監督・脚本:クレール=ドゥニ
出演:モンテ(ロバート=パティンソン)、ディブス医師(ジュリエット=ビノシュ)、ボイジー(ミア=ゴス)、チャーニー(アンドレ=ベンジャミン)、船長(ラース=アイディンガー)、ウィロー(ジェシー=ロス)、ほか
見たところ:桜坂劇場
ドイツ・フランス・イギリス・ポーランド・アメリカ、2018年
「
月に囚われた男」みたいなサスペンスSF。「スター・ウォーズ」みたいなスペオペはあんまり見ませんが(子どもの時に見た「宇宙からのメッセージ」で満足しちゃったかららしい)ここに「
2001年宇宙の旅」みたいなサスペンス要素がからむと興味を示すのは何でなんでしょうかね。
7とナンバリングされた宇宙船で、モンテは娘のウィローと2人きりで暮らしていた。だが、元をたどればモンテは犬を殺されたためにガールフレンドを殺した凶悪犯で、免罪と引き換えにこの宇宙船に乗せられ、ディブス医師の監視下、生殖に関する実験のモルモットだったのだ。だが、生き残ったのはモンテとウィローだけで、モンテは少年時代から今に至るまでのことを思い返しながら、今日も娘の世話をして、とうに太陽系も離れてしまった長い長い航海の途上にいるのだった。ディブス医師も含めて、宇宙船の乗組員たち9人は皆、犯罪者だった。刑務所の代わりに宇宙船に乗り、太陽系からいちばん近いブラックホールに行って実験を行うほか、産婦人科医だったディブスの意向で赤ん坊を作る実験が進められていたのである。だが、放射線の強い宇宙ではなかなか受精に至らず、妊娠にまでいたった黒人の娘は最初の死者となったのだった。それからも帰りのない旅にストレスを覚え、一人、また一人と死んだり殺されたりして、モンテの精子と己の卵子を受精させ、ついに赤ん坊を作り出すことに成功したディブス医師も自殺してしまっていた。己の性欲を抑え、修道士と陰口をたたかれながらも自慰にふけることもなかったモンテとウィローは、ウィローが年頃の娘に成長した頃、ついに目的地のブラックホールに近づく。娘に誘われるまま、小型宇宙船でブラックホールに近づくモンテとウィロー。それは、なおも生きていこうとする2人の意志の表れでもあった。
思っていたほどサスペンスな要素はありませんでした。まぁ、何でモンテとウィローが宇宙船に2人だけで、モンテが途中で冷凍保存されていた死体を宇宙に放り出したのかという辺りは謎めいていますが、ネタが明かされれば、なるほど〜な筋立てです。
しかし、この10年以上(成長したウィローが明らかなティーンエイジャー以上)のあいだで接近した宇宙船は9号のみと、まさに無限に広がる大宇宙に放り出されたモンテたち。しかも9号で生き残ってたのは犬ばかりで何の実験をしていたのやら、モンテたちの事情を鑑みるに、こちらも非人道的な実験であることに変わりはないようです。
あと、「月に囚われた男」の無味乾燥っぷりに比べると、宇宙船に自慰用の部屋(ボックスと呼ばれている)が置かれ、ディブス医師の自慰が描かれるなど、けっこう官能的なシーンがあるのは女性監督ならではの描写でしょうか。また薬でモンテたちを支配していたディブス医師が寝たままのモンテを逆レイプするシーンとか。けっこう見る人を選ぶ映画です。
地球に戻る可能性は皆無に等しく、それなのに生きる手段は最低限あった7号を捨てるようにして(果たして帰還の手段があるのか不明のため。たぶん実験の内容を鑑みるにないと思われますが)ブラックホールに向かう小型宇宙船に乗り込んだモンテとウィロー。それはわしら観客の目には絶望的な旅(その前のシーンでボイジーが自殺同然に同型の宇宙船でブラックホールに近づいて死んでいるため)にしか見えませんが、何が待ち受けているのかわからない、しかもこのまま7号にいても生きてるんだか死んでるんだか半端だし、なモンテとウィローの立場を考えると冒険っちゃとんでもない冒険なんでしょうけど、一か八かに賭けたという意味では2人はまだ諦めたわけでもないと思ったので「生きる意志の表れ」と書きました。
実際、ウィローという心の支えがあったとはいえ、自殺したボイジーや、死因がよくわからないチャーニーなどに対し、モンテは一貫して生きるという意志を持ち続けたのですから。
エンディングがいちばん退屈で寝落ちしかけたのはここだけの話です。
映画は普通におもしろかったです。光速の99%の速さで飛んでるはずの宇宙船の描写がやたらにスローモーな動きをする前時代的な描写も話のテンポに合っていたと思います。
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