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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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光州5・18民主化運動記念館ほか

順天(スンチョン)から光州(クァンジュ)に移動します。順天で駅前のモーテルに泊まり、格安(確か素泊まり1泊3万ウォン)なのに良い施設だったことに味を占めて、交通の利便性も考えて光州松汀駅前で宿を探しますが、うっかりロケーションだけで決めてしまったモーテルがいまいちでして、おかげで光州は5・18民主化運動記録館と国立墓地と自由公園だけで終わらせてしまいました。もっといいところに泊まれば良かったです…。

光州松汀駅。


なぜ光州駅ではないのかというと、この後、済州島に渡るために木浦(モッポ)に行きたいのですが、光州駅ではなくて光州松汀駅から接続してるんだそうですよ。ややこしいなぁ。

こちらは光州の5・18民主化運動関連の施設案内。光州の観光マップも手に入れましたが、肝心の現地の案内がわかりづらく、足を棒にしてまで探す気が失せたので光州は1日だけで終わらせてしまいました。


わしが5・18運動にこだわるのは、やはり映画「光州5・18」の影響が強いのは否めませんが、釜山から巨済島(コジェ)、晋州(チンジュ)、順天と来て、韓国という国の基礎を作ってしまったのが日帝による植民地支配と、その後の朝鮮戦争による分断にあるのではないかという考えがあるからです。それは当然、朝鮮民主主義人民共和国についても当てはまることで、もしもこの2ヶ国が歪んでいると言うのなら、その歪みはそもそも日本のせいじゃないかとわしは思うのですよ。それほど解放(日本による植民地支配からの解放)後の朝鮮半島への国際的な理解、特に欧米諸国の理解が酷いと。もともと独立国家だった朝鮮が日本から解放された後、自力で建国できなという考え方がおかしいだろうと。まぁ、それは口実で、冷戦まっただ中のアメリカは朝鮮半島をソ連と分け合うことで共産主義への防壁を作りたかったわけでしょうが、それは独自で人民共和国を築いた朝鮮の人びとの意志を無視するものだったし、日本支配時に日本に協力した売国奴たちを助命するものでさえあったことを思うと、朝鮮という国が自立するのはやっぱり朝鮮の人びとの判断に任せるべきだったと思うわけです。あと人民共和国を共産主義と見なすやり方にも反対するわけです。共産主義でも自由主義でもない民族主義だったのではないかと。
ならば理想を語ると朝鮮が解放後にあるべき姿はどちらの陣営にも与さない中立国だったんじゃなかろうかと思います。朝鮮人民共和国は、きっとそういう国になったと思います。

そういうわけで、まずは地下鉄で5・18記念公園へ。その中にある5・18記念文化センターですが、常時オープンはしてないみたいです。


公園内にあった記念碑。


背後のアパート群は韓国の大都市ではどこでも見る光景で、地震のことなんか考えてなさそうな薄い建物です。釜山でハングルを教わっていた先生が「人生初」だという地震にも、その後の大田(テジョン)が震源地の地震にも遭遇したわしとしては耐震に考慮されていない高層建築物というのはおっかないの一言に尽きます。

もう1つ記念碑。


その近くにあった解説。


もう1つ記念碑。


5・18民主化運動記録館。


5・18の史跡地にある碑。残念ながら、わしには筏橋(ボルギョ)並みの案内がないとたどり着けません…。メインストリートとなった錦南路。


5・18民主広場。


民主広場前のバス停から国立5・18民主墓地に行くには518番線(5・18だから!)に乗ります(記録館の反対の車線から)。


韓国はどこも市内バスの路線が多く、けっこう痒いところに手が届きそうな範囲を網羅して走ってますが、それだけに初心者には敷居が高く、光州のように英字併記はほんとにありがたいのです。ハングルだけだと読めるようになったとはいえ目当てのバス停を探すのも大変…

しかし下りるバス停を間違えて、バス停1つ分歩いて、さらに乗り直しましたが(2kmぐらい手前だった気がする…)、無事に着いた国立5・18民主墓地の全体図です。


韓国では公共施設における給水器の備えがほぼ100%に近いのでボトルを持っていれば、水をわざわざ買う必要性はありませんが、わしは愛用のTHERMOSを晋州から乗った市外バスでなくしやがったのでペットボトルに水を足すのでした…。

