ETV特集。
1956年、広島の原爆資料館で3週間にわたって開催された原子力平和利用博覧会。それは原爆資料館本来の展示品を一時的に撤去し、1954年の第五福竜丸の被曝によって頂点に達した日本の原水爆への反対運動を一気にしぼめさせ、現在に続く54基もの原発につなげる「核の平和利用」へと方向転換させる力を持っていました。その開催に尽力したアメリカの広島アメリカ文化センター館長として赴任したアボル・ファズル=フツイと、博覧会に携わった人びとの証言や手記などを交えて、開催されるまでの流れを追った力作のドキュメンタリー。
フツイ一家の日本への赴任から始まって、フツイ自身の略歴(もとはイラン出身でアメリカに留学してから、第二次世界大戦中はアメリカ軍に所属、戦後、アメリカの米国大使館文化交換局に就職、1953年に広島に希望して赴任し、館長としてアメリカの文化を多角的に紹介するなかで第五福竜丸の事件が起こり、日本の反核を案じた当時のアイゼンハワー大統領の思惑により、原子力の「平和利用」を印象づけることで続く原発の導入に至るよう原子力平和利用博覧会を開催し、1957年に日本を離れる)も絡めつつ、アメリカの手先として被爆国・日本に核を推進させる流れに持っていく様は、前半のフツイが原爆資料館にやってきたアメリカ人の「ホラーみたい」とか「アメリカがまるで悪者だ」という拒否反応に否定的だったのも方便としか思えないほど周到で、まるで日本人自身が「核の平和利用」を望んだかのような流れを作って博覧会開催に至る辺りなんかは「上の命令だから」と言ってユダヤ人を絶滅収容所に送り込んだアイヒマンとさほど違うものではないなと思うほどでした(「イェルサレムのアイヒマン」のイメージがまだ強く残っているので発想がそっちに行きます)。
原発が核の廃棄物という、人間の手に負えないゴミを出すことがわかっていた時代に行われた欺瞞。それがやがて東海村での初の実験用原子炉、福島での原発1号機の建設に至り、311につながっていることを思うと、その罪深さに思いを馳せずにいられません。
10月25日に再放送です。是非、大勢の人に見てもらいたいドキュメンタリーです。
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