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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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独立記念館ほか

実家に帰って、いろいろと情報収集をしていたら、ソウルから約80km南の天安(チョナン)市に独立記念館と西大門刑務所で拷問で殺された柳寛順(ユ=グァンスン)さんの記念館があるそうです。ソウルに行ったら、あとは板門店とDMZで終わりだと思っていましたが、まだまだ行き損ねた記念館とかありそうですよ…。「アリラン」の記念館も行ってないけど、これは「アリラン」を読んでいないのでいいと思うのですが、日本語に訳されていないから読めるのはいつの日か…。

というわけでソウル行きの予定を急遽変更し、天安市に向かいます。ソウルからは地下鉄1号線で約2時間だそうですが、仁川(インチョン)空港から真っ直ぐ1号線に乗れないので途中で4号線とか経由したら倍の時間がかかりました…。なじょしてこうなった。

駅前のホテルを予約したんでロケーションはばっちり。駅前の売店で交通カードもチャージして、観光センターで情報も収集して独立記念館に向かいます。この日は日曜日で、独立記念館は月曜日は休み(韓国の公共施設は日本同様、月曜日が休みのところが多いです。図書館とかも)なんですが、柳寛順烈士史跡地は月曜日も開いているそうなので、休みだったら天安に延泊かと思いましたが、予定どおりに火曜日にはソウルに行けそうです。できたら観光の日と移動の日は分けたいですからね。荷物重いし。

400番バスで郊外まで走ります。ちなみに翌日向かうつもりの柳寛順烈士史跡地は終点からさらに歩きます。

ここ、かなり広いです。わしが日本に帰っているあいだに韓国はすっかり秋の空になっていましたが、まだまだ残暑が厳しく、けっこう歩き疲れました。
あと食堂の案内が悪かったので、飯を食いそびれた…

バス停を下りると駐車場があり、売店やレストランも。メインの展示はこのキョレの塔の奥です。



手を合わせるような形をどこかで見たなぁと思ったら、光州(クァンジュ)の国立墓地ででした。

塔を過ぎて、奥に見える建物がキョレの家です。サッカー場くらいの大きさがあり、行事を行うこともあるそうです。

 

上の写真のようにいい天気なもんで、少しでも体力低下を避けるべく、日陰を歩くわし。瓢箪と南瓜の棚でした。帰りに見たら糸瓜(へちま)もありました。

 

キョレの家の後ろからがメインの展示です。テーマ別に7つの展示館があり、例によって日本語の解説はありませんが、展示物が豊富なので丁寧に見て廻ります。

あと4館目の裏に追慕の場があるというので、廻りました。
誰も来ないと思ってるんだかバカップルがいちゃついておりましたが場所を選べと言うのだ…。場所を選ばないからバカップルって言うんだけどね!

7つ目の独立運動体験場だけ行きませんでした。基本、この手のコーナーは子ども向きなので、例によって家族での観覧に熱心な人たちの邪魔をするのも悪いですし。実際、たきがははジェットコースターとかあったら本気で乗りたい人種なので、まぁ、行かないことにしてます。興味はありますが。ライフルとかも撃ってみたかったりしましたが。

途中で見つけたカフェでチュロスを食べてお昼ご飯代わりにしてしまうわし。後で食堂があったことを知りましたが後の祭りです。くっそー

展示を見学し終えて、キョレの家を反対側から見たところ。



バスで天安駅に帰り、食べた晩ご飯。



天安は、韓国の他の都市(ソウルは除く)よりもインド系の人が多そうな町でして、インドカレーの店を初めて発見したので喜び勇んで入ったのです。もはやスパイスを使ってない市販のカレーには興味のないわたくし。

最後はナンで器をきれいにぬぐって、天安の夜は更けていくのでした…。

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ナヌムの家ほか

ナヌムの家は京畿道の広州(グァンジュ)にあります。江原(カンビョン)駅前のバス乗り場(1番出口を出て、交差点の向かい)から広州行きのバスに乗り、Eマート(広州のバスターミナルです)で下りて、タクシーで15分くらいです。近所にバス停がありましたが、帰りのタクシーも呼んでもらったのでバスは使いませんでした。まぁ、ターミナルに行くとは限らんし…。