墓地にある記念碑。いい天気です。
 

旧墓地の方にあった建物。



入り口(写真左の像)の姿から察するに5・18民主化運動関連の建物だと思うのですが、ちょっと案内が足りなくて、よくわかりませんでした。

墓地で見学はおしまいにするつもりだったのですが、来る時に素通りした5・18自由公園(記念公園の隣)に憲兵隊の建物とかが復元されているというので閉園ぎりぎりの時間でしたが行くことに。


展示館の方は閉園してましたが、見学者がジオラマの方に行ったんで便乗して見てきました。実際の建物を移設したそうで、マネキンもあるものでリアルでした。特に牢獄は看守のアナウンスもあって、その罵声が嫌な感じ満載でした。

自由公園にあった野火烈士記念碑。



「野火夜学の活動家」とあるんですが、どういう活動だったのか、ちょっと不明…。

自由公園の手前に金大中コンベンションセンターがありましたが、特にイベントはやってなかったので素通り。金大中さんは光州の出身だそうですけど、あちこちの都市にも記念館あったような…。やっぱり初の野党出身の大統領だったから皆さん、印象が深いんでしょうか。

晩ご飯に食べた蕎麦。



歩き疲れてくたくたとはいえ、なぜ、この選択…。暑かったから、お手軽な麺に逃げたんですよね。

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智異山パルチザン討伐館ほか

巨済島(コジェ)から順天(スンチョン)に移動して筏橋(ボルギョ)に行こうと思っていたのですが、ネットを検索していたら、智異山(チリサン)パルチザン討伐館と黄梅山(ファンメサン)映画テーマパークがあるという情報を手に入れました。

智異山は言うに及ばぬ「太白山脈」においてパルチザンたちが立てこもり、最後まで戦った山です。ちなみに麗水・順天事件の兵士たち、独立運動の闘士たちも立てこもった山で、韓国では漢拏山(ハルラサン)、金剛山(クムガンサン)と合わせて三神山と呼ばれているそうです。

黄梅山は「燃ゆる月」のロケ地だそうで、山麓に作ったセットを公開しているとあります。こうなったら両方とも見に行かねばなるまい〜!と決心して行き先を順天から手前の晋州(チンジュ)に変更。巨済島から晋州行きのバスに乗り込みます。

無事にバスターミナルに着いたのは良かったのですが、いろいろと調べるのを失敗してもう1ヶ所のターミナルに移動してしまい、元のターミナルに戻ろうとして2時間も市内バスに乗っていたのはここだけの話です…。2時間乗ってても相変わらず初乗り料金(というか、市内バスは基本料金しかとられないのですが)だけというのは韓国のバス万歳ですわい。

結局、バスターミナルから近いモーテルに宿をとり、智異山パルチザン討伐館、陜川(ハプチョン)映像テーマパーク、黄梅山映画テーマパーク跡地と行ってきたのでした(1日に1ヶ所)。

ちなみに陜川の方は行く気はちっともなかったんですけどタクシーの運ちゃんに連れていかれたという。「ブラザーフッド」のセットが置いてあったそうなんですが、炎天下の上、案内が不親切でわかりづらく、見損ねたようです。
あと、こういう映画のテーマパークというのは南楊州(ナミャンジュ)にあった「JSA」の板門店のセットでも同じだったんですが、どの映画のどういうシーンで使われました!って説明ぐらいないと忘れちゃってることが多いんでピンとこないんですよね。南楊州撮影所も炎天下での鑑賞だったもんで、あんまり楽しめませんでした。こっちはまた後で書きますわい。

陜川映像テーマパークの遠景(バス待ちしてる時に撮った)↓


さて最初に行った智異山パルチザン討伐館は智異山の山麓にありまして、内部は例によって韓国語のみでした。パンフも韓国語オンリー。
ただ主に朝鮮戦争にからんだ博物館なので、そこら辺の記憶は「太白山脈」がまだ新しいので、あんまり苦労はしませんでしたが、やっぱり解説読めないのは悔しいです…。

