監督:フランク=ダラボン
原作:スティーブン=キング
出演:アンディ(ティム=ロビンス)、レッド(モーガン=フリーマン)、ほか
2009年最後の映画。先に見た妹さんの評判が良くなかったのでどうかと心配してましたが、いいじゃん! 最後にいい映画が見られて幸せです。
身に覚えのない妻とその愛人殺しの罪で無期懲役刑をくらったエリート銀行員のアンディは、ショーシャンク刑務所に送り込まれる。しかし、アンディはそこで決して希望を失うことなく、一人、孤独な戦いを続けるのだった。
アンディの戦いは、刑務所に来た時から始まります。女のいない男だけの世界で、新参者のアンディに目をつけた男たち。こういう展開、「バナナ・フィッシュ」で見たっけな〜
しかし、アンディのすごいところは、最初はねじ伏せられても、何度でも戦うという果敢さと、自分の知識を最大限に利用する頭の良さ。30代の若さで支店長にまでなったというエリート銀行員の面目躍如で、まず鬼看守長のご機嫌を取り、そこでレッドを初めとする古参囚人たちと知り合い、ひいては刑務所の職員全員の税金対策や、果ては所長の脱税にまで手を貸すという凄腕ぶり。その一方で、「フィガロの結婚」のレコードを見つければ流し、刑務所に本を送れと議会に嘆願書を書き続けるという知的さと心の豊かさを持ち合わせています。
けれど、アンディの無実を証明できるかもしれない絶好の機会が、19年目に現れたというのに、すでにアンディなしで脱税をなせなくなっていた所長は、その事実を知る人物を殺させてしまうのです。ここら辺のサスペンスとしての緩急もお見事。
とうとう、業を煮やした、というか、19年間、ずっと企んできたんだろうと思うのですが、ついにアンディは脱走を試みます。壁に貼った美女のポスターで隠してきた穴、その先には500ヤード(約500メートル)の配水管、糞まみれになって自由を手にしたアンディのその先の行動がまた拍手喝采もの。所長の脱税した収入をそっくり手に入れて、メキシコへと旅立つのです。
けれど、この映画が忘れてはいないのは、アンディのそうした華やかな脱走劇とは対照的な、大多数の囚人たちの存在です。50年間、ショーシャンク刑務所で暮らし続け、やっと仮釈放されたブルックスが、外での暮らしになれなくて、ついに自殺してしまった時、その死を知ったレッドは「ここで死なせたかった」とつぶやきます。でも、そう言うレッド自身も、すでに30年近く、刑務所にいます。どんな罪を犯したのかは語られることはありませんが、若かりし頃、無期懲役を言い渡されるような罪を犯したのです。そうして、何年かおきに、仮釈放を願い出るレッド。その都度、押される却下というスタンプ。ただ、思うのは、確かに彼らはそれだけの罪を犯したのかもしれないのだけれど、そうして、罪を犯した彼ら自身の人生を奪う権利はあるのだろうか、ということでした。すでに彼ら自身が誰か(それは無期懲役なんか喰らうぐらいですんで、1人や2人ではないのでしょう)の人生を奪っているという事実はあるのだけれど、その上でもう1人、その人生を奪ってしまってもよいものだろうかと。でも、自分はもう更正したと言って仮釈放を願い出たレッドは、その都度、却下されてきました。けれど、40年目に仮釈放を願い出たレッドは、更正なんかあり得ないと言い放ち、かつての自分、若かりし頃の罪を犯した自分に、そんな馬鹿なことをするなと言ってやりたいと言います。もしもレッドが10年、20年目に仮釈放されていたら、決して出なかったであろう台詞、自らの犯した罪の大きさにレッドが気づくのに40年かかり、そのために刑務所があるのなら、それは決して無為な時間ではなかったし、同じことをほかの囚人たちにも気づいてほしかったと思うのです。ただ、そうしてやっと気づいた彼らを、激変した社会に放り出すのではなく、暖かく受け入れ、余生を過ごすことのできる場所を設けてほしいとも思いました。
刑務所の中でアンディと交わした約束のとおり、レッドはメキシコへアンディに会いに行きます。波打ち際でアンディと再会するレッド。その遠ざかってゆく光景を見ながら、もしもレッドがこの先、そう長くない人生だったとしても、彼はきっと幸せだったと言って逝くことができるだろう、そんなことを思わせる、ラストシーンでした。
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