こちらが併設の日本軍「慰安婦」歴史館の入り口です。



今まで行った日帝関係の歴史館はどこも入る時には敬虔な気持ちで見学させてもらってきたのですが、ここは被害者の方がいらっしゃるので格別です。ただ、映画の「ナヌムの家」を見てから、20年以上も経ってしまい、あの時、すぐに伺っていれば、わしの人生もまたいろいろと変わっていたかもしれませんが、わりと冷静に見学しました。
でも、わしの中で、従軍慰安婦という世界でも稀な恥ずべき制度という考えはまったく変わっていませんし、その責任を日本政府が取るべきという考えも同じままです。「赦すこと」のレビューで書いたように、日本はただひたすらに被害者の方々に謝罪をしなければなりません。損得もプライドも横において、ただただ赦していただける日まで謝罪をするべきです。被害者の方々の一生を踏みにじってしまった国が、ただ一つできる謝罪の方法です。それをして、初めて日本は国際社会の一員だと胸が晴れるのだと思います。冷戦中とはいえ、アメリカの生ぬるさ、いい加減さは無責任過ぎると思いますが、朝鮮戦争でなしたこと(ほぼ全土を焦土にした)を思えば、無理もない。だからといって、敗戦国・日本がそのぬるさにおんぶにだっこではいけないのだと思います。
全ての被害者に謝罪をしない限り、自分の生まれた国ながら、日本はいちばん信じられない国というわしの考えは永久に変わるまいと思います。

「ナヌムの家」三部作を見た時に、いちばん印象が強かったカン=ドッキョンさんの慰霊碑です。



カン=ドッキョンさんは絵を描かれていて、素朴な絵柄ながら、慰安婦という想像に絶する体験を写されていたところが、その絵とともに記憶に残ったのです。

その後で日本語のビデオを見せてもらい(カン=ドッキョンさん追悼のドキュメンタリーも!)、ボランティアをしているという日本人の女性のスタッフさん(メールで対応もしてくれた方)とタクシー待ちの間に話をさせてもらいまして、韓国の地下鉄のバリアフリーなことや、ほぼ完璧なホームドアの設置とか、喫煙率は高いけど迷惑だと思ったことは少なめな喫煙事情とか、交通カードの万能性とか、まぁ、いろいろな話をしました(久しぶりに日本語が通じる相手だったんで)。近くで日本語の教師をされているそうです。

これからも頑張ってください。

さて、ソウルに帰ってから、世宗(セジョン)文化センターに立ち寄ります。



ジュンウォンとジャンギル、ミョンヒョンが観劇したところです。美容院に寄ったミョンヒョンを待って、3人で駆け上がっていた階段はここだったのかぁ…

翌日、「シュリ」の残りのロケ地巡りをしましたが、どこもわからずじまいで、つくづく来るのが10年遅かったと思いました… orz

その後、DMZと板門店に行くつもりでしたが、南北間の緊張もあり、8月いっぱいは軍事教練で板門店に行けないと言われてしまいます。DMZは行けますが日本語のツアーは2人以上だそうです。時は8月下旬に入ったばかり。今のレジデンスは安いですが、オーナーはチェックインした時にしか見たことがない上、延泊する気はさらさらありません(なにしろ暑いから)。だったら、不本意ながら、いったん帰国して9月になってから出直すことにしました。まぁ、記事は全部帰ってきてから書いてるんで、韓国行きはまだ続きます。

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西大門刑務所歴史館ほか

14日はソウルに移動して、情報収集します。何ヶ所か行きたいところがあるので、ソウルの滞在は1週間の予定ですが、いろいろと事前の調査が不足してまして、宿がいちばん困ったっていう…。

まずは日本支配の悪のシンボルみたいな西大門刑務所歴史館と安重根(アン=ジョングン)義士記念館へ行きます。



何ですか、この人の多さは?

