どもには理解しがたい側面があるんじゃないかと思ったりするからです。
ただ、この映画、上述のようにネリの死を初めとして、ブドリが都合3回ほど見た夢の話(テグス工場、宇宙ステーション、裁判)の部分がわりとわかりづらいなぁという印象も受けましたので、抽象的な表現をしないで、敢えてブドリの周辺を書き込むことによって、子どもにもわかるような話にしても良かったんじゃないかとも思いました。
なぜなら、今の日本、こうしている間にも無数のブドリが生まれ、映画ではブドリ一人が犠牲になることでイーハトーブは救われましたが、現実にはいくらブドリが犠牲になっても、10万年も残る放射能を相手にしては、どうにもならないのが事実だからです。そんな時に、単なるファンタジーな「グスコーブドリの伝記」ではなく、主題歌の歌詞からして、もろにそうでしたが、今の日本に引きつけて考えた時、振り返った時、ブドリのことを思わざるを得ないような、そんな映画に監督以下スタッフはしたかったはずではないかとも思えたからなのでした。
そう思ってラスト、ブドリがコトリ(ネリをさらった奴)を呼び出し、カルボナード火山に向かった時、はっきりとブドリの死は描かれませんでしたが、暖かくなったイーハトーブにブドリの姿がないことを思えば、ブドリの死は明らかなのであり、まるで、その死をごまかすかのようにきらきらと画面いっぱいに広がるきらめきを見ていると、なんちゅうか、もっとはっきりブドリの死を描き(火山を噴火させ、溶岩に呑み込まれるとか)、その死を悼むシーンがあっても良かったんじゃないかと思えて、無数のブドリを思って、涙がこぼれました。
きっと、この映画を見た子どもたちには、ブドリがなぜ、自分が死ぬような羽目になってもイーハトーブを救いたかったのか、わからないだろうと思うけれど、それが悲しいことであるのはわかるはずで、それが心に残って、いつかわかってくれればいいんじゃないかと思うのです。
とすると、抽象的なシーンでネリの死などを済ますのではなくても良かったんじゃないかと思ったりする次第。
あと、ブドリのやっていることが、基本、地に足のついた話だったりしたもんで、最後の火山の噴火だけ謎の男コトリの手を借りた風な解決の仕方はどうかと思いました。うーん、そこだけファンタジーに逃げないでほしかったと思うのです。まぁ、現実問題、人間の力で火山を爆発させられるのかはわかりませんが、飛行船とか見てると、技術は高そうだし、だいたい、あんなに専門的な火山の研究所とかできてなかろうし、それこそ、原作だとやってたはずなんですが。
いろいろ考えさせられたけど、いろいろと課題も多いなと思った映画でした。
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