永原陽子編。青木書店刊。
サブタイトルは「脱植民地化の比較史」です。そのタイトルのとおり、日本だけではなくフランス、スペイン、ハイチ(フランス)、ケニア(イギリス)、ナミビア(ドイツ)、ジンバブエ(イギリス)、イギリス、アルジェリア(フランス)、アメリカ、台湾(日本)と広範囲に扱ってますが、植民地責任どころか戦争責任さえまともに果たしていない日本人が、「性奴隷制にせよ、強制労働にせよ、ヨーロッパ諸国はアフリカをはじめ、いたるところに植民地でやってきたことである。しかし、それについて一度として「謝罪」したこともなければ「補償」したこともない。それが求められたことすらなかった(ように見える)」と言って謝罪と償いを求める日本の旧植民地の人びと(主に朝鮮や中国)に違和感を覚えると言い、「こうした主張は、日本の「戦争責任」「戦後責任」を否定する歴史修正主義的な立場の人々からは、「だから日本も謝る必要はない」という結論を導くためにしばしば持ち出されるが、もとより私たちの「違和感」はそのようなことではない」と言って「植民地支配の歴史に関する「責任」は、固有の問題として考える必要があるのではないか」と主張します。
しかし、わしにはこういう主張は歴史修正主義(的な立場と言うことさえおかしいと思ってない!)と同じレベルで、五十歩百歩の危険性を孕んでいて、いくらでも言い逃れがきく論法に利用されるだけじゃないかと思いますので、編者の言うことには絶対反対です。分けて考えたところで、どうせ、「その問題は戦争責任で」「いや、植民地責任で」と言い逃れる。それは日本が今までしてきたこととどう違うんでしょうか? いやいや、学者の言うことも怪しいもんですネ。
もっとも、これはあとがきに入ってた一文だったので、まえがきだったら、わしもこんな本読んでられっか!!!とか言って放り出す(比喩)ところなんですけど、最後だったんで、途中、論文1つはすっ飛ばしましたけど(横文字多すぎて読んでてめまいがしたため。ヘゲモニーだのユニラテラリズムだのレジームだのグローバル・ガバナンスだの、訳語がないわけじゃなし日本語で言え日本語で)、あとは全部読んだのでした。
だいたい序で「植民地を支配し、植民地の人びとを苦しめた責任と侵略戦争をしたことにたいする責任は、本来は別の事柄である。けれども
日本の場合は満州事変、日中戦争、アジア・太平洋戦争とつづく侵略戦争が、当時の国際法に反して植民地の人びと、あるいは占領地の人びとを強制連行して労働に従事させ、あるいは日本軍「慰安婦」にし、人びとを虐殺し、強姦し、また植民地や占領地の資源を戦争遂行のため収奪したため、植民地支配にたいする責任と侵略戦争にたいする責任を果たすことを重ねて考えざるをえない、まれな国であるといえる」って意見を紹介してるので、まるで反対のことをぬかすとか、やっぱり修正したいんじゃないんですかネ。
個人的にはジンバブエ(ジンバブウェと記されており、むっちゃ読みにくい。別に現地の発音に従った正式名称とも思われず、わたしをわたくしと言うような嫌らしさ)のムガベ大統領が、まるで私利私欲に突っ走った典型的な独裁者だと思っていたら、それはあくまでも欧米メディアの宣伝で、実はとんでもなく真っ当な人物だったことを知ったのが大きな収穫でした。シリアのアサド大統領とか、リビアの故カダフィ大佐とか、ベネズエラの故チャベス大統領とかマドゥーロ大統領とか、そんな人ばっかりですもんね。しかしチャベス大統領は
「この宇宙に存在する最も邪悪な存在!悪魔の象徴!それは、ジョージ・W・ブッシュ」と言ったことで、わしのなかでは株が急上昇した方だったもんでマドゥーロ大統領がその後継者であれば、支持するのは当然ってもんですけど。
もっとも、かといってジンバブエに格別関心を抱くには、あんまり遠すぎるし、縁ないし、わしの関心は相変わらず東アジアと、せいぜい旧日本軍の占領地域に限られとるもんで、この先もジンバブエに興味を持つようなことはないと思いますが、欧米日メディアの悪辣さは相変わらずだなぁと思いました。ますます酷いっていうか。
なんで、わしの興味は相変わらず日本の植民地責任に向かうので、付箋をつけたのは自然、それを扱った論文に偏りましたし、あとはさくっと読み飛ばしました。
ただ、じゃあ、そういう論文で満足したかと言われると朝鮮を扱った吉澤文寿さんの論文は読み応えがあったんですけど、台湾を扱った最後の論文はそもそもタイトルが内容と合ってない(「戦後初期日本の制度的「脱帝国化」と歴史認識問題」なのに制度なんて最初の1項だけで後は2項とも台湾。なぜタイトルに「台湾」を入れぬか解せぬ)上に論文の内容も悪くはないんだけど、あっちこっちにとっちらかって、タイトル間違った時点でどうしようもないんですが、いまいちでした。
あといちばん最初の「戦争責任と植民地責任もしくは戦争犯罪と植民地犯罪」は例によって欧米から始めたので、またか
(日本が第二次大戦中、ナチス・ドイツと同盟国だったという事実を忘れ去り、さもナチス・ドイツだけが最悪の国家のような書き方をするホロコースト研究者みたいな)と思っていたら、ちゃんと最後で日本に言及したのは良かったです。ていうか、当然でしょう。
あとは付箋貼ったところについて。
「
免罪の花開く社会、したくないのか、できないのか、ともかく裁判官がなすべき任務を遂行しない社会は、全き民主主義ではない」
「
一方的に、それも加害者(原文ではドイツ)
側から「和解」を提案すること自体、おおよそ「和解」の精神とは相容れないことだった」
「
帝国主義の夢から醒め切らない日本政府が旧植民地人に対する支配感を尚持ちつづけていることは何という無自覚、無反省な態度ではないか」
上の2つは日本とは関係ない論文のなかに出てきましたが、ぴったりだと思ったのでメモしといた次第。
こういう総合論的な本は内容がとっちらかっていまいちですなぁ。編者の姿勢も疑問符がつきましたし。
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