当日は8月15日。日本では敗戦記念日ですが、韓国では光復節と言いまして、日本による36年の植民地支配から解放された記念日です。なもんで、あちこちで記念行事を開催していた上、通常は有料の記念館も入場料が無料! おかげで見学しづらかったです。例によって日本語の解説がないのでわかりづらかったのですが、金を払っても別の日にすれば良かったと思いました…。

一応、午前中に入ったのですが、見学し終わって、出てきたら、さらに列は長くなってました。



ここは朝鮮戦争で消失しなかったようで、当時の建物がそのまま残されてます。真夏の暑さの下、大勢の人と一緒に見学してますが、アウシュビッツにも似た雰囲気に背筋が寒くなりました。お客さんの少ない時の見学はちょっと精神的に辛いかも…。

この後で見た「密偵」という映画で、ジョンチュルが釈放されたシーンで入り口のところが使われてたと思います。中はたぶんセットでしょう。

西大門の近くにある独立公園の独立門。



地下鉄の駅で塩気のない蒸しトウモロコシを食べてお昼ご飯にし、安重根義士記念館に向かいます。
しかし、それが南山(ソウルの真ん中にある自然豊かな山)の中腹にあるものでパラダイスカジノからえらく急な階段を昇りまして、やっとの思いでたどり着きました。ひぃぃぃぃ…
後で、あの急な階段を下りるのは無理だと思って館員さんにバスはないかと聞いたら、やっぱりあるそうで、改めてソウルのバス路線の複雑さを思い知るたきがはでした。



安重根は日本では伊藤博文の暗殺者ですが、韓国や中国では義士、つまり韓国の独立や日帝との戦いに命を捧げた英雄です。彼が伊藤博文を射殺した哈爾浜駅にも、このようにわざわざプレートがあるのでした。あと小さな記念館も。



実際のところ、わしがあの時代を生きていたら、やっぱり朝鮮の独立に共鳴しちゃうと思うし、できることなら手を貸したいです。貸すという言い方は傲慢なので、一緒に戦いたいです。後、伊藤博文を初めとする朝鮮総督府の悪さもあちこちで見てきてますんで、安重根氏を義士と言うのは大いに共感できるところなのでした。
なので、朝鮮独立のために戦い、最後は刑死させられた安重根氏の経歴をきちんと勉強させてもらいますという気持ちで見学しました。

しかし、そうは言ってもそれほど大きな記念館ではないので時間が余りまして、行く気はそれほどなかったんですけど、せっかくなんで景徳宮(キョンボックン)へ向かいます。



ここは地下鉄の5番出口で背後に国立故宮博物館がありますが見学しませんでした。建物だけ撮影。



景徳宮も日帝時代に計画的に壊されたそうで解放後の復元です。なにしろ朝鮮半島は戦争で焦土と化したので元の形に復元することの大変さと朝鮮の人たちの熱意には敬意を払いたいと思います。

これは光化門から2つめの門、興禮門。チケット売り場や音声ガイドの貸し出しは光化門の方なので5番出口は効率悪いことこの上なし…。

 

この白い砂が景徳宮全体に敷き詰められていて靴(crocs)に入って困りました。足痛い。

韓服、いわゆるチマ・チョゴリを着た若い女の子たちが10人以上いて、よく写真に撮られていたり、記念撮影に一緒に収まっていたりしました。どうやら景徳宮の雰囲気を盛り上げるためのバイトさんのようですが、足下がスニーカーだったりハイヒールだったりで、わし的には興醒めだったので、そこは意地でも伝統的な靴を履かせようよと思いました。あと、韓国のバイトは暇さえあれば仕事中でもスマホをいじっているのも、ここでは少し止めさせたらいいのになぁと思ったり。

ここが全体の入り口、光化門です。



有料の日本語音声ガイドを借りて(要パスポート)、のんびり見学します。

3つめの門、勤政門。



この内側が王が政務を行った勤政殿です。

この建物が勤政殿。



広場に立っている30cmくらいの石柱は、どの位の役人がどこに立たなければいけないという目安だそうです。よほど忘れやすかったのか、厳密な場所が決められていたのか…。

これは修政殿。



朝鮮王宮は中国ほどの華美さはなく、質素な印象で、どれも同じ色使いだから、それぞれの建物にはそれぞれの理由があって建てられているのですが、見た目が同じで飽きてきます。