パルチザンの持ち物とか、基地の様子とか立体展示も多くて、「太白山脈」のあのシーンは、こんな風だったんだなぁ!とかの理解には役に立ちましたが。
ただ、廉相鎮(ヨム=サンジン)や河大治(ハ=デチ)たちと同じフィールドに立つというのは「太白山脈」の愛読者の一人としては大事なことでありました。この後、筏橋に行きまして、その気持ちはもっと強くなりましたけど。

で、もう1つのお目当ての黄梅山映画テーマパークは、「跡地」と上で書いたようにとっくに閉鎖されておりまして、地元のサイト(しかも日本語も)が残っていたので大いに期待して行ったんですけど(で1回目は間違って陜川に連れていかれた)住所を入れてナビで行ったタクシーで、なくなったことがわかったので完全に閉鎖です。

シュリ」でもそうなんですけど、もっと早く来ていればねぇ、ということが多くて、いろいろ残念だよ俺!

さて、黄梅山映画テーマパークが外したので4時ぐらいに晋州に帰ってきてしまいました。それで壬辰倭乱(いわゆる豊臣秀吉の朝鮮出兵ですよ奥さん)の時に激戦があったという晋州城に行くことにしました。ただ晋州城は朝鮮戦争で消失しているので、現在の城はその後で復元された物です。
晋州城攻防戦には小西行長が参加していたそうで、わしの脳裏には「黄金の日日(展開的には第41話、42話あたり)」の小西くん(つまり小野寺昭氏)が蘇るわけでした。歴史はこういうところがおもしろいよね!

入り口↓


将兵が休んだり宴したりしたという矗石楼↓


逆光なのでかなり暗そうに見えますが、この時期は釜山でも7時半くらいまで陽が沈みません。

矗石楼の入り口↓


矗石楼↓


人がいるのがわかるように、こういう場所は地元のアジュマ(おばちゃん)たちの社交場となってる可能性高し。晋州市民は無料ですが、それ以外は金を取られます。

矗石楼から眺めた南江(ナムガン)↓


城内にある護国寺↓


実際はこれぐらい明るいのですよ。そして暑い。

もう1ヶ所あった楼↓


あと、写真は撮りませんでしたが2度の晋州城戦で倒れた兵士や市民の慰霊碑もありました。
中にあった博物館は入り口が工事中で閉鎖してた模様です。

ちなみに壬辰倭乱で亀甲船を作って功績を挙げた李舜臣(イ=スンシン)将軍にはソウルに行くといやというほど会えます。

晋州でうっかり食べた納豆鍋定食(日本語で言うと)。



正しい名称は「清麹醤(チョングッチャン)」だそうです。ただ、作り方とか風味は、まさに納豆そのもの。納豆嫌いのたきがはは、思わぬパンチにノックアウト。ふんがー

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巨済島捕虜収容所遺跡公園ほか

釜山から巨済(コジェ)島に移動しました。その時に買ったバスのチケット。



バスで2時間くらいかかったかな。
釜山には市外バスのターミナルが2ヶ所ありまして、ソウル行きはどちらからも出てるんですが、全羅道(チョルラド)、慶尚南道(キョンサンナムド)は地下鉄2号線・沙上(ササン)のターミナルからが多いようです。
地下鉄1号線・老圃洞(ノポドン)は忠清道(チュンチョンド)、京畿道(キョンギド)、江原道(カンウォンド)なのかな。
ただ、大邱(テグ)、大田(テジョン)、光州(クァンジュ)のような大都市行きのバスはどちらにもあるのかもしれません。

ちなみにこのバスの発車時間、この後に行った晋州(チンジュ)、済州島でも書いてあったりなかったりしまして、うっかりこの時間のバスに乗り損ねてもバスの乗車券販売の窓口のお姉さん曰く「No Problem!」でして、金さえ払えば、時間にはこだわらないという韓国流は、時間にずぼらなわしにはありがたいシステムでした。それもどうだ。

