監督:ジョン=フォード
出演:イーサン=エドワーズ(ジョン=ウェイン)、マーティン(ジェフリー=ハンター)、デビー(ナタリー=ウッド)、ほか
たまには硬派な西部劇が見たいな〜と思って、これか「リバティ・バランスを撃った男」を捜す。先に見つかった方にしましたが、ちょっとネイティブ・アメリカンの描き方が期待はずれでした。
南北戦争が終わって間もないテキサス。南軍の復員軍人イーサン=エドワーズの兄一家がコマンチ・インディアンに襲われ、姪のルーシーとデビーがさらわれ、兄夫婦、甥は殺されてしまった。一家に養われていたインディアンとの混血青年マーティンとともにイーサンはルーシー、デビーの追跡に向かうが、イーサンはコマンチ・インディアンを激しく憎んでいた…。
ジョン=ウェインの西部劇らしからぬ映画です。まず、ジョン=ウェインを大黒柱とするファミリーものではありません。また、作中、笑いがすごく少ないです。イーサンが拾ったマーティンに関するエピソードにいくつかお笑いのシーンもありますが、全体を陰惨とした空気が占めてる感じです(「
生きものの記録」ほどではありませんが、この時代のハリウッドとしてはかなり暗いと思われ)。
たきがは的には、この映画と「リバティ・バランスを撃った男」「ラスト・シューティスト」がわりと同系統です。ジョン=ウェインを中心に明るく正直なファミリーものではないというところがです。
そして、イーサンの兄一家を襲ったコマンチ・インディアンが、姪2人をさらうわけですが、デビーを連れ歩いたのはなんでなのか、いまいち不明です。また、銃で応戦するイーサンとマーティンに、闇雲に突進するコマンチ、ラスト、そのコマンチのキャンプを襲撃する騎兵隊はいただけません。
こう言ってはなんなんですが、たきがは、第三者なので言いますが、イーサンの兄一家を殺したコマンチですが、そのコマンチは数十倍、あるいは数百倍、もしかしたら数千倍の同族を白人に殺されています。なんちゅうかな、そういう事実があって、でもイーサンというキャラクターが示す強烈なコマンチへの偏見に、見ていて共感できなかったのです。そして襲う方のコマンチも、あまりに考えなしっちゅうか、能なしっぽい描かれ方をするのがいやっていうか。
だって、20人ぐらいのコマンチが、銃を持っているのにイーサンとマーティンに追い払われるのは、何か違うのではないかと思ってしまうのです。「駅馬車」の方が、そういう点ではもっとリアルだったと。あのクライマックスの疾走する駅馬車と追いかけるネイティブ・アメリカンの緊張感は、こちらのラストにも途中にもないなと。
ラスト、帰ってきたデビーは姉のルーシーの恋人の一家に出迎えられます。そして、マーティンもその家の娘とは恋仲ですんで、手に手を取り合って家に入ります。そんな暗い屋内から強烈な日差しの屋外を眺めたカメラは、家に入ろうとせず、孤独に背を向けて去っていくイーサンを映し出すのです。このラストは、イーサンという人物を暗示しているようで見事だなと思いましたが、途中がなぁ。
そうそう、ちょい役でジョン=ウェインの実の息子が出ていました。いつの間にか名前も聞かなくなったけど、偉大なお父さんの足下にも及ばなかったですねぇ。
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