王が臣下と宴会をしたり、外国の使節をもてなしたという慶会楼。



その後、光化門広場に入り、いい加減に歩き疲れているくせに地下に下りて世宗物語・李舜臣物語の展示を見学してしまうわしでした。

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カマオルム地下要塞ほか

今日はカマオルム地下要塞に行きます。観光センターでバスで行くのはけっこうめんどくさい(2回乗り換えなければならず、本数も少ない)と聞いたのでソルロク(緑茶博物館)までバスで行き、そこでタクシーを捉まえることに。

ちなみに北京といい、台北といい、南京といい、お茶には目のないたきがはですが、釜山でもBEXCOで開催された釜山国際茶・工芸博覧会に行きまして、智異山(チリサン)で採れたというお茶を両親に贈りました(わしがお茶好きなのは間違いなく両親の影響。北京でもお茶を1万ぐらい買った)。
なのでソルロクはかなり期待してたんですが、カフェの方がメインでがっかりです。

で、タクシーを捉まえてカマオルムは知らないけれど平和博物館というのがあるそうなので、そちらでいいと言って連れていってもらいますと、結局、同じところでした。おい。

オルムというのは済州島の方言で「側火山」のことで、そういや地図にカマ岳って載ってたわい。

さて、カマオルム地下要塞ですが、実はこれ、本土決戦に当たって、唯一、日本列島以外に作られた基地だそうです。当時の日本軍は連合軍が沖縄から経由するルートの他に、済州島を経由して北九州から上陸するルートを想定していて、結局は沖縄へ攻め込まれたわけなんですが、済州島の軍事施設は無駄になったのでした。
つまり、済州島にはカマオルム以外にいくつも日本軍が建設した要塞があちこちにありまして、全部見ようと思ったら、タクシーを何日もチャーターしないと無理じゃないかと思うぐらい、島内に点在しています。南のアルトゥル飛行場跡なんかが有名ですが、それだけでは終わらないのが辛いところです。正直、個人で興味本位で廻るにはしんどいので最初から行く気はありませんが。
カマオルムは日本軍が建設した基地の中でも最大のもので、ここに隣接して建てられたのが平和博物館なのでした。
ただし、観光センターから問い合わせてもらったところ、地下要塞の方が整備中だそうで入ることができないので見学は入り口と博物館だけです。

入り口。


で、日本人が来たというので、わざわざ日本語のビデオを流してもらいまして、博物館を見学し終えたところで見られるところを見に行きます。

地下要塞の全体像。



地下要塞の入り口。



下に下りるとすっと気温が下がりまして、外は炎天下(30度くらい)にもかかわらず、嘘のような涼しさです。これ、全体を見学できたら、最後の方で凍えそうになってたかもしれません。水俣で夏の真っ盛りに冷を取りに鍾乳洞へ行ったことがありますが、あの入り口からじわじわくる涼しさではなくて、いきなり気温が下がった感じでした。気分的なものもあったんでしょうかね、霊感0ですけど。

カマ岳の中腹から見下ろした光景。なにしろ暑いので頂上まで登る気はさらさらないのでありました。



その後、タクシーを呼んでもらい、西帰浦(ソギポ)のバスターミナルへ向かいますが、たきがは、ここで色気を出します。地図に「燃ゆる月」のロケ地と書いてあったので山房山、龍頭(ヨンモリ)海岸に寄ってもらったのです。
しかし、龍頭海岸はタクシーを待たせて遊ぶには2kmくらいの遊歩道がある上、どこが「燃ゆる月」のロケ地なのかわかりませんし、大した案内もないようです。そして、ここまで来て晋州(チンジュ)で「燃ゆる月」のセットがとっくになくなっていたことを思い出して、ここに寄るのは無理があったことに気づき、西帰浦バスターミナルへ。
ただ、タクシーの運ちゃんが、何とかわしに観光させてくれようと韓国の観光公社に電話したりしてくれたのはありがたかったです。おっちゃん、ええ人や〜

一応、山房山と龍頭海岸を撮影。

 

