監督:ルキノ=ヴィスコンティ
出演:サリーノ公爵(バート=ランカスター)、タンクレディ(アラン=ドロン)、アンジェリカ(クラウディア=カルディナーレ)、ドン・カロージェロ=セダラ(パオロ=ストッパ)、神父(ロモロ=ヴァリ)、ドン・チッチョ(セルジュ=レジアニ)、コンチェッタ(ルッチラ=モルラッキ)、サリーナ公爵夫人(リナ=モレリ)、ガリバルディ(ジュリアーノ=ジェンマ)、ほか
原作:ジュゼッペ=ランペドゥーサ
音楽:ニーノ=ロータ
見たところ:桜坂劇場
イタリア・フランス、1963年
4年ぶりに今度は劇場でかかるというので再見です。やたらに人が多くて満員に近かったんじゃないかと思いますが、隣のおっさんは半分くらい船を漕いでいたんで、ヴィスコンティの名前だけで来た人も多かったんでしょうか。そういや、ネットでも「状況説明が足りない」というレビューを見たりもしましたけど、うーん、そういう連中には一昨日おいでな映画というのがあるのが理解できないだろうなぁと思いました。映画でも本でもそうですが、自分のレベルというか知識をそこまで上げないと理解できないテーマというのはあるのです。何でもかんでも自分のレベルにまで下げろ、やれ説明しろというのではあかんのです。なのでここ10年くらい流行ってた「わかりやすく読むニーチェ」みたいな書物はわしは手を出しません。そんなもん読むならニーチェ読みます。わからなかったら、もっと勉強してからおいで、というのがわしの意見です。
19世紀、ガリバルディ将軍による統一を迎えた激動のイタリア・シチリア島。パレルモの近くに屋敷を構えるサリーナ公爵と、その若き甥タンクレディ、婚約者アンジェリカとの交流を通じて滅び行く貴族の姿を描く。
と、前回と同じ粗筋になりましたけど、全編を貫くテーマが滅び行くものの悲哀なので粗筋をまとめようとするとこうなってしまいます。まぁ、長々書いても粗筋だからさ…
で、前回は途中でぶち切れた(DVDの具合が悪かったため)のはサリーナ公爵が狩りのお供をさせているチッチョにカロージェロ一家のことを訊ねるシーンでした。その前に選挙の投票について話してて、チッチョが前王を支持していたけど投票では修正されたと怒りをぶちまけるシーンがありましたが、まぁ、あんな選挙じゃねぇ… なにしろ選挙管理人の目の前で「はい」か「いいえ」の札を入れるんですけど、それがモロバレで、無記名とかあったものじゃないし、たぶん一定の収入以上の男性限定の制限選挙なんで、まぁ、19世紀じゃそんなものかと。
ただアンジェリカの母親がやたら美人なのは映像付きで2回も語られてましたけど、そんなに必要だったのか、あれ? 夫のカロージェロが家から出さないとか言われてて性格的にだいぶ難がありそうなんですが、強調する必要もなかったのでは… ああ、でも、最後の舞踏会のシーンでおしゃべりに興ずる貴族の娘たちをサリーナ公爵が「いとこ同士の結婚はやめた方がいい」と暗に近親相姦による白痴化を否定してるみたいな台詞が出てくるんで監督の意向なんでしょうかね。しかし、あのシーンは実際の貴族の末裔たちがこぞって出演してたそうだけど、怒られなかったんでしょうか?
あと、前回の感想でも書きましたけど、やっぱりタンクレディとアンジェリカに比べて、周囲は月とすっぽんでした。
特にサリーナ公爵の七人(!)もの実子たちがどれも父親より母親似な感じで、最初のうちこそ(たぶん)長女のコンチェッタに優しいタンクレディでしたが、アンジェリカが登場すると鞍替え、というか、たぶん最初から大して気はなくて、でも従妹だから優しくしてやってたという感じだったのをコンチェッタが勝手に勘違いしてたんだろうなと思いました。というか、公爵、子どもたちには必要以上の愛情は感じてないっぽくて、むしろ自分に似てる上、境遇が不遇(親が財産浪費して死んじゃったとか)なタンクレディへの愛情のが明らかに勝ってるっぽくて、コンチェッタが神父を介してタンクレディと結婚したいと言い出したのを却下してアンジェリカとくっつけるよう示唆しちゃう辺り、どう見てもタンクレディ>(越えられない壁)>実子だなぁと思いました。
実際、公爵は七人も子どもは作ったけど、まだまだ精力旺盛なのに嫁が受け入れてくれないらしく(あと、絶頂のたびに「マリア様」と叫ぶとか)、パレルモにお気に入りの娼婦がいて、こっちも「私の公爵さん」とか言ってて、神父に肉欲の罪を咎められると言い訳したりしてるんで、たぶん、嫁とは100%政略結婚で、夫婦仲も悪いわけじゃないけど、庭で軍人が死んでると冒頭で知らされれば、卒倒しかねないほどの貴族然とした夫人にはいろいろと不満もあって、しかも子どもたちはどいつも自分に似てなくて嫁似で、なんで野心家で行動力もある、ぶっちゃけ自分に似てると思えるタンクレディのが可愛いんだろうなぁと。実際、誰が見てもアラン=ドロン>(越えられない壁)>その他大勢ですもんねv
ついでに見てて思ったんですけど、公爵にとってはタンクレディは自分の写し身なんだろうと。この時代、タンクレディのような若さがあったら絶対に取って代わりたいんだろうと思いました。でも自分は老いている、老いは自覚している、なのでタンクレディに後を託して自分は消えゆくのみ、みたいな感じに見えました。で、タンクレディの方も当然、そういう叔父の気持ちは理解していて頼りにしているし、ラスト、「議員に立候補する」と言ったのは、その前に公爵が上院議員への推薦を断ったことへの裏返しなんだろうなぁと思って見てました。なんでタンクレディがそういう叔父の贔屓を自覚していて、けっこう鼻持ちならない表情を見せるのに、競争心なんか持ってないような公爵の子どもたち(まともに名前も呼ばれない十把一絡げな扱い)は当たり前のように受け入れている感じでした。
そういや、シチリアといったら、この前に見た「
ゴッド・ファーザー」の出身地で、アル・パチーノが潜伏してた(の割には嫁取りしたりしてましたが)ところでしたが、やっぱり似たような乾いた光景で、日本の緑に慣れた目には荒々しい、侘しい土地だなぁという印象がぬぐえませんでした。しかも服が白くなるほど埃をかぶってるって、どんだけ乾燥してんのな土地柄で。
あと、つい先日というか、天皇がどっか行ったとかニュースに接するたびに憎々しい思いに囚われるんですけど、同じ光景がサリーナ公爵が旅行した先の村で見られまして、今のニッポンのがもっと仰々しくて、前世紀どころか前々世紀の遺物なんだなぁと思いました。
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