監督:アミール=ナデリ
出演:秀二(西島秀俊)、陽子(常磐貴子)、ヒロシ(笹野高史)、正木(菅田瞬)、ほか
見たところ:アルテリオ シネマ
2011年、日本
「映画のために死ね」というキャッチコピーに惹かれて、「
鬼に訊け」から梯子です。
映画を真の芸術に戻すため、日々、町中で演説し、本当の映画の上映会を行う映画監督の秀二。その映画漬けの日々は、ある時、ヤクザものから兄の死を知らされ、一変する。ヤクザの事務所に呼び出された秀二は、兄が借金を作って殺されたことを知らされ、2週間での返済を迫られる。しかし、映画馬鹿の秀二には、兄が借金をしてまで作らせてくれた3本の映画しか持っておらず、兄の借金など返せそうにない。途方に暮れた秀二はヤクザの事務所に入りびたるが、ある日、ヤクザの中頭に「銃を口にくわえて引き金を引いてみろ」と言われたことで金が欲しいと迫り、事務所に集まるヤクザたちに1発5千円で殴らせる殴られ屋を始める。事務所でバーを切り盛りする陽子と、下っ端の集金屋ヒロシは、最初は秀二を止めようとするが、秀二に協力するようになり、借金を返させようとする。最初は秀二の申し出を断った組頭の正木だったが、兄の殺されたトイレでやりたいと言う秀二に折れ、ヤクザたちは秀二を殴る。しかし、残り数日と迫ったある日、組の上位組織が秀二の行為に目をつけ、所場代10万円と見張りにつけた男たちの費用4万円を請求するようになり、正木は秀二に「個人的に金を貸してやるから、借金を返して、すぐに止めろ」と申し出るが、秀二は断って、殴られ屋を続けていく。殴られながら、秀二は好きな映画のことを考え、自分を鼓舞するように足を踏みならし、その壮絶な痛みに耐えていたが、借金の返済が明日に迫った晩、残る借金は300万となり、とても一晩で返せそうにないことに気づいた秀二は、100発殴られる代わりに、100本の映画を考えることで、借金を返済しようとするのだった…。
ええ〜、なにしろ、主役の秀二がひたすら殴られる映画です。おそらく半分の時間は、この殴られるシーンで占められてます。秀二は殴られるたびに、自分が上映会でかけてきた映画のタイトル、初公開の年を呟くことによって、「あそこだと痛くないんです」と正木に言っていますが、かなりやせ我慢だと思うので、痛みに耐えていくわけです。
途中、上の組織が介入することによって、そうでなくても1200万円の借金が日々の利息で膨らみ、とても残る日数では返せそうにないのに、さらに毎日、所場代と用心棒代までむしり取られることになって、正木が秀二に「個人的に金を貸してやる」と言い出しますが、秀二にとって、そこで殴られ、兄の借金を返そうとすることは、それで終わる問題ではないのでした。
それは、作中で、兄からの電話を「申し訳なくて出られなかった」と回想しているように、短く、何度も何度も「電話に出てくれ」「助けてくれ」と話す兄を、秀二は無意識のうちに見殺しにしてしまったのであり、そのことに対する贖罪と、兄が借りてくれた金で映画を作った自分だから、今度は兄の借金を返すのが当然だとでも言うように、ただただ殴られ続けるのでした。
そのあいだに、秀二が「映画は真の芸術だった」と見なす映画のタイトルや、ワンシーンが登場するわけですが、映画を愛して愛してやまない映画馬鹿である秀二(自宅の壁は上映会のチラシと、無数の監督や映画のカットで埋め尽くされていて、ポスターも大量に貼られている)にとり、「もはや死にかけている」と考える映画を、取り戻そうとする行為であるかのようでもありました。
ラスト、100本の映画のタイトル、監督、公開年が秀二が1発殴られるごとに登場するのですが、英語か原語なもんで、半分もわかりませんでした… 娯楽映画は出てこず、黒澤明監督だったら「羅生門」と「蜘蛛の巣城」、ジョン=フォード監督なら「捜索者」、溝口健二監督の「雨月物語」、小津安二郎監督の「晩春」とか。アッバス=キアロスタミ監督のもあったんですけど、タイトルがわからず… スタンリー=キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」とかも。ただ1本、武の「HANA-BI」だけ納得がいかんわ。
ラスト、生き残った秀二は無事に借金を返済します。でも、正木に申し出たことは、まさに映画のためでもあったのでした。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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