西帰浦バスターミナル隣接のEマート(総合ショッピングセンター)のフードコートで韓国に来て初めて食べたパスタ。



日本にいた時は毎週のようにパスタを食べていたのですが、韓国ではよほど韓国料理が肌というか舌に合うらしく、あと、パスタ全般が高いせいもあり、セットのおかずが乏しいせいもあり、パスタも洋風料理も食べたいという気持ちが起こりませんでした。

西帰浦からバスで帰りましたが、冷房がきつくて、危うく人生最大のピンチになるところでした。主に下半身的に。

4時前にターミナルに戻ってしまい、三姓穴(サンソンヒョル)にでも行こうかと思案します。耽羅国の始祖伝説ですな。



残念なことに5時で閉まってしまい、三姓穴は見られなかった(上の碑は入り口)ので、また西門市場へ行って、晩ご飯を食べようと思います。「火山島(たまには第4巻)」でブオギが買い物に行ったのはここかなぁと思いつつ。

途中で見かけた公式のトルハルバン。写真を失礼しますよ。



たきがはの好物、ご当地物。



なぜかタングラムのタイル。デザインはこれだけではなく、いろいろあります。だから、ご当地物探しはやめられませんのや。

ちなみに釜山で見つけた噴水。水を噴くと右のようです。

 

噴水?



四角いマンホール(と言っていいのか)。左から海雲台(ヘウンデ)区、中区、ジャガルチ、釜山鎮区。

   

丸いマンホールというものが韓国にはなく、全部四角でした。
ということは大昔、Macにあった「the Manhole」というハイパカ(Hyper Card)のゲームはわかりづらかったんでしょうかね。

ネットで見つけた「マンホール」のプレイ画像。


検索したらMasterpiece Editionなるものが復活したとか。「マンホール」にはゴールがないので、ぼさーっとハイパカいじっているのがおもしろかったのですよ。イベントを全部見たら、さすがに飽きてしまいましたが、今見ても動きとか凄かったです。

閑話休題

途中にあった五賢壇。済州島の発展に貢献した5人の賢者を讃える碑だそうです。へぇ

 

済州島は4・3事件で共産主義と思しき人びとは殺されるか逃げるかしてしまったので朝鮮戦争の戦渦を受けずに済んだのでした。

晩ご飯に食べた海鮮チヂミ。かなりでかい。おそらく2人前以上。



この後は昨日と同じルートでペンションに戻ります。翌日はソウルに移動。先日、書いたとおり、船に乗る時の不便さと+電車の値段が飛行機よりも高くつきそうだったのでソウルには飛行機で移動します。のんびり移動じゃなかったんかい俺。

おかげで、もうしばらく韓国にいたわりにKTXに乗り損ねました。

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済州4・3平和公園ほか

青い海からこんにちは。



今日はいよいよ4・3平和公園に行きます。

市外バスではなく、ツアーバスというのがいくつかの観光地を結んで走ってまして、それで行けます。
ただ、このツアーバス、1時間に1本と少ない上、12時のはなく、17時で終わってしまいます。直行できるのでそれなりに便利なバスではあるわけですが、4・3事件に対する評価といいますか、韓国政府か済州島特別州の自治体の痛し痒しな思惑を感じないではいられません。済州島において、重要な事件であるにも関わらず、腫れ物に触るような扱いと言ったらいいですかね。バス便がないのは内外の非難を浴びるだろうからしないけど、とりあえずありますよ的な。実際、4・3事件というのは済州島ではそういう扱いみたいです。なにしろ共産主義と疑われただけで殺された事件です。全島民の1/3が殺され、日本に亡命した人も少なくありません。パルチザンを狩るために内陸部の村落を潰したため、廃村になった村も数あります。そして現在の住民は事件後に移住してきた人が多いので、事件のことを知らない、あるいは当時の韓国政府の宣伝そのままに共産主義者の陰謀的な考えの人もいるのではないかと。
だから観光資源として4・3事件は大事にしたいけど、李承晩(イ=スンマン)に対して、まだ公式の批判的な記事の見当たらない韓国において、当時の政府批判は避けたいところなんだろうなぁと思いました。あんまり突っ込むとアメリカ批判にまで行かざるを得ませんしね。