朝鮮戦争で北側の捕虜を収容したなかでも、いちばん大きな収容所です。

巨済島の古県バスターミナルからタクシーで1か2メーターぐらい。目の前にバス停もありますが、行き先がわからなかったので帰りに使いました。でもターミナルに行くかわからなかったので見覚えのあるところで下りた。

黒水仙」や「太白山脈 第9巻」に登場したところです。

朝鮮戦争の1作戦なので興南撤収作戦の碑もありました。こちらは「国際市場で逢いましょう」の最初のエピソードですな。



ただ、この先、朝鮮戦争関連の記念館はどこもそうなんですが国連軍ありがとう(=アメリカ軍ありがとう)の展示色がすごく強く、朝鮮半島を焼け野原にしたことはいいのかと突っ込みたくなります。
また、わしの心情的にはパルチザンの方に加担しちゃうもので一度は釜山周辺まで攻め込んだ北側が、仁川上陸作戦で巻き返され、鴨緑江(アムノッガン)まで追い詰められたところに中華人民共和国軍が参戦したという辺りの展開は、軍事力の圧倒的な差により、また巻き返されるのはわかりきってるんですが、ちょっとわくわくというか、中国来た━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!! という心境にならなくもないので、今少し冷静な視線も欲しいなぁと思ってしまうのでした。

まぁ、日本にありそうな北側=野蛮国みたいな展示にはならないのですが、多少、そこら辺の事情というか、日本以上にアメリカに負っているところの多い国の事情に対して配慮というか、さっ引いて読まないとまずいところもあるのかなぁとは思います。

一応、記念碑には殊勝に手を合わせるわたくし。



「黒水仙」のセットがあったそうですが、撮り損ねました。うう…

釜山の釜山近代歴史館、日帝強制歴史館を初めとする日帝が朝鮮になした傷痕と、その後に続く済州島4・3事件、朝鮮戦争にまつわる記念館巡りの始まりです。

それにしても日本での関心の薄さはどうかと思います。「地球の歩き方 韓国2016年版」において、わしが行ったところはどれ1つ載ってませんでした。
あと日本人と思しき観光客は天安(チョナン)の独立記念館で遭った2人組だけでした。
しかし、その分といいますか、韓国の人たちの自国の歴史への関心は高いもので、夏休みというシーズンもあるのでしょうが、どこに行っても親子連れ、カップル、団体を見ないではいませんでした。それは中国でも同じです。
対して日本人の自国の歴史、それが被害一辺倒の偏った歴史でも関心はいかがなものでしょうか? 知覧特攻平和会館(「平和」とついているが特攻隊員を英霊と奉っている時点で靖国神社と大差ない愛国精神押しつけが丸出し)とか人は大勢いましたが、広島の原爆記念館とかどうでしょうか? しかも自国の加害者としての歴史を解説した博物館は日本にあるでしょうか? 記憶にありません。たぶんないでしょう。これからも作られることはないでしょう。
日本人として自国の加害の歴史に関心がない、そういうことを学べる機会がないことに愕然とします。この国の行く末は本当に暗いと思います。

過去に目を閉ざすものは現在も見えなくなる。非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、又そうした危険に陥る
(元西ドイツ大統領・故リヒャルト=フォン・ワイツゼッカー)

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釜山近代歴史館ほか

ここから韓国に行った本来の目的、日本による植民地時代関連の施設巡りスタートです。

この博物館は釜山の開港から日本の敗戦、アメリカによる信託統治と民主化までを扱った博物館です。建物自体が1929年、日本の植民地化にあった時代、朝鮮の全てを搾取するための東洋拓殖株式会社の釜山支店で、解放後は広島にもあった米国海外広報処の米文化院だったという歴史があります。1999年に釜山市民の訴えなどもあり、米国から返還され、2003年に近代歴史館としてオープン。



わしは博物館の内部は基本的に撮影しないので(撮り始めるときりがないし、基本、撮影禁止のところも多いので)、建物の様子だけですが、釜山に限った話ながら、土地がどうやって広げられていって、現在の釜山になったのかというところが詳細に紹介されていて、なかなか充実した内容でした。
残念ながら日本語の解説はありませんが、映像的な資料が豊富なのでそんなに困らなかったです。
ただ、韓国のたいがいの博物館・記念館は日本語のパンフレットだけは備えてあるので、これはけっこうありがたいですが、日本人が見るべき釜山の日帝強制歴史館は日本語のパンフも解説もなかったので困りましたが。

