ターミナルの近くで美味しい中華料理でも食べようと思ったんですが、よくわからず、適当に屋台で買ったカールみたいなお菓子でごまかしてしまうわし…。
このお菓子は食べきれなかったので翌日の朝ご飯になりました。哈爾浜行きの高速鉄道の中でも食ってましたが。歯に詰まったんで参りましたが、それよりも朝食に買った牛乳の甘さに死にそうになりました… orz 牛乳に砂糖入れるのはやめちくれ。
適当に腹がふくれたところでこんな乗り物に乗って撫順戦犯管理所旧址に向かいます。
前半がバイク、後半が2輪なので三輪車ですが、カバーがついて全天候型になってるのがすごい発想だと感心しました。タイで乗ったトクトクは周囲が空きっぱなしなので雨が降ると大変です。
で、こちらが撫順戦犯管理所旧址です。
ここでは荷物のレントゲン検査までありました。やたらに検査が多いのはテロを警戒してのことなんでしょうが、戦犯管理所でもテロなんてあるんですかねぇ…。
中は西大門(ソデムン)刑務所なんかを見た後だと、すごく明るくて古いながらもそれなりにきれいだと思ったんですが、まぁ、目的が違いますからね。あっちは殺すため、こっちは公正させるため。
中にあった和文タイプライター。
たきがは家で昔、おかんが使っていたのだよ。懐かしくなってメールに添付して送信しました。戦犯が実際に使っていたものだそうです。
あとは主要な戦犯の記録から、戦犯が残した記録とか、豊富な資料と実際の管理所が同時に見学できます。
元の建物は日本軍が抗日の人物を収容するために建てたそうです。再利用にはもってこいですな。元の目的がなんですが。
ただ、中華人民共和国が再利用のために修繕した当時、中国は建国仕立てで厳しい財政下にありましたが、毛沢東と周恩来の指示で、いろいろな施設(クラブとか体育館とか)を加えられたのでした。内戦直後の厳しい状況にあって、戦犯に配られた気遣いは中国の人民に対するものよりも手厚いものでした。
わしは「撫順の奇跡」を見ていて、中国による洗脳だという声も聞くのですが、真の戦犯であるヒロヒトを裁かなかった東京裁判のいかがわしさや、捕虜からの一方的な訴えと植民地であった韓国や台湾の人びとへの理解に欠けた東南アジアにおけるBC級裁判とかシベリア抑留とかと考えると、自らの罪を自覚させた中国による措置は寛大なものだったなぁと思えるわけでして、洗脳と片づけるのは冷戦の影響とか、中国蔑視とかじゃないのかと勘ぐってしまうのでした。
[2回]
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