そんなことを思いながら到着した4・3平和公園。



展示は相変わらずハングルと英文しかありません。あと、現地の人らしいアジュマの解説がありましたが、もちろんこちらも聞けません。ただ、詳細はわからないながらも「火山島(たまには第6巻)」での予習もありますので、だいたいの経緯とか流れはわかってるのは大事なことだと思いました。まったく予備知識なしに行くのは危険かもしれません。まぁ、予備知識のない人にとっては済州島は韓国のハワイであり、リゾート地なんでしょうけど、わしはそうは思えないです。
この後の、どこかの展示で見ましたが、美しいものをただ美しいと言えないことは悲しいことだと思います。

中のカフェで日本語の資料が読めてありがたかったです。ただ、読みふけっていたら終バスの時間ぎりぎりになってしまい、墓地とかは慌てて見学しました。

終バスに乗って済州市に帰りますが、このツアーバス、観徳亭広場に停車するそうです。観徳亭広場と言ったら、李芳根(イ=バングン)が最初から最後まで見下ろしていたところではありませんか! 喜んで下車します。

ここが観徳亭です。
 

見下ろす李芳根の視線は向かいのホテルかなぁと思いながら見学。

済州島は朝鮮戦争(という言い方は日本で、韓国では韓国戦争です)の戦渦を受けていないので復元した建物ではありませんから立ち入りは禁止みたいです。

済州島の守り神トルハルバン。

 

そこら中にありますが、本物というか公式のトルハルバンは済州島全体で45基しかないそうですよ?

観徳亭の解説。


「火山島」の最終巻にあったパルチザンたちの死体が積まれて、というシーンは想像しづらいところです。

観徳亭の中にある耽羅(タンラ)国の看板。


済州島は12世紀初めまで耽羅という独立国でしたが高麗に組み込まれました。そういうところはちょっと沖縄に似てるのかなぁと思ったりしますが、朝鮮半島の支配下に入ってからは流刑地にもされたそうなので八丈島のが近いのか…。

南京の明帝陵にもあった下馬房


朝鮮は15世紀に李氏朝鮮の世宗(セジョン)王がハングルを作らせるまで中国の漢字をそのまま使ってたそうなんで同じなんですね。読み方は中国とも日本とも違うんですが。それだけに朝鮮独自の文字を作らせた世宗王は今でも尊敬の念が強いようです。

さて、そろそろ晩ご飯の時間です。前日の食事が海鮮ラーメンというとってつけたようなメニューでお茶を濁してしまったので、たきがはとしては今まで「済州島に行ってから」と封印してきた済州島産の逸品を食べたいところです。そして、安くて美味い物が食べたかったら、市場に行くのがいいでしょう(蚕の蛹という代物にもお目にかかりましたが)。

ちなみに前日の海鮮ラーメン。



味は別に悪くないのですが、何が残念って、韓国のラーメンは麺が全てインスタント。しかも高確率で辛ラーメンです。当然、むっちゃ辛い。ハングルの先生に教わった「アンメッケ(辛くしないで)」という呪文も効きません。元のスープが辛いから(しかし、この呪文を唱えると、どうも日本人だと思われないらしく、あんまり辛くなくしてもらえませんでしたよ…)。

ちなみにこれが釜田(プジョン)市場でお目にかかった蚕の蛹の煮付け(赤枠内)。近所のスーパーで鯉の餌として売ってるバージョンしか知らないので恐ろしくて箸をつける気にもなれず。メインはチヂミ(パジョン)。



そして入った市場で見かけた済州島名物・豚の頭と足。



たきがはが頼んだ太刀魚の塩焼き定食。美味ぇ…



左端のは釜山で食べ損ねたカンジャンケジャンっぽいです。

日本で見かける太刀魚とどう違うのか、韓国で見る太刀魚はどれも1m以上の大物ばかりでお高いのでした。2万ウォンとかはざらで10万ウォンというのを釜山で見た…

ペンションに帰るバス停まで歩いていた時に見かけたにゃんこ。



バス停の案内。



こんなにわかりやすい案内は、あとは仁川(インチョン)で見たくらいでした。スマホのアプリじゃなくて神○中にも見習ってもらいたいですわい。

下りるバス停を間違えて、夕焼けを見ながらペンションに帰ります。

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