そして同じ中区にあるので見学するならセットでと考えていた龍頭山公園から国際市場、ジャガルチの市場へと繰り出します。

地下鉄1号線の中央洞駅から徒歩10分くらい。釜山タワーのある龍頭山公園のふもとにあるので、タワーに行く前に寄っていってもいいかも。

中央洞駅から来ると途中にある四十階段。



国際市場で会いましょう」のドクスやヨンジャたちも上り下りしたのかなぁと思うと、あの感動を思い出して目が潤んでしまいます。

ドクスやヨンジャたちも眺めたであろう釜山タワー。ベトナムに行くという話をドクスがヨンジャにしたシーンでバックに映ってましたね。



そして、そのまま釜山タワーに上るわし。



タワーから眺めた南側。



西側。赤い円内が国際市場の辺りです。



龍頭山公園にある鐘楼。



釜山で食べた物の中でいちばん美味かったホットク(黒糖、ナッツ、蜂蜜入りのおやき)。BIFF広場で売ってて、日本のはるなあいも食べたと看板が(写真右)。

 

なにしろナッツと黒糖と蜂蜜という組み合わせの香ばしさが最強です。屋台を出したら絶対に日本でも受けると思うんですが、どうでしょう?

そして、ホットクを食べたのが、このタワーの下でした。偶然です。



「シュリ」のオリジナルのポスターです!!!

その後、ソウルで「シュリ」のロケ地巡りをしましたが、まともに残っていたのは世宗(セジョン)文化センターと済州島のシュリ・ベンチだけで、時代の移り変わりの激しさを思い知らされました。とほほ…

ちなみにBIFFとは「釜山国際映画祭」の略で、ここに俳優さんの手形があるとガイドブックに書いてあったので探したのですが、手形そのものを1つも見つけられませんでした。どこにあったのだ…

さらにBIFF広場で売ってた蛹。



たぶんイカの長い方の足。それにしても長い。



ジャガルチの水産センター。



1階、2階が魚市場で、2階にレストランがあり、市場で買った魚介類を調理してくれるそうなんですが、なにしろ高い。1匹の値段ですし、太刀魚なんかも日本で見るのよりもずっと大きいんですよ。ほんとに太刀。なので食べずにしまいました。あと太刀魚はわしも好きな魚ですが、済州島産を売っていたので済州島で食べようと思って、敬遠したのでした。

その代わりに食べたふぐの鍋。



あと水産センターの上から眺めた景色。

 

盛りだくさんな一日でした。

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南京に行ってきた1

3月末の謎な4連休。

フクイチはいっこうに収束する様子もないし、食べる物はますます選択肢を狭められ、このまま日本にいていいんだろうか? とっとと海外に逃げ出さなきゃまずいんじゃないだろうかと悶々とする毎日。

そんななか、生きているうちに行っておきたいところがいくつかあるわけなんですが、南京と哈爾浜郊外とソウルと、その他もろもろ… 思い立って南京に行ってきました。パスポートが切れてしまって不安があったのでとってしまい、いつでも海外に行けるという保険をかけて、本当は南京と哈爾浜とソウルとでどこに最優先で行きたいという優劣があるわけではないんですが、ネットでいろいろと調べていたら、南京行きの直行便が木曜日と日曜日の発着でありまして、ちょうど休みも木曜日から日曜日だったもんで、いつでも行けそうなソウルと、行くのにさらに大変そうな哈爾浜郊外はちょっと後回しにして、南京に行ったのでした。もちろん南京大虐殺の場所を見るためです。それ以外の理由なんかありませんでした。
本当は1週間ぐらいいっそ休んで、哈爾浜にも行ってきたかったんですが、南京からだと国内便の乗り継ぎが悪くて10時間ぐらい空港で待たされるので、夜中に哈爾浜におっぽり出されるのは勘弁してほしいと思って今回は見送ったのでした。

えらく長い記事なんで、残りは続きに入れておきます。

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